それでも久米宏(79)が『 ニュースステーション 』を

 18年半続けたワケ    文春オンライン 2023/11/30

 

『 ぴったしカン・カン 』『 ザ・ベストテン 』(ともにTBS系)、『 ニュースステーション 』(テレビ朝日系)など、数々の伝説的な番組を担当したフリーアナウンサーの久米宏さん(79)。今年10月に、自身の歩みを振り返った自叙伝『 久米宏です。

ニュースステーションは、ザ・ベストテンだった 』(朝日文庫)を上梓した。

 

 テレビ業界の常識や前提を覆し、革新的な手法で番組を作り上げていった久米さんはしばしば、“テレビを変えた男” と称される。いったい彼は、どのように番組作りに携わり、名番組を生み出していたのだろうか。久米さん本人に話を聞いた。

( 全4回の2回目/3回目に続く )

 久米宏さん ©文藝春秋

久米宏さん ©文藝春秋

◆◆◆

「『ニュースステーション』は絶対に失敗する」と言われていた

 

――1985年10月、これまでの日本の報道番組の常識を覆した『 ニュースステーション』がスタートし、久米さんは18年半もの間、メインキャスターとして活躍されていました。

 

久米宏さん(以下、久米) もともとクイズ番組や歌番組の司会をしていた人間が

報道番組を担当することに対して、当時の風当たりの強さは尋常じゃなかった。

週刊誌やスポーツ新聞で、「『 ニュースステーション 』は絶対に失敗する」と記事にされ、番組がスタートする前から、失敗の “仕方” まで考えてくださるメディアもありました。

 

――強い批判に晒されながらも、新しい形の報道番組を作り続けられた

理由はなんだったのでしょう。

 

久米 開始前から「失敗する」と言われていた『 ニュースステーション 』が

「成功」とみなされるためには、新しいことをやり続けるしかなかったんです。

ただ、新しい番組を作るだけなら誰でもできます。今までにない発想で、

成功する番組を作らなくてはいけなかった。そのために、国内外問わず

いろいろなニュース番組を見て研究しました。

 

アナウンサーの原稿の読み方、表情まで研究

 

――具体的にどのようなことを研究したんですか?

 

久米 例えば、なぜニュースのトップは政治経済の話題と決まっているのだろうか、犬が負傷したニュースがトップではダメなのか、というところから考え始めました。

 

 ニュースの読み方ひとつでも、なぜどのアナウンサーも同じような表情で原稿を

読み上げるのか、というのを気にしながら番組を見たんです。

政治や経済の話題では神妙な表情をし、スポーツの話題に切り替わった瞬間に

笑顔になるのも、視聴者にとっては不自然じゃないのか、というのも考えましたね。

つまり、これまでの報道番組で「当たり前」とされてきたことをひとつひとつ

疑うことで、少しずつ新しい形を作り上げていったんです。

 

大きな反響を呼んだ「日航ジャンボ機墜落事故」の放送

――その結果、『 ニュースステーション 』は報道番組としては異例の視聴率20%

超え、ピーク時には30%にも達する人気番組となりました。細部へのこだわりは

もちろん、テレビ番組ならではの視覚に訴える企画も話題になりました。

たとえば、犠牲者が520人にものぼった「日航ジャンボ機墜落事故」を取り上げた

ときに「靴」を並べた企画がありました。

 

久米 あの企画は大きな反響を呼びました。犠牲者の数字だけでは、その痛ましさを伝えることは難しい。じゃあどうしたら伝わるのか。そう考えて提案したのが、

亡くなった方の年齢、性別、職業に合わせて、履き慣らされた中古の靴を520足並べることでした。

 

 広いスタジオに飛行機の図面を描き、座席表に合わせて520足の靴を並べた光景には、僕も目眩がしました。こんなにたくさんの人が亡くなったのか、と。あの日はお盆休みで、ジャンボ機は満席だったのです。「あの光景を見て泣いてしまいました」という視聴者からの声も、番組に数多く寄せられたと聞いています。

ただ、僕は企画を考えただけで、中古の靴を探して並べたのは番組スタッフたち

です。だから、この企画を成功させたのは僕ではなく、スタッフの力ですよ。

(写真=オフィス・トゥー・ワン提供)

(写真=オフィス・トゥー・ワン提供)

斬新な企画を生み出すための「意外なコツ」

――とはいえ、久米さんの企画がなければ実現しなかった。

なぜ数々の斬新な企画を生み出せたのでしょうか?

 

久米 それは、僕がテレビだけでなく、ラジオもやっていたからだと思います。

ラジオは、「見えないものをいかにして見せるか」が問われます。

だから、ラジオとテレビでは、使う脳が全然違うんですよ。

 

――どういうことでしょうか。

 

久米 たとえば、(前編でも話に出た)『 永六輔の土曜ワイドラジオTokyo 』で

行った、ヌード中継もそう。

 

 いまではさまざま観点からあり得ない企画でしょうが、乃木坂にある写真屋さんのスタジオを借りて、床に絨毯を敷いて、そこにタオル1枚だけをまとったモデルさんに横たわってもらって。そのタオルをバッと捲る様子を中継したんです。

このとき僕は、「本当に全裸であることを伝えるために、お尻を叩きたい」と言ったのですが、担当ディレクターから「それをやると、品が悪くなる」と言われました。随分議論しましたが、僕が折れることになりました(笑)。

 

 言葉だけで説明しようと考えた結果、本番中に「全体的に色白の肌です。

お尻だけが更に白い。そのお尻に、3つ “あせも” ができている」と話したんですよ。

あとから録音を聞いたら、それが正解だったなと思いましたね。もし僕の提案通りにしていたら、彼の言う通り品がなく、リスナーは興ざめしたはず。

 

 どうしたら聞いている人に、リアルに正しく伝わるのか。そのためには何をして

何をしないのか。音声だけが頼りのラジオを長年やってきたから、そんな考え方が

癖になっているんです。それをテレビに応用させた、というだけのことなので。

 

脅迫状が届いたり、自宅前に動物の死骸が捨てられていた

――一方、『 ニュースステーション 』成功の裏で、視聴者から生死に関わるような

脅迫を受けていたそうですね。

 

久米 僕がはっきりとした物言いをしていたこともあって、番組宛に苦情の電話が

来るのは日常茶飯事でした。テレビ局や事務所に「殺してやる」と書かれた脅迫状が届いたり、自宅の玄関前に動物の死骸を捨てられたりしたこともあります。1987年には、朝日新聞阪神支局が襲撃されて、報道記者2名が殺傷される事件が起こりました。当時、事件の報道を見ながら「自分もいつ殺されてもおかしくない」と思っていました。

 

――著書の中で、「『 ニュースステーション 』を始めるときに、殺される覚悟を

した」と書かれていましたが、怖くはなかったのでしょうか?

 

久米 怖かったですよ。でも、殺されるのを怖がって、言いたいことも言えない

番組にはしたくなかった。そのためにも、殺される覚悟は必要だと思っていました。

結局、79歳まで生きていますけどね。

写真はイメージ ©iStock.com

写真はイメージ ©iStock.com

やすしさんと飲んだ日以上に怖い思いをした日はない

――その覚悟は、『 久米宏のTVスクランブル 』で一緒だった横山やすしさんの影響もありますか? やすしさんは、「殺されてもいい」覚悟を持って人前に出ていたそうですが。

 

久米 あるかもしれません。やすしさんは生放送で言っちゃいけないことを言う。

番組の途中でトイレに立ち、そのまま戻ってこないこともある。

そもそも、スタジオに現れない日もある。そんな破天荒な人と一緒に番組をしていたから、怖いもの知らずにはなりました。それに、これまでの人生で、やすしさんと

飲んだ日以上に怖い思いをした日はないんです。

 

――何があったのでしょうか。

 

久米 やすしさんは酔っ払うと、顔が青くなる人なのです。青くなった彼が、

「何こっち見とんねん?」と周りの客に絡むんですよ。

しかも、わざわざ血の気の多そうな人を選ぶ。それを7、8軒繰り返すんです。

「このままでは、やすしさんが誰かに殺されてしまう」と怖くなりました。

 

 後日、やすしさんが所属していた吉本興業の方にその話をしたら、「よく一緒に

行きましたね。今の大阪で、あの人と飲む人なんていないですよ」と言われて。

先に教えてくれと思いましたよ(笑)。

 

この他にも、前後特集が載っているので、興味がある人は読んで下さい 照れ

 

~ニュースステーション~

 

1988年10月19日『ニュースステーション』は22:00(9回表・近鉄の攻撃中)から

放送を開始したものの、メインキャスターの久米宏はオープニングで事情を説明。今日はお伝えするニュースが山程あるんですが 、実はパ・リーグの優勝決定がかかっている試合が、いま山場、9回の表2アウトまで進んでおりまして、ここで野球の

中継をやめるわけにもいかず、とりあえず9回の裏までご覧頂いて、ニュースステー

ションは、あのー、いつもより10分終わる時間を延長してお送りするということで、ここんところで手を打って、暫く9回の裏までご覧いただきたいと思います「(9回表終了後)This is ニュースステーションでございます。ニュースステーション今9回の表までお送りしましたが、裏までお送りします。で今日は延長の場合13回まで行きます。え、どんな番組になるか今夜は分からないんですが、伝えるニュースもいっぱいあるし助けて下さいという表現で、視聴者に理解を求めた。結局、当初予定していた企画をすべて休止したうえで、第2試合の中継を事実上優先。攻守交代の合間などを縫って、主なニュースを伝えた。22:41に羽田の併殺打によって3分後の22:44に

西武のパ・リーグ優勝が正式に決定すると、第2試合の中継と並行しながら、西武ライオンズ球場のライブビジョンでテレビ中継の映像を見ていたファンの様子を取材していた石橋幸治(当時はテレビ朝日のスポーツアナウンサー)が生中継で伝えていた。

 

9回裏、「10・19」を象徴するシーンが訪れた。ロッテが無死一、二塁としたところで阿波野が二塁へけん制。ボールを受けた二塁手の大石第二朗が二塁走者にグラブで触れると、アウトが宣告された。この判定にロッテの有藤通世監督が抗議する。

 

10分間の抗議で「こっちも商売だ!」と言ったけど本当は「こっちも勝負だ!」の

言い間違いで、もっと早く抗議が終わっていれば、展開も変わっていたかも 物申す パンチ!パンチ!

 

 

  1989年10月10日 - 『ニュースステーション』の企画「ジャイアンツエイド'89」

での公約を守り、プロ野球読売ジャイアンツ優勝を受けて丸坊主でない坊主になる。さらに11月3日、1989年の日本シリーズを制した時の公約に従い、他局である日本

テレビの夕方に放送されていた徳光和夫がメインキャスターのニュース番組

NNNニュースプラス1』に出演し『読売ジャイアンツ、バンザイ!』と叫んだ。

この一件は翌日の朝のワイドショーでも話題として採り上げられた。さらに、当時

リクルート事件などで頻用されていた「ケジメ」という言葉が、この一連の出来事を伝える際にも使われるようになり、その結果、1989年版の現代用語の基礎知識流行語部門で「ケジメ」という言葉が銀賞を獲得した時、その言葉の代表例として、久米の名前が表記された。

 

1999年2月1日 『ニュースステーション』のダイオキシン問題に関する特集で埼玉県所沢市の葉物から多く検出されたと伝えたが、実際にダイオキシンが検出されたのは煎茶であり誤報であった。これにより埼玉県所沢市産のホウレンソウなど野菜の価格が風評被害により暴落。大きな問題となり番組は批判を受けたが久米は番組内で謝罪もおろそかに「こうした報道をした私達の気持ちもわかってください」と開き直ったかのような発言をした為にさらに批判を高める結果となった。

その後、2004年6月16日にテレビ朝日が農家側に謝罪。1000万円で和解した。

 

同年10月6日 - 気力、体力の問題により『ニュースステーション』を降板。自身のウェブサイト、著書ではこの期間を「無職」としている。テレビ朝日は「休暇」としていた。

2000年1月4日 - 『ニュースステーション』に復帰、ヒゲ姿で登場した。写真入りで「久米ヒゲ復帰」などの見出しが新聞各紙を飾った。番組はリニューアルされ、

ロゴがカタカナ表記から英字表記(『NEWS STATION』)に改められる。

2004年3月26日 - 『ニュースステーション』放送最終日。エンディングでは「今まで頑張った自分へのご褒美」と称してビールを飲みながら「本当にお別れです。さようなら!」と手を振り60歳を目前にして、18年半のメインキャスター生活にピリオドを打った。番組終了の際、他局でも「ニュースステーション終了」が取り上げられ、裏番組筑紫哲也 NEWS23筑紫哲也が番組内でコメントするなど反響が大きかった。なお『ニュースステーション』終了後、テレビ朝日への直接の出演を一切行っていない。

後期(2000年1月 - 2003年7月)

2000年1月4日、前年12月23日に寿退社のため降板した白木清かと入れ替わる形で、久米が3か月ぶりの番組復帰を果たす。それに伴い番組もリニューアルした。

スタジオサブキャスターも上山千穂が全曜日担当することになり、久米・真理・上山とコメンテーターの4人体制となる。また、コメンテーターも清水建宇萩谷順

森永卓郎船曳建夫4人(2002年頃に船曳が降板し、以後は3人体制)に一新された(日替わりでいずれか1人が出演)。テーマ曲が福岡ユタカ作曲のものに刷新され、スタジオセットやタイトルロゴ・グラフィックデザインもリニューアルと同時に

タイトルロゴがカタカナ表示の「ニュースステーション」から英語表記の「NEWS STATION」に変更。オープニング映像はその日の放送するニュース内容の告知を行うスタイルに変わった。リニューアル当初はトップニュースを合成したCGをバックにBGM付きで読み上げる演出もあったがすぐになくなった。

 

2000年3月27日、放送開始時間が6分繰り上がり、21:54開始のフライングスタートとなった。これにより終了時間も23:20→23:09と11分繰り上がった。同時に番組構成も若干変更が行われる。2000年4月14日、金曜日の女性スポーツキャスターの出演者のリニューアルが行われ、テレビ朝日を退社(後に嘱託社員として復帰)した

長島三奈に代わり、『進ぬ!電波少年(日本テレビ系列)で注目を集めたタレント・女優の真中瞳(現・東風万智子)を起用。

同日よりNHKが本番組に対抗する形で同時間帯で『NHKニュース10』を開始。

2002年4月1日から6月28日までは日韓共催の2002 FIFAワールドカップ開催に伴い、オープニングで毎日FIFAワールドカップの歴史を流す特別オープニングに変更(川平慈英のナレーション入り。タイトルと日付は紹介後まとめて上にタイトル下に日付という形で表示された)。テーマ曲はCharが担当した。

2002年7月1日からテーマ曲がサラ・ブライトマンの曲に変更。

番組の終焉(2003年8月 - 2004年3月)

2003年8月25日、翌年春を以って本番組の放送を終了する事が発表された。

久米はこの週は夏季休暇中だったが、この日移転前のテレビ朝日六本木6丁目本社ビル(六本木ヒルズ)番組終了発表会見公式には「来年(2004年)3月で降板」と発表)を開き、「十分にやった、スタミナ切れ」「2000年復帰後3年という話だった

こと」ということを終了理由に挙げていた。

テレビ朝日・広瀬道貞社長は2003年9月30日の定例会見で、久米が3年ほど前から

降板の意向を度々申し出ており、これ以上の慰留は出来ないと判断したため出演契約を2004年春で満了とする事で合意したことを明らかにした。

2003年9月29日、テレビ朝日の本社移転に伴い、放送スタジオがテレビ朝日アーク放送センター(アークヒルズ)からテレビ朝日六本木6丁目本社ビル(六本木ヒルズ)へ移りスタジオセットとテーマ曲をリニューアル。タイトルロゴはそのままで、

色がオレンジ/黄色を基調としたものから青/水色を基調としたものに変更された。

テーマ曲はU2が担当した。

2004年3月26日の最終回ではその日のニュースに加え、過去19年間のニュースの

振り返り、現代の久米(と当時50歳の久米)が番組開始の1985年の本番組へタイムスリップ(という設定の演出)し、スタジオ見学をするなどの内容で放送され19年間の歴史に幕を下ろした(最終回の詳細は後述)。

後継番組は『報道ステーション』である。なお、角澤と河野・スポーツコーナーのみ関わっている宮嶋泰子栗山英樹は引き続き立ち上げ当初の『報ステ』にも出演することになった。

久米が会見で後継番組の初代メインキャスターを務める古舘伊知郎に関して記者に尋ねられた際、「いや、番組はなくなるって聞いていますから。存在しない番組に司会者が存在するわけないでしょ。」と発言した事に対し、雑誌のインタビューで古舘は「(久米を)冷たい男だなと思いましたけど。」「それから久米さん嫌いになったんですけど。」と述べた。その後には「半分は大先輩だと思って尊敬している。半分は嫌いっていうところに落ち着くんだけど。」と語った。ただし、その後久米は「いかにつらいか、大変さが手に取るように分かる。(最近は)見ていないけど、無意識のうちに避けているのかもしれない」「自分は家を土台から造った。自由に造って来た。でも、彼はその土台を壊す事をさせてもらえずに、建物を造る様にさせられている。その事に苦労していると思う」と古舘を気遣うコメントをしたことがある。

 

また、久米は「古舘君をはじめ、かなりの人が勘違いしている。僕が『ニュースステーション』でかなりしゃべったというイメージを持っている方が多いんですが、ほとんどのニュースに関して、リード原稿は僕が読んでいたんです。僕が原稿を読んでいる時間が結講あったのを、フリートークだと思い込んで見ていた人がかなり多かった。このぐらいの時間、しゃべらないといけないんじゃないかと、後任者が思い込んだ可能性はあるんです。僕が本当にフリートークで話した時間は、短い時は2秒ぐらいですからね」とも述べている

本番組の後継番組『報ステ』降板後もテレビ朝日への直接の出演を行う古舘伊知郎とは違い、久米は本番組終了後、テレビ朝日への直接の出演を一切行っていない。

なお、『報ステ』の初回放送は2004年4月5日であり、2004年3月29日 - 4月2日の

当該時間帯は『ANN NEWS&SPORTS』をつなぎ番組として放送した。

 

 

気が付いたんですが、1988年のWヘッダーと翌年の日本シリーズの近鉄バッファローズで、ニューススティーションでの久米さんが「助けて下さい」や番組企画での公約通り久米さんが丸坊主になったり、近鉄が逆転負けで徳光さんの番組で「読売ジャイアンツ、バンザイ!」』と叫んだり。もし、日本シリーズも公約していなかったら、

近鉄が勝っていたかも知れませんね。そして、加藤投手の失言もなかったかも プンプン パンチ!

 

視聴者が知らないところで、いろんなことが起こっていたと分かりました 物申す パンチ!パンチ!

例えば、長島三奈さんが一度退社して、その後、委託社員として復帰したり・・・。

 

 

久米さんが復帰した時に「帰ってきちゃいました」という言葉を、ネットで見たと

思ったんですが・・・探しても見当たらない 汗うさぎ

 

久米さんが、殺されるかもしれないと思いながら、ニュースステーションを続けていたんですね。政治家に対しても、言いたいことを言っていると思っていました びっくりあせる

 

上記にUPした久米宏さんのコメントと同じで、占い師の母が築きあげてくれた土台を大切に、こらからも母の言っていたことを信じて進んで行きます 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。トイレ関係も プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!プンプン

その技術を使わないで!

 

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて ムキー パンチ!パンチ!パンチ! ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )

人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。心に入って来ない、心を読まない、

人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない。口臭も。咳込まさない。

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。トイレ関係 プンプン パンチ!パンチ! 

思考低下させない、停止にしない。人の胸に衝撃を与えないで!

言葉使いが悪い。人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで 物申す パンチ!パンチ!

仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、

人に言われたことを他人の心の中に持って来ないで、響かせない、首を痛くしないで ムキー 爆弾 パンチ!

特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。

負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。

毒舌禁止、散財禁止 プンプン パンチ!パンチ!

自分が言わせたい言葉を人に言わせない。乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない 

人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで

唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、言わさないで、調子づかないで パンチ!

あの親子、水晶を使って人を脅さない。マウントを取って来ない、過保護にしない!個人情報保護法、プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで! ムキー パンチ!人の為に使って、決して悪いように使わないで。日本には言論の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い ) 

店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!

人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて パンチ!むかっ

首を痛くしないで!長女のパワーを持って来ないで!使わないで!

上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート