事件の真相・証人喚問・田中角栄など 2019年6月13日
ロッキード事件とは?
(田中角栄首相とニクソン大統領 出典:Wikipedia)
ロッキード事件とは、1976年(昭和51年)に発覚したアメリカの航空機製造会社で
あるロッキード社が自社の航空機を採用してもらうため世界各国の政治家に
賄賂を渡していた事件です。
日本では当時の前首相である田中角栄がロッキード社から5億円の賄賂を受け取った
とされ、逮捕・起訴されました。その後、田中角栄は裁判で実刑判決を受けます。
田中角栄は控訴しますが、2審も1審を支持、最高裁で裁判中に田中角栄が死去した
ことにより、1993年に棄却されました。
ロッキード事件発覚までの流れ
(ロッキード社“全日空のトライスター” 出典:Wikipedia)
①ロッキード社の状況
ロッキードは戦闘機などの軍事用の航空機をたくさん生産していました。
しかし、ジェット機化の流れの中で民間の旅客機では市場のシェアを取れずに
苦戦していました。ロッキードは、起死回生のため新型の旅客機を開発します。
それがトライスターでした。
トライスターは、ロッキード社で初めて作られたジェット旅客機で、ロッキードが
持っている軍用機の技術がふんだんに使われた画期的な飛行機でした。
ベトナム戦争が終結すると軍用機の売上比重が高いロッキードは経営的にも苦しく
なります。トライスターが社の命運を握る存在になったのです。
しかしながらボーイングやダグラスといった他社との受注競争にさらされます。
そこでロッキードは、トライスターを採用してもらえるようにいろいろな
国の政治家や航空関係者に接触をとります。
日本の場合は全日空(ANA)が新しい大型機を選んでいる最中だったので、
ターゲットにされました。
②チャーチ委員会
全日空では騒音面での優位性もあり、トライスターの発注を決めます。
トライスター納入の2年後、アメリカの上院で開かれたチャーチ委員会という
外交委員会でロッキード社が世界各国へ賄賂を渡していたことが発覚します。
その中で全日空へも30億円が渡されていたことが明らかになりました。
しかも、ロッキード社の日本での代理人になっていた児玉誉士夫から実業家の
小佐野賢治や商社の丸紅を通じて、前首相の田中角栄に5億円が渡っていたのです。
(児玉誉士夫 出典:Wikipedia)
全日空のトライスターだけでなく、自衛隊の飛行機でもロッキード製のものを
採用してもらうためでした。当時、哨戒機を国産にするという話が出ていたのです。
ロッキード事件の経過
①証人喚問
事件発覚後、関係者が国会に証人喚問されます。
国民から注目を集めたものの、小佐野賢治は「記憶にございません」を連発、
何も明らかににはなりませんでした。小佐野としては嘘をつけば偽証罪に問われ
ますし、事実を述べれば迷惑をかける人がいるのでこういう対応を取らざるを
得なかったのでしょう。この言葉は当時の流行語にもなりました。
事件の資料などはアメリカ側にあり、それをもらわなければ
日本側は捜査も進めることができなかったのです。
②田中角栄の逮捕
事件発生時の首相は三木武夫。三木は角栄の後任として首相になっていました。
それには、このような経緯がありました。
田中角栄が金権問題で退陣したあと、後任の選定が副総裁の椎名悦三郎に
委ねられます。角栄のライバルの福田赳夫と角栄の盟友の大平正芳の
二人の有力者がいましたが、どちらにしても自民党が分裂すると
考えた椎名は三木武夫を後継に指名します。
(三木武夫 出典:Wikipedia)
しかし、三木は小派閥のリーダーでしたので党内基盤は脆弱。彼は国民の関心が高いロッキード事件を利用して国民の支持を集めようとしたのです。
三木は捜査を積極的に進めようとします。これに対して角栄に近い議員たちを
中心に三木内閣を退陣させようと反発。いわゆる三木おろしが行われます。
田中派だけではなく自民党内のほとんどの派閥が三木おろしに参加するなか、
国民やマスコミの批判を頼りに三木はふんばります。
このような状況の中、ついに角栄は逮捕されることになりました。
角栄逮捕後、三木は首相の専権事項である解散権を行使することができず、
戦後初の任期満了に伴う衆議院選挙が行われました。
ロッキード事件に関する自民党のゴタゴタを見ていた国民は愛想を尽かし
自民党は8議席減の敗北。責任を取って三木は首相を辞任します。
ロッキード事件の裁判
①田中角栄
逮捕された角栄は起訴され、保釈金を払います。
裁判そのものは翌年開始され、世間の注目を集める中、1983年懲役4年、
追徴金5億円の有罪判決が下されました。
角栄は判決を不服とし、控訴。また国会議員の辞職も拒否しました。
元首相が有罪判決を下されたことを受け、国会で野党が反発。
当時の中曽根内閣は事態収拾のため解散総選挙を選択します。
角栄は自己最高の票を集めトップ当選しますが、自民党は過半数割れ、
新自由クラブと連立を組むことになりました。
裁判のほうは控訴が棄却され、角栄は上告しますが
裁判中に角栄が死去し公訴棄却となりました。
②児玉と小佐野
事件の中心人物であった児玉誉士夫は、証人喚問も病気を理由に欠席。
裁判も同じ理由でほとんど進みませんでした。
以後ほとんど自宅に引きこもることになり、1984年に児玉は亡くなります。
小佐野も懲役1年の実刑判決を受け、控訴するものの1981年に亡くなり
こちらも公訴棄却となりました。
③丸紅
丸紅は総合商社としてロッキードとの仲介役を担っていました。
自衛隊の哨戒機が国産になってしまうと、手数料が入ってきません。
丸紅としてもロッキードの飛行機を採用してもらったほうがいいのです。
そういう理由で丸紅社長の檜山廣はロッキード社からお金を出させ、
角栄に渡したとされたのです。いわゆる「丸紅ルート」です。
彼も最高裁で実刑が確定しますが、年齢が高かったため収監はされず
2000年に亡くなりました。
④全日空
全日空はロッキードから受け取ったお金の一部を政治家に配っていました。
そうすることで、自社に有利に計らってもらおうとしたのです。
これは、元のお金がロッキード社から出ていたというだけで、
賄賂の目的は全日空のためでした。こちらは「全日空ルート」と呼ばれます。
受け取ったとされた政治家も全日空側の人間も有罪判決を受けました。
ロッキード事件の与えた影響
ロッキード事件は首相が関係した疑獄事件ということで大きな影響がありました。
そのため政治的な混乱も起きました。
ロッキード事件の対応を巡って政府や自民党が混乱したのはそのためでした。
それだけ田中角栄の存在感が大きかったのです。
(田中角栄 出典:Wikipedia)
彼は金権政治と批判される面もありますが、政治家として
人望も能力もある人物でした。
事件そのものがアメリカ発のものであったために、十分な捜査ができたわけでも
なく、関係者が相次いで亡くなったために真相がはっきりしない面もあります。
そのため、陰謀論が未だに残っているのも事実です。
重要な資料が誤送されたことでロッキード事件が発覚したことや、金銭の授受方法が大金の割にずさんなことから何か裏があるのではないかと憶測を呼んでいます。
田中角栄が石油を巡り中国やソ連と接近する政策を取ろうとしたことから
アメリカに失脚させられたという説もあるくらいです。
事実が何か誰にもわかりませんが、角栄が失脚していなければ、
その後の日本の姿がまた違っていたものになっていたことでしょう。
角栄は将来の国家設計ができる数少ない政治家の一人であったと思います。
ロッキード事件によって角栄の負の面が
クローズアップされてしまったのは残念です。
まとめ
✔ ロッキード事件とは世界規模でおきた疑獄事件のこと。
✔ ロッキード社のトライスターを採用してもらうために
各国首脳に賄賂が送られた。
✔ 日本では全日空に採用してもらうべく、ロッキードから
金をもらった人物がいた。
✔ その中に前首相の田中角栄がいたことが大問題になった。
✔ 政敵の三木武夫は自己の権力基盤を強化すべく真相解明に奔走。
✔ 親田中派と反田中派で自民党に内部抗争が起こった。
✔ 関係者は裁判で有罪判決が下された。
✔ 事件の発生過程や状況には謎があり、陰謀論も残っている。
ロッキード事件の年表
1976年( 昭和51年 )
- 2月4日
- 米国上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会で
- ロッキード社が航空機売り込みのための対日工作を証言
「ピーナッツ100個受領」の領収書公表 - 2月6日
- ロッキード社コーチャン副会長が「丸紅・伊藤宏専務に
- 支払った金が政府高官に渡った」と証言
- 2月16日
- 衆議院予算委員会で証人喚問が始まる
- 2月18日
- ロッキード事件で初の検察首脳会議が開かれる
- 2月24日
- 検察庁、東京国税局、警視庁の三庁合同で丸紅本社や児玉邸など、27か所を
- 一斉捜索。三木武夫首相、フォード米大統領に資料の提供を求める親書を送る
- 3月1日
- 衆議院予算委員会で第二次証人喚問
- 3月4日
- 児玉誉士夫の臨床取り調べ開始
- 3月13日
- 児玉を約8億5374万円分の所得税脱税で起訴
- 3月23日
- 児玉邸に小型機が自爆攻撃、操縦していた自称右翼の男が死亡
- 3月24日
- 米国からの資料提供に関する日米司法取り決め調印
- 4月2日
- 田中角栄前首相、田中派の「七日会」臨時総会で「所感」表明
- 4月10日
- 米国からの資料が検察庁に到着
- 5月10日
- 児玉誉士夫を外為法違反で追起訴
- 5月13日
- 自民党の椎名悦三郎副総裁、田中前首相、大平正芳蔵相、福田赳夫副総裁が
- “三木(首相)おろし” を画策していたことが判明
- 6月10日
- 児玉の通訳、福田太郎が死亡
- 6月22日
- 特捜部、偽証罪で丸紅・大久保利春前専務を逮捕
同地検と警視庁、全日空・澤雄次専務ら3人を外為法違反で逮捕 - 7月2日
- 特捜部、丸紅・伊藤宏前専務を偽証罪で逮捕
- 7月7日
- 特捜部、全日空・藤原亨一取締役を外為法違反で逮捕
- 7月8日
- 特捜部、全日空・若狭得治社長を外為法違反と偽証罪で逮捕
- 7月9日
- 特捜部、全日空・渡辺尚次副社長を偽証罪で逮捕
- 7月13日
- 特捜部、丸紅・檜山廣前会長を外為法違反で逮捕
- 7月27日
- 特捜部、田中前首相、榎本敏夫元首相秘書を外為法違反で逮捕
田中前首相、自民党を離党 - 8月2日
- 田中前首相の私設秘書兼運転手・笠原政則の自殺体発見
- 8月16日
- 田中前首相を受託収賄・外為法違反で起訴
丸紅・檜山、大久保、伊藤を贈賄で起訴 - 8月17日
- 田中前首相、保釈(保釈金2億円)
- 8月20日
- 特捜部、佐藤孝行・元運輸政務次官を受託収賄容疑で逮捕
- 8月21日
- 特捜部、橋本登美三郎・元運輸大臣を受託収賄容疑で逮捕
1977年(昭和52年)
- 1月21日
- 小佐野賢治・国際興業社主を偽証で起訴
児玉誉士夫を脱税、外為法違反で起訴 - 1月27日
- 丸紅ルート 第一回公判 田中、榎本は5億円の受領を否認
- 6月2日
- 児玉誉士夫 審理開始
1981年(昭和56年)
- 11月5日
- 児玉ルート東京地裁判決、小佐野賢治 懲役1年(控訴)
1982年(昭和57年)
- 1月26日
- 全日空ルート東京地裁判決
若狭得冶 懲役3年・執行猶予5年(控訴)
渡辺尚次 懲役1年2か月・執行猶予3年(有罪確定) - 6月8日
- 全日空ルート東京地裁判決
橋本登美三郎 懲役2年6か月・執行猶予3年・追徴金500万(控訴)
佐藤孝行 懲役2年・執行猶予3年・追徴金200万円(控訴)
1983年(昭和58年)
- 10月12日
- 丸紅ルート東京地裁判決
田中角栄 懲役4年・追徴5億円(控訴)
榎本敏夫 懲役1年 執行猶予3年(控訴)
檜山廣 懲役2年6か月(控訴)
伊藤宏 懲役2年(控訴)
大久保利春 懲役2年 執行猶予4年(控訴)
1984年(昭和59年)
- 1月25日
- 児玉誉士 夫死亡につき公訴棄却
- 4月27日
- 児玉ルート東京高裁判決
小佐野賢治 懲役10か月・執行猶予3年(上告)
1986年(昭和61年)
- 5月14日
- 東京高裁、佐藤孝行に対し、控訴棄却(上告取り下げ有罪確定)
- 5月16日
- 東京高裁、橋本登美三郎に対し、控訴棄却(上告)
- 5月28日
- 東京高裁、若狭得治に対し、控訴棄却(上告)
- 11月12日
- 小佐野賢治 死亡につき公訴棄却
1987年(昭和62年)
- 7月29日
- 丸紅ルート東京高裁判決
伊藤宏 懲役2年・執行猶予4年(上告せず有罪確定)
大久保利春 懲役2年・執行猶予4年
(伊藤以外の被告人は上告)
1990年(平成2年)
- 2月13日
- 橋本登美三郎 死亡につき公訴棄却
1991年(平成3年)
- 12月17日
- 大久保利春 死亡につき公訴棄却
1992年(平成4年)
- 9月18日
- 最高裁、若狭得治に対し上告棄却(有罪確定)
1993年(平成5年)
- 12月24日
- 田中角栄 死亡につき公訴棄却
1995年(平成7年)
- 2月22日
- 最高裁、榎本敏夫および檜山廣に対し、上告棄却(有罪確定)
ただし、コーチャンらの嘱託尋問調書については証拠能力を否定 - リクルート、ロッキード事件は、政治家がお金(賄賂、株)絡みで
- 逮捕者や自殺者や死人が多く出ていますが・・・墓場まで持って行った?
- ロッキード事件は、ずさんなことが多く真相が分かりませんが、
- 今夜また別の角度から見て行きます
- ブログ書いている時に、邪魔をしてこないで。思考低下、記憶障害、
- 忘れさせないで、ボーっとさせないで。口臭持って来ないで。
- 人のパワーを盗らない、抑えない、利用しないで
- 人の後ろに憑かない、憑依しない、胸をモヤモヤしない。言ってこない
- いつもありがとうございます。
- 最後までお読みいただきありがとうございました