2015/05/30 05:06  サンスポ

 

    

 関係者によると、昨年9月から胃がんと闘っていたいくよさんは、最後の舞台と

なった今月11日の大阪・なんばグランド花月での公演終了後、抗がん剤を変えるなど治療方針を話し合っていたが、容体が急変。28日に相方のくるよ、弟ら親族に

看取られて永眠した。

 

 29日には京都市内で密葬形式の通夜が営まれ、西川きよし(68)ら芸人仲間など

100人が弔問に訪れた。

 

 コンビ結成から42年連れ添ったくるよも参列し、悲しみをこらえて会見。

くるよによると、20日前後に体調不良を訴えたいくよさんは大阪府内の病院に入院。25日夜から容体が悪化した。26日にはくるよの問いかけに返答できず、

危篤に近い状態となったという。

そのくるよは20日前後から付きっきりで看病。「『がんばりや』と足をさすったら、『ありがとう』っていう顔をしてくれたけど、(心電図の)モニターの数字がゼロになって…。最期まで笑顔で『がんばるよ』っていうサインを送ってくれた」と号泣した。

 それでも、日本中に笑いを届けた名コンビだけに、病室でも最後の漫才を繰り広げていた。

 死去の3日前の検診で看護師が「里谷正子さん?」と確認すると、いくよさんが「はい、里谷正子です。28歳」とボケ、くるよは「ナイス! ギャグやん!」と

絶賛。そのやり取りが2人の最後の会話となった。さらに、芸人として送り出したいというくるよの願いもあり、棺の中のいくよさんにはトレードマークの厚化粧が

施された。弔問した桂文枝(71)も「キツすぎるんちゃうか」と驚いた。

 

 2人は2009年にくるよが心筋梗塞で倒れた際、いくよさんが看病するなど、

高校時代から公私ともに支え合った同級生。くるよは「日本一の相方とやって

こられてほんまに幸せでした」と感謝し、今後については「まだ考えられないけど、

私がんばるから見ててや」と相方に誓った。

 

 30日の葬儀・告別式では、いくよさんが治療で我慢していたタバコやビールが

棺に納められる。後日、大阪市内でお別れの会が開かれる。

 

★数少ない大御所女性漫才コンビ

 今いくよ・くるよは女性漫才師の先駆け的存在として知られ、1973年に初舞台。

80年代の漫才ブームで全国区となった。同時期には春やすこ・けいこ、

海原さおり・しおりら多くの女性漫才コンビが活躍したが、ほかのコンビが次々と

解散していく中、長年、大阪・なんばグランド花月を中心に舞台に立ち続け、

現在では数少ない関西の大御所女性漫才コンビとして活躍していた。

 

 

今いくよさん死去 67歳胃がん 17日前まで舞台

 

漫才コンビ、今いくよ・くるよの今いくよさんが28日午後5時58分、胃がんのため、大阪府内の病院で亡くなっていた。67歳だった。昨年9月に胃がんが判明し、同11月に舞台復帰。今月11日まで舞台に出演していた。29日には京都市内で通夜が行われ、相方の今くるよが涙声で「日本一の相方や」と叫んだ。

葬儀・告別式は今日30日、密葬で行われる。

通夜に参列後、取材に応じたくるよが、いくよさんが亡くなるまでの様子を明かした。

 「亡くなる3日前(25日)の朝、看護師さんが名前を確認したら、いくよちゃん

『 里谷正子 28歳 』って! 看護師さんも大笑いして、いくよちゃんうれしそうに

してはった。漫才師やね」

いくよさんは、20日に自宅で腹痛を訴えたという。府内の病院で検査を受け、

そのまま入院。病床でもギャグを忘れず、周囲に心配をかけまいとしていた。

だが、26日から意識が薄れ、くるよが足をマッサージしても反応なし。それでも、「さっきまで元気やった。絶対治る」と信じたが、かなわなかった。

最期はくるよらがみとった。

 

 いくよさんは昨年9月7日、体調不良を訴え、検査の結果「進行性の胃がん」と

判明。手術はせず、抗がん剤治療を続けた。親しい関係者によると「年を越すのは

厳しい」との見立てもあったが、約3カ月の休養を経て同11月、よしもと祇園花月で復帰。本拠地の大阪・なんばグランド花月には、今月11日まで出演。

「病院でつらいのは、素顔を見せること」と、厚化粧を引き合いに笑わせてもいた。

楽屋でも体調不安は一切見せなかった。一方で、近しい後輩芸人には「抗がん剤な、

6回やらなあかん。もう1回あんねん。しんどいわ」と漏らしていた。

 

 70年に今喜多代に入門し、京都明徳高の同級生で同じソフトボール部だったくるよとコンビ結成。73年に初舞台を踏み、下積みを経て、漫才ブームの立役者となった。いくよさんは4番センターでキャプテン。「私、ピッチャーでエース。

くるよちゃん、キャッチャーでロース」。高校時代を表したネタは有名だ。

 

 2人は舞台後の行動、私生活でもほぼ一緒。「仕事も取材もコンビで受ける」

姿勢を貫いた。09年にはくるよが心臓発作で倒れたが、いくよさんの闘病中同様に

単独の仕事を受けなかった。

 くるよは、今後について「まだ考えられない。女優か歌手になるんやったら、

また言うわ」と、いくよさんにならい、笑いをまじえた。心残りは再来年にも

予定していた45周年公演が実現しなかったこと。「(45周年まで)あとちょっと、

頑張ろうと言ってたのに」と無念さも口にした。

 

 ひつぎの中のいくよさんは担当メークが化粧をし、トレードマークのつけまつげも着けた。この日も「漫才師・今いくよ」だった。くるよは「日本一の相方や。

私は大幸せや。天国にまっすぐ行きよし」と、京都弁で語りかけた。【村上久美子】

 

 ◆今いくよ・くるよ いくよさんは、1947年(昭22)12月3日、京都市生まれ。

高校卒業後、会社勤めを経て70年、2人で今喜多代に弟子入り。73年に初舞台。

やせすぎと厚化粧のいくよさんがハスキーな声で怒り、ぽっちゃり体形のくるよは、おなかをポンとたたくスタイルで人気を博した。互いのルックス、ファッションなどを突っ込んだが、他者の悪口をネタにしないのが信条。「上方漫才大賞」(84年)「上方お笑い大賞」(86年)「花王名人大賞」(88年)など受賞多数。

 

 

今いくよさん告別式、相方・今くるよ「ありがとう!」と号泣

ORICON NEWS

 

 漫才コンビ、今いくよ・くるよとして活躍し、28日に胃がんのため亡くなった

漫才師の今いくよさん(本名:里谷正子さん、享年67)の葬儀・告別式が30日、

京都市内で営まれた。家族・近親者のほか、相方の今くるよ、間寛平、宮川大助・花子、西川ヘレン、西川忠志、西川かの子、シルク、さゆみ・ひかりら、

ゆかりの深かった芸人仲間ら約120人が参列した。

 

 いくよさんの戒名は「萬華院喜香正蓮大姉(まんげいんきこうしょうれんだいし)」。告別式でくるよは、棺に眠るいくよさんに紙コップに入れたビールを口づけ、涙ながらに「ビールもたばこも我慢してたから」と話しかけた。献花の際には、最後に棺の上に花束を置き、「いくよちゃん、ありがとう! 大好きな花やで!

( 天国に向かって )真っすぐ! 真っすぐ行って!」と呼びかけた。