日刊ゲンダイ 公開日: 更新日:
「お千代さん」の愛称で親しまれた歌手の島倉千代子が8日午後、
肝臓がんのため亡くなった。享年75。
島倉は1955年に「この世の花」でデビューすると、57年から86年までNHKの
紅白歌合戦に連続30回出場。「東京だョおっ母さん」(57年)、「ほんきかしら」(66年)などヒット曲を連発。87年にリリースした「人生いろいろ」は130万枚の
大ヒットを記録し、その後、紅白の出場回数を35回まで伸ばした。
デビュー以来60年近くにわたり出した曲は1500以上。紛れもない昭和歌謡を
代表する “大物歌手” だが、私生活は「いろいろ」あり過ぎた。
デビュー当時、まだ高校生だった島倉は先輩たちから猛烈にいびられたり、
自宅に爆発物を仕掛けられたりと散々な目に遭っていたという。
芸能評論家の肥留間正明氏がこう言う。
「島倉の人生を語るうえで欠かせないのが、男運の悪さと借金苦です。何度か彼女をインタビューしたことがありますが、良く言えばお人よし、厳しい言い方をすれば
大ざっぱな性格で、思慮が足りない。だから、何度も悪い男に捕まってしまう。
しかも、それで借金を背負わされても懲りずに同じことを繰り返していました」
最初の “だめんず” は1963年に結婚した藤本勝巳。阪神の4番打者で人気者だったが、水商売に手を出して事業に失敗。島倉は6年後に協議離婚するまでに3人の子供を妊娠中絶、6000万円の借金までかぶることになる。この直後に現れたのは、
かつて島倉を救った人。島倉は藤本と結婚する前、観客が投げたテープの芯が
目に当たり失明の危機に瀕した。その際に治療を施した眼科医である。
「命の恩人ですから、島倉も幸福になれると思ったのでしょう。ところが違った。
副業で営んでいた不動産業に失敗。手形に裏書きしてしまった島倉は総額4億3000万円にも及ぶ借金を背負わされることになります」( 芸能ライター )
1977年に始まった島倉の “借金返済人生”。90年には、利子を含め15億円にまで
膨れ上がった借金を完済したが、05年には著書のギャラ振り込みをめぐって
再び問題が発生。トラブルにようやくメドがついたのは去年のことだ。
この間、小児マヒで体の不自由だった最愛の姉が入水自殺したり、93年に乳がんと
診断されたり、次々と不幸が島倉を襲った。
「眼科医と別れてからも、島倉のだめんず人生は終わりませんでした。
80年代は8歳年下の作詞家、90年代は乳がんの闘病生活を支えてくれた9歳年下の
一般男性と交際しましたが、長続きしませんでした。晩年は生まれてこなかった
3人の子供を熱心に供養していたそうです」(音楽業界関係者)
人生そのものが演歌だったのではないか。
< 身寄りなかった寂しい晩年 >
所属レコード会社の日本コロムビアによると、島倉の肝臓がんは2010年に
見つかり、その後、入退院を繰り返していたという。
今年は6月に入院し、10月中旬に退院、今月6日に体調が悪化し再入院した。
家族がいない島倉は女性マネジャーと知人にみとられ、息を引き取った。
遺体は島倉が公私のあらゆる面で相談してきた住職のいる都内の寺院に安置された。
数年前まで41歳年下の所属事務所の社長を “息子”と呼んでかわいがり、
全幅の信頼を寄せていたが、最後まで一緒にはいられなかったようだ。
【補足】
1963年プロ野球阪神の藤本勝巳選手と結婚。
その後、すれちがいから別居状態になり1968年に離婚しました。
1975年知人に頼まれ実印を渡してしまったことから、マネージャーや
知らない人まで沢山の保証人になり多額の負債を抱えてしまったそうです。
借金は総額で10億円を超えるまでに膨れ上がってしまったそうです。
美空ひばりさんから「実印は貸すな」と釘を刺されたそうです。
「人生いろいろ」は、そんな苦労をした島倉さんの人生もたぶってヒットにつながった。
細木和子さんの関係は?
借金返済に関して、細木数子さんが4億円あった借金を
1億5000万に減らし、それを肩代わりしました。
その肩代わりとして島倉さんの興行権を手に入れ、
芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立。
細木数子さんは、社長に就任し、莫大な興行収入を手に入れていたとのこと。
当時の島倉千代子の出演料は、必死で働いて年間2億2000万。
本当に1億5000万に減らされたのなら、1年働けば、借金は返済できたはず・・・
その後、働いても働いても借金は減るどころかどんどん増えていき・・・
1977年4億円を1億5000万に減らした
↓
1980年5月
16億円を6億円に減らしてやった という話にすりかわっていたとか!
数年後これに見かねた島倉さんの知人が昭和56年にコロムビアミュージック
( 現コロムビア ソングス ) に、残っていた1億円の借金を肩代わりし
事務所を移籍することで借金問題が決着したようです。
島倉さんから、細木さんの話題を一切口にしなくなったそうです。
その後、コロッケさんのモノマネの影響で多くの年代の人に
知れわたるようになり、島倉さんの人気は不動のものとなっていきました。
離婚、借金、乳がん…「人生いろいろ」島倉千代子さん急死
8日午後0時半、肝臓がんのため東京・目黒区の東京共済病院で死去した。
75歳だった。3年前から入退院を繰り返していたが、先月に一時退院後、新曲の録音も行っていた。プロ野球選手との離婚、多額の借金、さらに乳がん…。
壮絶な人生いろいろを経験しつつ、品のある澄んだ歌声で人々を癒やし続けた。
歌謡界の大輪が突然、散った。所属レコード会社、日本コロムビアによると、この日朝、容体が急変。所属事務所の女性スタッフに看取られ、眠るように亡くなった。
今月6日、島倉さんがスタッフに「体調が悪いので来てほしい」と自宅から電話。
再入院し、一進一退を繰り返していた矢先だった。
肝臓がんと告知されたのは3年前。ごく少数の関係者にしか打ち明けていなかった。その間、3度の冠状動脈手術を受けたが、今年に入って肝硬変を併発。
5月から仕事をセーブし、公の場は6月21日の宮崎・延岡公演が最後となった。
死を覚悟していたようで、通夜は密葬とし、香典は断るようスタッフに伝えていた。
ただ、来年のデビュー60周年に向け、復帰への意欲は衰えなかった。先月中旬に
一時退院した後、自宅で作詞・喜多條忠(66)、作曲・南こうせつ(64)の
記念曲「からたちの小径(こみち)」を録音。
遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語った。
幼いころから波乱の人生だった。第二次大戦中の7歳のとき、長野県の疎開先で
転び、左手首を47針も縫う大けがを負った。傷跡が残って引っ込み思案となり、
学校でいじめに遭った。しかし、軽いポリオ(小児まひ)で足の不自由だった姉の
歌手を目指す夢を受け継ぎ、高校在学中に歌謡コンクールで優勝。
1955年に「この世の花」でデビューした。
その後は、ひばりさんからも妹同然にかわいがられた。
力強く天才肌のひばりさんに対し、泣き節といわれる哀愁を帯びた歌いぶりで、
ひばりさんと昭和の歌謡界を牽引。「お千代さん」の愛称で親しまれた。
デビュー曲のほか「藤本さんとの間に3人の子を宿したが、苦悩の末に産まなかった。
99年に紫綬褒章を受章した際、「歌が生きがいだったから続けてこられた」と
話す言葉に実感がこもっていた。
この世に生を受けなかった子供3人に「しのぶ」という共通の名をつけ、
「しのぶは心の支えです」と涙ながらに語ったことも。今ごろは、子供たちや
亡き姉、両親ら家族と天国で手を取り合っているに違いない。
島倉千代子の夫(旦那)や子供は?細木数子に従順?2024
それに余談になるのですが、「積木くずし」のモデルとなった穂積由香里さんは、
唯一心を許したのが島倉千代子さんだったといいます。
( 積木くずしに出演の島倉千代子さん )
島倉千代子さんは生前、俳優の穂積隆信さんと親交があり、テレビ「積木くずし」
にも本人・島倉千代子役で出演していました。
テレビシーンにもありましたが、子供がいない島倉千代子さんは、非行少女でも
穂積由香里さんのことを信用し、親身になって相談に乗ったりしていたから、
唯一心を許す相手だったのです。
島倉千代子の晩年
結局、島倉千代子さんの結婚生活はわずか5年で幕を閉じています。
離婚後、一旦家族の元に帰るも、追い返されてしまいます。
理由は、藤本勝巳氏と周囲の反対を押し切って結婚したから。
家族から絶縁されてしまった島倉千代子さんは自分の戸籍をつくったのです。
そして、めげることなく歌い続けるのですが、1993年55歳の時に初期の乳癌が
判明。しかも放射線治療の影響で声が出なくなったこともあったといいます。
そんな島倉千代子さんの晩年は、治療を終えた後も歌い続け、2010年に肝臓がんが
発覚。その後は手術、入退院を繰り返していましたが、容体が悪化し、
2013年11月8日午後0時30分、肝臓がんのため死去したのでした。
島倉千代子の生い立ち
島倉千代子さんの生い立ちを簡単にまとめると、出身は東京品川区。
1938年、二男四女の四女として誕生しました。
そんな島倉千代子さんは、幼い頃から歌手を目指していたといいます。姉に歌を
習い、13歳の時には地元商店街を盛り上げようとバンドを組み、ボーカルを担当。
その後、歌謡コンクールで優勝し、16歳のときにデビュー。
島倉千代子の借金問題を細木数子が持ち逃げ?
島倉千代子さんを悩ませた借金問題は1975年から始まります。
知人やマネージャー、顔を知らない人などの保証人になったことで、
莫大な借金を背負うことになったのです。その額は16億円。
と言われていますが、正式な総額は分かっていません。
また、2021年11月8日、呼吸不全のため亡くなった細木数子さんとの関係ですが、
借金問題でその後に確執が生じています。
原因は、借金を抱えた島倉千代子さんの後見人に細木数子さんの内縁の夫がなった
こと。( 細木数子さんの内縁の夫は某反社会的勢力の組長。)
細木数子さんの内縁の夫は当時、借金を抱えた島倉千代子さんのところへ取り立てに来た反社会的勢力の人間を盾になって裁いた。さらに、細木数子さんが島倉千代子さんの借金4億円を1億5000万に減らし、それを肩代わりしたのです。以来、島倉千代子さんは、自分を守ってくれた細木数子さんの言いなりになってしまったそうです。
( 若い頃の島倉千代子さんと細木数子さん )
そして、島倉千代子さんの興行権を握った細木数子さんは、1977年に芸能プロダクション「ミュージックオフィス」を設立。コロムビアに移籍するまでの3年間、
島倉千代子さんを利用し、莫大な興行収入を手に入れたとされています。
なお、細木数子さんが島倉千代子さんの稼いだ金を持ち逃げしたと言われているのは、すでに借金を返し終わっているのに働かせていたから。それに、残っていた借金を移籍先のコロムビアが肩代わりしているので、島倉千代子さんの借金問題は、
事務所を移籍しない限りいつまでも決着しないままだったのです。
また、島倉千代子さんは2007年にも事務所のスタッフに資産を持ち逃げされ、
再び多額の借金を抱えています。
とにかく、借金問題が残っている間、仕事を選ばず寝る間も惜しんで働いたという
島倉千代子さんは、人がいいため、騙されることが多かったそうです。
芸能評論家の鬼澤慶一さん(77)によると・・・島倉さんは20年以上前から
肝臓を悪くしていて、自分で注射を打ちながら闘病されていたそうです。
体調がどんなに悪いときも決して弱音を吐かなかったそうです。
どんな理由があって中絶したのか分かりませんが、お千代さんは本当は産みたかったのでは?だから、3人の子供を「しのぶ」という共通の名前にして、心の支えにして
生きてこられた。そして、どんなに苦労しても耐えてこれたんですね。
島倉千代子さんの死後8年後の同じ月日に細木数子さんが亡くなっていました。
私の誕生日、11月8日と次の日の9日に瀬戸内寂聴さんが亡くなっています
細木さんは、TVで島倉千代子さんのことをボロクソに話していました。
あんなに相談に乗ってあげて、借金も減らしてあげたのに、最後何も言わずに
出て行ったと言っていたのに、真実は真逆だったと知りました
そのことに、何も反論しなかった島倉さんは、本当にお人好し。
今頃、天国でみんなと仲良くして、楽しく歌でも歌っているのかな?
そして、亡くなった3人の子供に出会えていたらいいですね
ご冥福をお祈りいたします。
純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、
体を動かしにくくしない、転ばさない、痛くしないで ) 人の言葉を言わさないで
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて
( あの三女、私をあの子に近づけようと、刀で相手をバッサリ切らす様にしてくる )
本当に、人に迷惑がかかる言動行動は止めて。心に入って来ないで、広げないで。
人に体調不良やネガティブな感情を持って来ない。口臭も。咳込まさない。やる気を取らない、人の後ろに憑かない憑依しない、心を読まない、言ってこないで
思考低下させない、胸にモヤモヤさせない、情報を吸い上げないで。トイレ関係も。
言葉使いが乱暴。人をバッサリ言葉で切らない。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、頭をボーっとさせないで、笑い上戸にしない。人に言われたことを他人の心の中に持って来ないで、響かせないで
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
私が寝てると思って、いろんなことを言うの止めて、負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。毒舌禁止、散財禁止
自分が言わせたい言葉を人に言わせない。乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで
頬を麻痺させない!唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、言わさないで
あの親子、水晶を使って人を脅さない。過保護にしないで!。個人情報保護法、
プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで!人の為に使って、
決して悪いように使わないで。日本には、言論の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさないで、自意識過剰、被害者意識が酷い )
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
首を痛くしないで!長女のパワーを持って来ないで!使わないで!
上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
いつもありがとうございます。
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