デイリー新潮 2020年08月23日
歌うことをやめたのは1992年9月11日。
夫の郷鍈治さんが他界した日だーー
昭和を代表する女性歌手の1人、ちあきなおみ(72)が引退宣言もしないまま
マイクを握らなくなってから28年が過ぎた。人前にも姿を表さない。
なぜ、ちあきは消えたのだろう。あの歌声は二度と聞けないのだろうか。
ちあきなおみが歌うことをやめたのは1992年9月11日。
夫で個人事務所社長の郷鍈治さん(55)が肺がんで他界した日だ。
ちあきが郷さんと個人事務所を立ち上げたのは75年だった。
「事務所内での2人はとても仲睦まじく、ちあきさんはとても幸せそうでした」
(ちあきに作品を提供したミュージシャン)ただし、独立は簡単ではなく、
「のちに芸能界から姿を消す引き金になった」と、このミュージシャンは見ている。
ちあきが69年のデビュー前から所属していた事務所は独立に猛反対した。
拒絶と言ってもよかった。それを押し切る形でちあきが新事務所を設立すると、
ちあきバッシングの記事が芸能誌に次々と載るようになる。
まだ結婚前だった郷さんとの関係などがネガティブに書き立てられた。
さらに、レコード会社元幹部が「ちあきさんが、なによりも傷ついたはず」と推し
量るのが、実父に関する記事。ちあきの母親と実父はちあきが幼いころに離婚し、
実父はほかの女性と暮らしていたので、ちあきとは一切関係がなかった。
ところが、この実父の半生や評判を芸能誌はスキャンダラスに書き連ねた。
一体、誰が情報を流したのか……。
それにとどまらない。当時の音楽業界に強い影響力を発揮していた音楽評論家が、独立した途端、芸能誌の連載コラムで「ちあきはわがまま」などと激しい言葉で責め立てた。ちあきは72年に「喝采」でレコード大賞に輝いていたが、それらの実績まですべて否定するかのような救いのない論調だった。
「ちあきさんは芸能界に不信感を抱いたはずです」(元レコード会社幹部)
78年には当時の所属レコード会社・コロムビアとも決別する。
ちあきは個人事務所設立後、中島みゆき(68)に作詞作曲を依頼した「ルージュ」(77)や同じく友川かずき(70)に頼んだ「夜へ急ぐ人」(同)など、歌いたい作品を歌っていた。これがコロムビア側の方針と合わなかった。
さらに同社に断りなく郷さんと入籍したとして、契約解除を言い渡される。
その後、ちあきは約1年間、歌手活動を休業。
本人はのちに理由を「派手な世界が急になんだか恥ずかしくなってしまったんですね」と、語っているが、額面通りには受け取りにくい。
ちあきの最後の所属レコード会社であるテイチク元社員は「よその会社が
契約解除した人と、すぐに仕事をするのは難しい」と解説する。
ちあきは自分らしく生きようとしただけなのだが、それが受け入れられなかった。 この時期、ちあきは孤立無援のような状態になってしまう。辛かっただろう。
芸能界への不信がより募ったに違いない。ただし、郷さんだけはいつもそばにいて
支えた。俳優の故・宍戸錠さんの弟で、やはり俳優だった郷さんは、
悪役が多かったものの、素顔は優しい人として知られていた。
ちあきとの結婚後は俳優を辞め、彼女のサポートに専念していた。
「あの2人はまさしく一心同体でした。いつも一緒に居た」
( 前出・ちあきに作品を提供したミュージシャン )
ちあきは80年にCBS・ソニー、81年にはビクターとそれぞれ契約したものの、
両社に所属した約8年間で出したシングルは僅か1枚にすぎない。
当時のCBS・ソニーの制作陣の1人は「独立とコロムビアの契約解除が
少なからず影響しました」と振り返る。シコリはなかなか消えなかった。
もっとも、88年にテイチクに移籍すると、また精力的に歌い始めた。
どうして同社入りしたかというと、「喝采」の担当ディレクターで、
ちあきが最も信頼する音楽人の東元晃氏が、同社社長に就いたから。
東元氏がちあきを庇護したことで歌いやすい環境が得られた。
さっそく同年には「紅とんぼ」をヒットさせ、実に11年ぶりにNHK「紅白歌合戦」に出場。91年には故・水原弘さんの名曲をカバーした「黄昏のビギン」もヒットし、黄金期再到来を思わせた。ところが、このころから郷さんは肺がんを患い、
翌92年に死去する。生前の故・宍戸錠さんが明かしたところによると、国立がん研究センター中央病院(東京・築地)に入院していた郷さんが亡くなる間際、看護師たちはちあきの後追い自殺を真剣に心配していたという。悲壮感が漂っていた。
郷さんの告別式でも、ちあきは棺にしがみつき、身をよじらせながら
「私も一緒に焼いて」と哀願したという。以来、一切の芸能活動から離れ、
人前からも消えた。44歳のときだった。
郷さんが逝去した際、ちあきはこんなコメントを出した。
「主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。
皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいますよう、
よろしくお願いします」
このコメントを目にした前出のレコード会社元幹部は「1、2年休んだら復帰する」と思ったという。多くのファンもそう考えていたのではないか。
なにしろ売れっ子だったのだから。だが、前出・ちあきに作品を提供した
ミュージシャンは「もう戻って来ない予感がした」という。
「芸能界で何度も傷つきながらも歌い続けられたのは、郷さんの支えがあったから。その人が亡くなったら、歌う気力がなくなりますよ。そもそも、ちあきさんは
繊細な人で、芸能界というシステムとは相容れない人だったと思う」(同)
どれくらい繊細だったかというと、レコーディングの際には自分の姿を暗幕で覆い、歌っている姿を誰にも見せなかったほど。胸に棘が何本も刺さりながらも
歌えていたのは、ひとえに郷さんの存在があったからに違いない。
ちあきが60代半ばを過ぎたころから、近しい人ほど「もうカムバックはない」と
断言していた。ちあきが完璧主義だからである。
「歌声を元通りに戻せない限り、復帰はあり得ない。元通りにするためのボイス
トレーニングには相当時間がかかる。また、時間をかけても元に戻るとは限らない。だから復帰はない」(前出・テイチク元社員)無論、それでも生活に困ることはない。ベスト盤、企画盤などが今も発売されているので、歌唱印税が入る。
2019年4月に発売された企画盤「微吟」もヒットした。資産もある。郷さんの生前に購入した賃貸マンションを神奈川県湘南地域に所有しており、家賃収入が入る。
郷さんの墓は東京都港区内にあるが、ちあきは今も月命日の墓参を欠かさないという。
高堀冬彦(ライター、エディター)
1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て2016年、毎日新聞出版社入社。
「サンデー毎日」記者、編集次長。2019年4月退社。独立。週刊新潮WEB取材班編集
2020年8月23日掲載
「ちあきなおみ」最後のマネージャーが初めて明かす、
伝説の歌姫「28年の沈黙」、そして歌を「封印」した理由
株式会社新潮社
歌手・ちあきなおみが、最愛の夫・郷鍈治氏の死去を契機に、突然芸能活動を休止し、表舞台から姿を消して今年で28年になる。日本レコード大賞受賞曲『喝采』を
はじめ、『紅い花』『紅とんぼ』『矢切の渡し』『黄昏のビギン』など、その卓越
した歌唱力と表現力は、いまだファンを魅了し続け、CDはロングセラーとなり、
テレビ番組や雑誌では定期的に特集が組まれるなど、彼女の人気は衰えることが
ない。新型コロナ禍によるStay Homeのさなか、YouTubeで彼女の圧倒的な
歌唱に出会い、ちあきなおみを「発見」した10代、20代のファンも少なくない。
長い間、多くのファンが「歌姫」の復活の日を待ち望んでいながら、なぜ、
ちあきなおみは歌を封印し、28年もの間、沈黙を守り続けているのか――。
著者の古賀慎一郎氏は、郷鍈治氏が亡くなる1年前にちあきの事務所に入り、
それから都合8年間、付き人・最後のマネージャーとして献身的に支え続けた人物だ。
「ちあきさんは、本当にもう歌わないのですか?」
私はこの時初めて、復帰のことを口にしてみた。
「私はもう、十分働いた……」
「それは仕事ということですよね。でもちあきさんが歌うということは、
それ以上の何かがあると思うんです。だからこんなにも復帰待望の声が」
私は食い下がった。(『 ちあきなおみ 沈黙の理由 』より )
「ちあきなおみ」のすべてを知るといっても過言ではない古賀氏が、
約20年の沈黙を破り、「永遠の歌姫」が歌を封印した理由、
そして彼女の知られざる素顔を、秘話満載で明かした大注目の一冊だ。
■『 ちあきなおみ 沈黙の理由 』
突然の活動停止から28年――彼女が表舞台から消えた理由は何だったのか?
最愛の夫であり、プロデューサーでもあった郷鍈治の死を機に、ちあきなおみは芸能界から姿を消した。しかし、彼女の歌声を懐かしみ、永遠の歌姫の復活を願う声は絶えない。なぜ彼女は歌を封印してしまったのか。28年間にも及ぶ沈黙の理由と彼女の意外な素顔を、郷の死去を挟み8年間、側で支えた元マネージャーが初めて明かす。
■古賀慎一郎(こが・しんいちろう)
昭和42年、愛知県名古屋市生まれ。高校卒業後、東京キッドブラザーズを経て、
俳優・京本政樹の付き人を1年間務める。平成3年、ちあきなおみ個人事務所
「セガワ事務所」にマネージャーとして入社し、8年間を過ごす。
現在は郷里へ戻り、サービス業に従事している。
ちあきなおみ、今何歳?また、現在 (2024) は、
スナックで働いてるとの噂も…※画像あり 更新日 :
昭和の実力派歌姫として活躍されていたちあきなおみさん。
「喝采」でレコード大賞も受賞し、ハスキーボイスで一躍有名になりました。
そんな彼女はどこでどんな生活をしているのでしょうか?
芸能活動は続けていらっしゃるのでしょうか。
気になるプロフィールから見ていきましょう。
プロフィール
名前:瀬川 三恵子(せがわ みえこ)
生年月日:1947年9月17日(74歳)
出生地:東京都 職業:歌手
3姉妹の末っ子として神奈川県で誕生し、母親の影響から4歳の頃から
タップダンスを習うようになり、5歳で初舞台を経験しました。
ちあきなおみさんの家は貧しく、米軍キャンプやジャズ喫茶、キャバレーで歌ったりちあきさんの稼ぎが家を支えていたそうです。
ちあきさんは、1969年に日本コロムビアのオーディションを受け「保留」という
結果でしたが、作曲家・鈴木淳さんの元で約1年半レッスンを受け、21歳のときに「雨に濡れた慕情」で歌手デビューを果たします。当時のキャッチコピーは
「魅惑のハスキーボイン」とのこと。当時はアイドル路線で行こうとしていました。バラエティ番組にも出演されて、歌手以外の活動も精力的に行っていました。
1970年に発表した「四つのお願い」「X+Y=LOVE」がヒットしたことにより
知名度がアップし、紅白歌合戦に連続8回出場をしました。
ちあきさんの代表曲「喝采」が日本レコード大賞を受賞し、勢いが止まりません。
演歌から洋楽をカバーした曲をリリースするなど歌のバリエーションも多いのが
ちあきさんの魅力の一つでもあります。
ちあきなおみさんは実際に歌手になるまでに、慕っていた人を亡くした経験があり「喝采」の歌詞のようだと話題になりました。
1978年に郷鍈治さん(享年55)と結婚します。
歌手としての評価は抜群に高いちあきなおみさん。
作曲家の船村徹さんによると、歌唱力と実力は美空ひばりさんに匹敵するほどだとか。
唯一の二人の違いは裏声が出るかどうかだそうです。
昭和の歌姫と肩を並べるということは、本当に実力があるということですね。
結婚生活14年で、最愛の郷さんが肺がんで亡くなり、ちあきさんは棺にすがって
私もいっしょに焼いて!と号泣していたといいます。
ちあきさんは夫の死を受け入れられず、活動を休止します。
30年経過したいまでも芸能活動を再開することはありません。
また義兄である宍戸錠さん含む、宍戸家とも全く交流がないそうです。(ちあきなおみさんと郷さんの出会いのきっかけは、宍戸錠さんの紹介だったそうです。)
なぜなら、宍戸錠さんが弟である郷鍈治さんの闘病をテレビで話してから険悪に
なったと言われています。宍戸錠さんは、ちあきなおみさんの才能をかっていて、
ちあきさんの歌手復帰を強く望んでいたようです。
そんな宍戸錠さんは2020年に亡くなっています。
しかし、仲の良かった2人を、最愛の人の死が引き裂いてしまいました。
大物歌手の休止からの芸能界からのフェードアウト。
彼女のベスト盤CDなどが発売されるたびに復帰待望論が巻き起こり、
周囲の説得にも耳を傾けようとはしないといいます。
そんなちあきさんは現在74才です。
一体どのような生活を送られているのか非常に気になります。
スナックで働いているといううわさは本当なのでしょうか。
スナックで働いている?!
真相を確かめると、結論はスナック経営はしていません。
なぜこのような噂話が広がったかというと、ちあきさんは郷さんと結婚後、
夫が人気歌手だった妻を支えるためにマネジメントを行っていました。
その傍ら、広尾に小さな純喫茶『COREDO』を開店し、経営していたといいます。
しかし、郷さんの死後はちあきさんが後を継がず、喫茶店は桃井かおりさんの兄で脚本家の桃井章氏にまるまる貸出し、そこがバーになり、2013年まで営業していました。
おそらくこの話からして、ちあきさんがバーやスナックで働いていると勘違いされたのでしょう。芸能活動も実質0で、飲食店も経営されてないとすると、収入面が
気になってきます。しかし、そこは全く心配無用なようです。何故なら、現在に
至ってもCM等で採用されるちあきさんの歌で、印税による収入が入ってきます。
その額は年間およそ1500万円にもなるのではないかとも言われています。
新曲は一切出していないものの、アルバム等が度々発売されています。
CDの売り上げやカラオケなどの印税も収入に繋がっていることでしょう。
また、結婚後にビルを所有されており、不動産収入もあると言われています。
総じて、ちあきなおみさんの現在は収入に何不自由なく過ごせていると考えても
良いでしょう。
現在の姿
ちあきさんは夫の死後、現在一人暮らし。
母親が1989年に亡くなると都内( 港区である可能性があり。)に墓碑を建て、
郷さんもそこに眠っています。そして、そのお墓の近くに引っ越されたそうで、
そこでひっそりと暮らしているのだといいます。
夫の月命日には20年過ぎた今でもかかさずにお墓参りに行き、
1時間近くも手を合わせているのだといいます。
郷さんは、ちあきなおみさんが立ち上げた個人事務所の社長兼マネージャーとなりました。公私ともにパートナーとなった夫の死をいまだ悲しんでいるのでしょうか。
ほっそりと華奢な体を震わせながらいつもうっすら涙を浮かべているというちあきさん。
本当にかけがえのない人だったのでしょうね。
郷さんの最期の言葉は『 無理して歌うことはないよ。これからは、お前の好きなことをやっていけばいい 』というものだったそうで、ちあきさんは自分の気持ちが
復帰に前向きにならない限り、ステージに立つまいと決めているのでしょうか…
病気と戦う夫の姿を見て、自分にはもっとできることがあったのではないかと
後悔の念を感じているのでしょうか。
昭和の大物歌手のちあきなおみさんは引退宣言はしていないものの、当面活動を
休止して早30年。歌手活動をしなくても、CDや曲の使用料などの印税や
ビル経営で生活に全く問題はありません。もちろんスナックで働いておりません。
夫の死後は生活が一変してしまいました。いまだに人気があるちあきさん。
彼女の名曲を聴きながら、これからもちあきさんを遠くから応援していきましょう。
ちあきなおみさんが、何も言わないまま引退したことは残念ですが、
本人が決めたことなので・・・無理にとは言いませんが、また聴ける機会がありましたら、また歌って欲しいです。健康で穏やかに生活してほしいです
一時、明菜さんも自殺未遂の時~1年後に復帰。
その後も、2010年10月~14年の4年間や、その後の3年間、5~6年間休業していたその間、もしかしたら、ちあきなおみさんみたいに引退するんじゃないかと言われていた時期もありましたが、新しい会社を作り、「北ウイング」を改めて今の声で
CDに録音したのを旧Twitterと生声でコメントを発表してくれました
その後、youtubuで聴かせてもらえてホッとしました。
明菜さんの特集で曲がラジオで聴けて、本人の声も聴けると思っていたらエリア外で聴けなかった
ファンがUPしてくれたのを聴くと、ろれつが回っていなくて
心配しましたが、最近、ファンの人達が近況をUPしてくれたのを読んで、滑舌もよくなり、途中から地声になったと読んで少し安心しました
そして、今はグッズを売って、その売り上げ金の一部を能登半島地震震災義援金として寄付をしたと旧Twitterに書かれているのを見ました。本当に優しい人。これからも体調に気を付けて、無理をしない程度にお仕事頑張って下さい
純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、
体を動かしにくくしない、転ばさない、痛くしないで ) 人の言葉を言わさないで
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて
( あの三女、私をあの子に近づけようと、刀で相手をバッサリ切らす様にしてくる )
本当に、人に迷惑がかかる言動行動は止めて。心に入って来ないで、広げないで。
人に体調不良やネガティブな感情を持って来ない。口臭も。咳込まさない。やる気を取らない、人の後ろに憑かない憑依しない、心を読まない、言ってこないで
思考低下させない、胸にモヤモヤさせない、情報を吸い上げないで。トイレ関係も。
言葉使いが乱暴。人をバッサリ言葉で切らない。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、頭をボーっとさせないで、笑い上戸にしない。人に言われたことを他人の心の中に持って来ないで、響かせないで
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
私が寝てると思って、いろんなことを言うの止めて、負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。毒舌禁止
自分が言わせたい言葉を人に言わせない。乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで
頬を麻痺させない!唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、言わさないで
あの親子、水晶を使って人を脅さない。過保護にしないで!。個人情報保護法、
プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで!人の為に使って、
決して悪いように使わないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
首を痛くしないで!長女のパワーを持って来ないで!使わないで!
上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございます