「赤軍派」たちが山村次官に、ハイジャックしてからの自分たちの行動について

語っているのを相原航空機関士が聞いていた。

「最初、乗客を後手に縛っておきながら途中で合掌手に縛り直したのは、抵抗さえしなければ

安全なんだ、北にすぐ向かわせないのは日韓両政府がけしからんからだという意識を植えつけるためだったと述べ、差し入れの弁当を先に乗客に食べさせ、自分たちはその後もしばらく

食べなかったのは弁当の中に睡眠薬などが入っていないかどうかを見るためだったことなど、

乗客が知ったら激怒するだろうということをむしろ誇らしげに述べたてた」(『中継現場』)

[赤木] 「合掌手に縛り直した理由や弁当をすぐに食べなかった理由など、(山村次官に)

まったく話してもいないし、事実と合致していません。最初から合掌手に縛っており、

長時間になったので途中で乗客の皆さんがきついだろうと思い、田宮氏の指示で

それを緩めるために縛り直した。また、弁当を配るのは私(赤木)が担当していたが、

それまで水もなければ、空調もない、食事もない中で皆が疲れ切っているところ、

やっと弁当が差し入れされたのですぐに配り終え、私はそれで安心してしまった。そのとき

(すでに)弁当を食べていた田宮氏から私に『何しとる、早く食べんかいな』と言われて、自分も食べなければならないことに気づいた次第。だから、時間的には乗客と一緒に食べています」

魚本もこの点について「事実に反しており、相原氏の勝手な想像にすぎません」と強く

反発している。ハイジャックという大罪は犯していても、人質たちには丁寧に対応したという

自負があるのだろう。また実行犯たちには、山村次官への特別な思いがあるという。

[若林] 「これは朝鮮の方から聞いたエピソードですが、以前、山村氏が訪朝されたとき、

金日成主席から『貴方がよど号の “捕虜” として来られた方ですか?』と尋ねられたという

話を聞きました」

これは山村新治郎が、「よど号ハイジャック事件」の20年後に北朝鮮へ行った時の話だ。

1990年9月の通称「金丸訪朝団」と呼ばれる「自民・社会両党訪朝代表団」に、

は副団長として参加したのだ。この時に自民党・社会党と朝鮮労働党による「3党共同宣言」が出され、日朝国交正常化に向けて動き出した。1992年4月には、山村を団長とする「自民党

代表団」が訪朝することになった。その際に、田宮高麿と会うことになっていたという。

[若林] 「私たちは数十年ぶりの『旧友』との再会を期待しました。ですが、出発前夜に

(山村氏が)長女に刺されて殺されるという事件が起きました。落胆と共にご冥福をお祈り

したことは記憶に新しいです。『旧友』との再会が叶わなかったことと同時に、日朝友好及び『よど号』帰国問題に力を発揮できる貴重な自民党政治家を失ったという喪失感がありました」

「よど号」犯たちは、金浦空港での危険な事態を解決した山村新治郎を高く評価し、

感謝の気持ちを持ち続けているようだ。

 

小さな滑走路へ強行着陸

「よど号」が、金浦空港からまっすぐに平壌へ飛べば約20分しかかからない。

ところが丁来赫国防部長官は、そのルートを認めなかった。そのため石田機長は、東海岸まで

出てから北上して軍事境界線を越え、再び西へ向かって平壌を目指すことになった。

しかし機長の手元には、板付空港で渡された中学校地図帳のコピーしかなかった。

「石田(機長)が福岡に戻らざるをえないと考え始めていた矢先、ちらちらと町の灯りが見えてきた。小さな滑走路らしいものも見えてきたが、ピョンヤンの飛行場にしては小さすぎる。(略)ついに石田は、その小さな飛行場らしい滑走路に強行着陸する決断をした。その時の心境を石田は、『乗客が乗っていたら絶対に降りませんでした。もしかすると、機体がバラバラに

なってしまうかもしれないとは思いました。山村さんには大変申し訳ないが、九人の赤軍派が死のうがどうなろうが知ったことではないと思っていたのです』と語っている」(『中継現場』)

[小西]「あの時、ピョンヤンの上空は晴れ渡っており、まだ夕闇前で街の灯りは

ほとんど見えませんでした。私の頭には、『ピョンヤンは悪天候だ。

着陸できなかったら日本に帰るしかないがどうするか』と私に迫ってきた石田機長の言葉が

やはりウソだったな、『飛んでくれ』と答えたのは正解だったという思いでした」

 

「日本人村」から望む平壌郊外(2014年9月28日撮影)

 

「車輪が滑走路に触れた途端、シートベルトをしていても身体がちぎれてしまうほどの

衝撃で、相原は車輪が吹っ飛んでしまうのではないかと思ったという。

戦時中、特攻隊の夜間飛行訓練の教官まで務めた石田の、見事な操縦であった。(略)

この空港は旧日本軍が簡易舗装で作った美林(ミリム)という訓練用の飛行場で、

正式なピョンヤン国際空港は四〇キロも離れた順安(スナン)にあった」(『中継現場』)

なお現在の「美林飛行場」は、国の重要な記念日に金日成広場で実施される「軍事パレード」の準備などに使用されている。この飛行場の隣には、「美林乗馬クラブ」が2013年10月完成。

市民のための施設になっており、取材に訪れた私は無理やり乗馬体験をさせられたことがある。

「ついに念願の北朝鮮に着いたというのに、赤軍派の連中は降りようとしない。

江崎が『どうしたんだ』というと、『怖い』と尻ごみする。それを見て江崎は、彼らが事前に

北朝鮮側へ何一つ連絡しておらず、許可も得ていないことを知った」(『中継現場』)

[魚本]「着陸しても何の反応もなく、暗闇の中で闇雲に動くわけにいかず様子をみていたわけです。この時、江崎副操縦士が、私が見てきましょうと言ったのでそのようにしたのであって、

そのような会話はしていません」

[小西]「もともと朝鮮に着いたら、逮捕され拘留されるだろうと覚悟していましたから、

『怖い』と言って尻込みした者は一人もいなかったはずです。ただ、いよいよだと思い

が緊張したのは事実だと思います」

[若林]「『怖いと尻込み』。これは江崎副操縦士の主観ですが、私たちが(機外へ)

出なかったのは、(着陸したのが)郊外の小さな飛行場という想定外のことだったのと、

不法入国者という自覚はあったので、人が来たら指示に従うべきと思ったからです」

 

厳しい尋問と豪勢な料理

「赤軍派」9人と乗務員3人、そして人質1人はバスに乗せられ、平壌市中心部にある

「平壌ホテル」へ連れて行かれた。そして尋問がすぐに始まった。

 

現在の「平壌ホテル」(2019年10月14日撮影)

 

「山村は『職業は』と開かれ、『国会議員です。運輸政務次官です』と答えたが、理解して

もらえなかった。北朝鮮にはそのような職業は存在しなかったからだ」(『中継現場』)

[魚本] 「朝鮮側が理解できなかったのは、朝鮮では日本の国会議員に相当する最高

人民会議代議員は職業ではなく、職業をもちながら代議委員に選出されるからです。

山村氏が『代議士です、衆院議員です』と何回も答えたので、係官が『もういい』と

質問を終えたことを鮮明に覚えています」

「続いて赤軍派の尋問が始まったが、リーダーの田宮高麿が自分たちの同時革命論をとうとうとまくしたてると、『もういい』と話をさえぎり、『結局何がいいたいんだ。残りたいのか、日本に帰りたいのか』と質した。田宮が『しばらくお世話になりたいと思います』と答えると、すべての尋問が終わり、『全員が不法入国者だ』と厳しい口調でいい渡された」(『中継現場』)

[赤木]「朝鮮の安全部幹部から言い渡されたのは『学生たちの滞在を認める』という

話だった。『全員が不法入国者だ』と言い渡したというのはでっち上げです」

北朝鮮が全員を「不法入国者」としたならば、「赤軍派」の9人も追放されたはずだ。

「不法入国者」として追放処分になったのは、山村次官と日航乗務員だけだ。

翌4日に北朝鮮は、「赤軍派」9人を「亡命者」として受け入れると表明している。

 

全員で食事する「よど号グループ」(2014年9月24日撮影)

 

「その(尋問の)あと一三人が案内されるままにホテルの宴会場に入ると、豪勢な料理が

用意されていた。厳しい尋問のあとだけに全員がそのギャップに信じられない気持ちだったが、席についた赤軍派のテーブルから『機長ご苦労』という言葉が飛ぶと、腹に据えかねていた

江崎は『馬鹿野郎、いい加減にしろ』と怒鳴り返した」(『中継現場』)

[小西] 「あの時、私たちは石田機長の操縦術に感嘆し感謝していたので、

このような横柄な言葉は誰の口からも出なかったのではないかと思います」

[魚本] 「食事が始まって、田宮さんを先頭に私達が彼らのテーブルに行き、

『ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました』と挨拶したのであり、『機長ご苦労』

などと声を上げることなどありえません。江崎さんは終始ぶっきらぼうな表情をしており、

心の中では『バカ野郎いい加減にしろ』と思っていたということなのでしょう」

[若林] 「江崎副操縦士が覚えているのだから、そんな言葉を言ったのかもしれません。

でも私の知る限りでは、『犯人と人質』というより無事到着を祝いあうというような雰囲気が

あって、山村次官か石田機長とビールで乾杯した記憶があります。ジェット機では不可能と

思われた美林飛行場に、着陸を見事成功させた石田機長の凄腕には感嘆、感謝してました。

『お疲れさまでした』くらいの言葉をかける雰囲気があったのは事実です」

北朝鮮は、「よど号」を離陸させるためのさまざまな技術的問題を徹夜で解決した。

そして4月5日の午前7時10分。

「北朝鮮の技術者の献身的な協力によって、ついに『よど号』はピョンヤンを飛び立ち、

羽田に向かった。着陸体制に入った時、隣に座っていた相原が見ると、富士山をじっと

見つめる山村の目には涙があふれていたという」(『中継現場』)

3月31日に羽田空港を飛び立った「よど号」は、122時間ぶりに同じ空港へ戻った。

実に長く劇的な旅になった。「よど号ハイジャック事件」はこれで決着したが、

平壌で暮らす「よど号グープ」6人が日本へ戻るまで「よど号問題」は終わらない。

 

「よど号事件」と戦後

久能靖の『実録 昭和の大事件「中継現場」』では、「60年安保闘争」「成田闘争」

「東大安田講堂事件」などと並んで「よど号ハイジャック事件」について記されている。

そのため事件当事者として、歴史的にみた「よど号ハイジャック事件」について聞いた。

 

ハイジャック実行犯たちの近影(2021年2月21日撮影、「よど号グループ」提供)

 

[赤木] 「よど号ハイジャックの当事者として、乗客、乗務員の方々を危険な目に合わせた

ことに大きな責任を感じており、謝罪もしています。当時、武装闘争しか日本の活路がないと

信じていて、国民大衆に依拠し学び、共に闘っていくという視点がまったくありませんでした。

アジア諸国を蔑視し、敵視し、再び戦争を起こすことは絶対あってはならないと思います。

そのために考えや体制の違いがあれ他国を尊重し、アジア諸国と友好関係をつくり、

米国とは対等な関係を確立していくことだと思います。日本はあまりにも米国に隷属的です。

よど号ハイジャック事件は、米日韓の軍事同盟の一端を示した事件でもあります。

『(欧州)拉致』でっち上げも米国の脚本だと考えています。

田中(義三)がでっち上げられた『偽ドル事件』もそうでした」

[魚本] 「今、米国の力が見る影もなく低下し、戦後日本を規定した対米従属では

やっていけなくなっています。『昭和の大事件』を振り返る中で、いかに、それらの

大事件の背後に米国が暗躍していたかを考えてほしいと思います。

それにしても、60年安保闘争以降の『成田闘争』『東大安田講堂事件』などには

私も参加しており、我々の世代はそういう時代(を生きたの)だと改めて思った次第です」

[小西] 「『よど号』ハイジャックは一言で言って、戦後日本の時代的反映であり、

令和の今を生きるための教訓ではないかということです。

その心は、この『事件』のもう一人の主役が米国だったところにあります。

米国が『よど号』の朝鮮行きを阻止しようとしたのは、乗客の中にCIAの人間がいたことが

あるかもしれませんが、朝鮮敵視がその根底にあったのは明確だと思います。

米国の指揮の下に、日本と韓国が動かされる。それは戦後の縮図であり、令和の今も続く

現実なのではないでしょうか。米国による覇権崩壊が見えてきている今日、古い時代の遺物で

ある『ハイジャック問題』と『拉致問題』をともに解決することが問われていると思います」

 

事務所の若林盛亮(左)と小西隆裕(2014年9月26日撮影)

 

[若林] 「日本国民にとって『昭和の大事件』と言えば、『あの戦争』以上のものはないと

思う。 戦後日本は『あの戦争』の敗因を米英国際覇権秩序に挑戦したこと自体に求め

『軍部の暴走』にその責を負わせながら、アジア植民地化とその拡大をめざす侵略戦争という

本当の要因から目を背け、それを教訓化することもしなかった。ゆえに戦後日本は日米安保体制基軸の道、米覇権秩序にひたすら従い、対米従属下で再びアジアに覇を唱える道を選択した。

出発から誤ったこの戦後日本に異議を唱えたのが60年安保闘争、成田闘争、東大安田講堂、

よど号ハイジャック、浅間山荘などであり、そういう意味で久能氏が書かれたこれら『昭和の大事件』を『あの戦争』に対する総括を誤った結果として考える歴史の見直しが求められている。それは優れて今日的問題なのではないかと思う」

北朝鮮へ渡ってから長きにわたり、日本をそれなりに客観的にみてきた「よど号ハイジャック」犯たち。ハイジャック事件があったその時期は、戦後日本にとって大激動の時代だった。

若林がいうように、アジア太平洋戦争に対する真摯な反省をしなかった「戦後」は、

国内でさまざまな大事件を引き起こし、今も続く近隣諸国との深刻な関係悪化をもたらした。

半世紀前の「よど号ハイジャック事件」を検証していて、米国によって今もコントロール

されている日本と韓国の軍事状況を知ってため息が出た。現在、在日米軍は約5万5000人で、

米軍基地は131ヵ所もある。沖縄では辺野古への米軍基地移転で、日本政府と沖縄県との

深刻な対立をもたらしている。そしていまだに米軍は、東京を含む1都9県にまたがる

広大な「横田空域」の航空管制を手放なそうとしていない。

そして韓国では、北朝鮮との戦争が起これば、2万8500人の在韓米軍だけでなく韓国軍も

米軍が指揮をするという異常事態が今も続いている。韓国は、1950年に朝鮮戦争が始まると「戦時作戦統制権」を国連軍最高司令官のマッカーサーに移譲。1978年に創設された

「米韓連合司令部(CFC)」が、韓国軍と在韓米軍を指揮することになったが司令官は

米軍のままであり、韓国軍への移管は目途が立っていない。

日本は敗戦によって米国に占領・統治され、韓国は日本の植民地支配を受けたがゆえに

北緯38度線以南を米国に占領・統治された。その「占領政策」を、戦後76年たっても

引きずっているのだ。こうした日本と韓国の状況は、とても「独立国」とは思えない。

 

終わっていない「よど号」事件

この「よど号ハイジャック事件」で、軍事独裁政権下の韓国において一人の死傷者も

出さなかったのは山村新治郎政務次官の勇気ある決断が極めて大きい。

“次の選挙” のためだけで、できるようなことではない。こうした自己犠牲が出来る政治家は、

与野党を問わずもはや日本にはいなくなってしまったのだろうか。

日本は北朝鮮に対し、日本人拉致が発覚するまでは残留日本人・日本人妻の里帰り、

日本人埋葬地への墓参といった人道問題の解決を強く要求してきた。

ところが今や、当事者たちが高齢化し一刻も早く解決する必要がある

こうした人道問題でさえ取り組もうとする政治家はほとんどいない。

「北朝鮮」に関わることは、アントニオ猪木のように強いバッシングを受けるからだ。

 

森順子(左)と若林佐喜子(2014年9月25日撮影)

 

1971年7月に、リーダーの田宮高麿が「赤軍派」理論の過ちを全面的に自己批判した。

そして現在、ハイジャック実行犯の4人は事件の過ちを認めて謝罪し、帰国して日本で裁判を

受けるとしている。ところが「よど号グループ」6人のうちの3人が、「欧州拉致事件」に

関わったとして国際指名手配されたのだ。

警視庁によれば、1980年5月に森順子と若林佐喜子が石岡亨・松木薫を、1983年7月に

魚本公博が有本恵子を誘って北朝鮮へ連れ込んだとしている。そのため「拉致」での

指名手配を受けていない3人も、帰国を断念せざるを得ない状況になっている。

 

「日本人村」で農作業をする魚本公博(2014年9月28日撮影)

 

「日本人村」で生まれて日本へ帰国した子どもたちへは、外務省から旅券が発給されており、

平壌で暮らす親へ会いに行くことができる。ところが2002年に平壌から帰国したK・Tは、

夫と会うために訪朝を希望しているものの旅券発給を拒否されている。

19年間も会えていないのだ。かなりの高齢となった彼らが、日本の「国益」に反するような

ことをするのは不可能であり、発給拒否は完全に外務省の嫌がらせでしかない。

現在、旅券発給拒否処分の取り消しを求め東京地裁で争われているが、1月19日に

第1回口頭弁論が開かれたばかりなので、結論が出るまでには相当の時間が必要だろう。

日本は隣国である北朝鮮と、解決すべきさまざまな重要課題がある。にもかかわらず、

いまだに国交すらないという異常な状態だ。安倍晋三前首相は、拉致問題を徹底的に

利用しただけで、日朝のどの課題も解決せずに退任。

菅義偉首相は、安倍と共に日朝関係を “ドロ沼” のようにしてしまった。

こうした厳しい状況であっても、人道的課題は政府が決断すればすぐにでも動かすことが

出来るし、それが実現すれば日朝国交正常化交渉再開の大きな契機となり得る。

米国・バイデン政権が北朝鮮に、2月中旬からいくつかのルートで接触を図った。

それに対する “回答” として、3月15日に金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党中央委員会

副部長が、米韓合同軍事演習の実施を強く非難。17日には崔善姫(チェ・ソンヒ)第1外務

次官は、米国による敵視政策が撤回されない限り、どのような対話にも応じないとした。

それだけでなく北朝鮮は、21日に短距離巡行ミサイル、25日には短距離弾道ミサイルを

各2発ずつ発射。現在、北朝鮮政策の見直し作業をしているバイデン政権に対し、トランプ

前大統領と合意した「北朝鮮に安全の保証を与える約束」の履行を求めていると思われる。

こうした状況で米朝・南北関係は、長期にわたって改善されない可能性もある。日本政府は今まで通りに米国の顔色をうかがい、北朝鮮との独自交渉をこれからもしないつもりなのだろうか。バイデン政権がどのような北朝鮮政策を打ち出そうとも、日本は「拉致」「よど号」を含む

日朝間のさまざまな課題解決のために、真剣になって取り組むべきである。

(文中敬称略。撮影年月日の記載がある写真は筆者撮影。『実録 昭和の大事件「中継現場」』からの引用については、著者の久能靖氏と河出書房新社のご協力をいただきました)

 

 

 

江崎さんは終始ぶっきらぼうな表情をしており、心の中では『バカ野郎いい加減にしろ』と

思っていたということなのでしょう」と語っていましたが・・・

よど号をハイジャックした人達と山村さんの記憶が食い違っているのは、あの三女のせい? 叫び

 

1992年4月には、山村を団長とする「自民党代表団」が訪朝することになった。

その際に、田宮高麿と会うことになっていたという。

[若林] 「私たちは数十年ぶりの『旧友』との再会を期待しました。ですが、

出発前夜に(山村氏が)長女に刺されて殺されるという事件が起きました。

 

長女に殺されなければ、もしかしたら日本と北朝鮮の国交正常化や拉致事件などの

問題が解決したかもしれないし、韓国との統一もあったかもしれなですね ムキー パンチ!パンチ!

( そうなれば、歴史が変わったという事になったかもしれない。+人の人生も変わった )

 

ここでも、占い師の母から聞いていたことがありました 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

 

昨日、車を運転中、あの子が「3月中に犬を飼って欲しい」と言ってきてビックリ プンプン パンチ!パンチ!

本当に良い子がいて、この子だと思ったら買う予定で、4月中の1ヵ月と決めている。

 

車の運転中に話しかけてこないで、怒りの感情を持って来ないで。

夕食時前と、23時頃にあの子から連絡があって、また嫌なことを言ってきて・・・

その時に、あの三女が長女の旦那さんの感情や言葉を持ってきて、いい迷惑だから止めて パンチ!パンチ!

 

自分達の計画が上手く行かないからと言って、亡くなった武中さんのことを悪く言わないで ムキー

( あのライティングのどこがいいの?って。私が武中さんのことを言うから?私がそっち方面に行いたいから邪魔したいの? みんなに占い師の母のやり方を教えたから? ) 

嫉妬と自分たちの思う通りにできないから邪魔をしてきたんでしょ 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

2005年3月3日午後6時に愛犬フローレンスが(11歳8日で)亡くなり、

翌日、葬儀をしてもらい、その帰りに3月なのに雪が降ってきたのを思い出しました えーん雪の結晶

 

今夜のブログは、ペ・ヨンジュンの映画「四月の雪」に関連したことを書いて行きます 笑ううさぎ おばあちゃん

 

 

 

純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、

体を動かしにくくしない、転ばさないで ) 人の感情を持って来ないで、言わさないで!ムキー 爆弾 

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!その技術を使わないで!

 

 

その嫉妬と執着、本当に止めて。あの三女とあの子が一緒になって人の後ろに憑くのも。

本当に、人に迷惑がかかる言動行動は止めて。

人に体調不良やネガティブな感情を持って来ない。口臭も。咳込まさない。やる気を取らない、人の後ろに憑かない、憑依しない、入って来ないで。心を読まない、言ってこないで プンプン パンチ!パンチ! 

思考低下させないで、胸にモヤモヤさせないで、情報を吸い上げないで。トイレ関係も。

言葉使いが乱暴。人をバッサリ言葉で切らない。深夜に連絡してこないで 物申す パンチ!パンチ!

仕事の邪魔や記憶障害にしないで。目の錯覚、頭をボーっとさせないで、笑い上戸にしないで。

特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。

私が寝てると思って、いろんなことを言うの止めて、負けず嫌いも程々に、優柔不断 プンプン パンチ!パンチ!

自分が言わせたい言葉を人に言わせない。乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこないで 

人の感情やパワーを抑えないで、持って来ないで。口のろれつが回らないようにしないで!

頬を麻痺させない!唇を痺れさせないで!卑猥な言葉を言ってこないで、言わさないで! パンチ!

あの親子、水晶を使って人を脅してこないで、個人情報保護法、プライバシー侵害しないで!

その力、仕事以外に使わないで!人の為に使って、決して悪いように使わないで ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!

人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて パンチ!むかっ

首を痛くしないで!長女のパワーを持って来ないで!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。みんなに対して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございます 愛飛び出すハート