藤田まことさんは『必殺仕事人』や『はぐれ刑事純情派』などの有名テレビシリーズものに
出演していた俳優です。多くの作品に登場した著名な俳優でしたが、2010年に急死。
ここでは藤田まことさんの若い頃の画像や家族情報(嫁・子供)、
そして死因などについてまとめています。
藤田まことのプロフィール
藤田まこと(ふじたまこと)
本名:原田眞(はらだまこと)
出身地:東京都生まれ、京都育ち
生年月日:1933年4月13日 没年月日:2010年2月17日(76歳没)
身長:173cm 血液型:AB型
学歴:京都市立堀川高等学校中退
職業:俳優 デビュー:1950年代〜
藤田まことさんは、無声映画時代(大正〜昭和)の俳優であった藤間林太郎さんの息子です。
藤田まことさんには、兄と姉がいたものの子供時代に戦争や病気で亡くしており、
また戦後の混乱期のなか20歳になる前から自身でお金を稼ぐようになりました。
靴磨きや連絡係から始まり、一座の雑用、舞台俳優をやるようになると、やがて歌手や司会者、俳優、コメディアンなどとしても活動するようになり、芸能の世界へと足を踏み入れました。
1960年代に入ると、それまで脇役が主だった仕事からスターの道へ。1962年に『てなもんや
三度笠』に出演し人気を獲得、その後一時期また地方キャバレー巡業などをしていた時期が
ありましたが、その強烈なイメージからしばらく役が付かず引退も考えた中、オファーを受けたのが73年から出演した必殺シリーズ。「ムコ殿」といびられる恐妻家の殺し屋・中村主水役は、本人いわく「情けない男の役をみんなが断ったから私に来た」という運命の当たり役。
その後も長年放映が続くヒット作に恵まれ、1988年からの『はぐれ刑事純情派』(約18年)、1998年からの『剣客商売』(約12年)などに出演。もちろんシリーズ物以外にも
多くの出演作品に登場しています。
晩年には、病が多くなりながらも復帰を目指していましたが、2010年に急死しました。
藤田まことの若い頃…『てなもんや三度笠』出演で一躍有名に
『てなもんや三度笠』より
若い頃の藤田まことさんは真ん中です。もちろん面影はありますが、若々しくて素敵ですね!
『てなもんや三度笠』は1960年代のテレビシリーズですので、当時藤田さんは30代でした。
同番組は最盛期に、視聴率64.8%を記録した人気番組です。
「当たり前田のクラッカー!」
藤田まことさんはかつて『てなもんや三度笠』の番組スポンサーだった前田製菓のCMに
出演しています。CMでは「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」という
強烈なキャッチフレーズを残しました。
出典:https://upload.wikimedia.org/
1961年の雑誌より。
普通の服やヘアスタイルだと、また印象も変わります。
昔の藤田まことさん
こちらは1970年代から長年シリーズ化され放送された『必殺仕事人』シリーズより。
藤田さんは、『てなもんや』のコメディチックな役柄から一転闇の殺し屋を見事に演じきり、
こちらも人気シリーズになりました。
出典:https://image.middle-edge.jp/
1988年からの『はぐれ刑事純情派』シリーズ
こちらもお馴染みのシリーズで、約18年ものあいだ続きました。
ただ藤田さん的には、当初あまり続か無いだろうと感じていたそうです。
藤田まことさん、最期のシリーズもの『剣客商売』
1960年代からいくつもの人気シリーズ作品に恵まれた藤田まことさん。
これだけ長い間、第一線で活躍し続けた俳優も稀でしょう。
藤田まことが結婚した嫁について
藤田まこと、嫁の事業失敗で30億円の大借金
藤田まことさんが1959年に結婚したのは一般の方で、幸枝さんといいます。まだ藤田さんが
スターになる前の結婚でしたが、その後亡くなる2010年までの間連れ添いました。
大人気シリーズに多数出演してきた藤田まことさんですが、私生活では夫人が作った
莫大な借金に悩まされています。
大阪の盛り場で「北の(南都)雄二か、ミナミのまこと、東西南北藤山寛美」と
呼ばれた遊び人だった一方、周囲が「働き過ぎ」と心配するほどの芸の虫。
93年に夫人の事業失敗で30億円の負債を背負った時には「主水御殿」と呼ばれた豪邸を売却。愚痴も言わず休日返上で働く姿に債権者たちが仕事を探して応援したほど。藤田さんは「10年で完済した」と誇らしげに明かしていた。
(ただ2009年には3億円の返済訴訟が起こされており、これに敗訴しています。)
藤田まことさんの奥さんは、1980年代を背景にレストランやブティックなどを経営して
いましたが、バブル崩壊とともに行き詰まり、莫大な借金を背負うことに。
藤田まことさんは夫人が作った借金について、「(嫁を)責めないでくれ」「いい苦労を
しました」などといい離婚もせず自己破産もせず、地道に返済を続けたといいます。
ネット情報によると、藤田まことさんはそれまで自分が仕事ばかりで
家庭をかえりみなかったから…という事も話していたそう。
藤田まことに子供は息子が1人と娘が2人…孫は歌手の花リーナ
藤田まこと、娘の絵美子は歌手活動していた時期も
次女の絵美子さんは、仕事人の主題歌を歌っていた!
藤田まことさんには、子供が3人います。
(年齢が不明確なため順不同)
長女:原田敬子…株式会社藤田まこと企画の社長。
次女:藤田絵美子、EMIKO(芸名)…歌手・女優として活動していたこと有。
長男:原田知樹…不動産関係の会社員。
長女の原田敬子さんは、死に際の父親について語っています。最期まで俳優だったんですね…。
「倒れた日も、ベッドの上で”必殺”の準備稿を読んでる父の姿がありました。
亡くなるまで”藤田まこと”であり続けた父を私は尊敬し、誇りに思っています。
天国に旅立つときの身支度は、父がいつもディナーショーで着ていた黒のベル
ベットのスーツ。ちょっと窮屈だと思いましたけど『パパさん、ごめんなさいね』と言って、みんなで着せてあげました」
藤田まこと、息子・原田知樹が2013年に覚せい剤使用で逮捕
出典:https://gbjyjhawss.exblog.jp
息子の原田知樹
また死後の2013年には、長男が覚せい剤で逮捕されています。
大阪市内のビジネスホテルで今年1月、覚せい剤を使用したとして覚せい剤取締法違反の疑いで、大阪府警が俳優の故藤田まことさんの長男で会社員原田知樹容疑者(47)を逮捕していたことが18日、関係者への取材で分かった。
大阪地検は2月1日、同罪で原田容疑者を起訴。起訴状では、1月20日ごろ、大阪市浪速区のビジネスホテルで覚せい剤の入った水溶液を体に注射したとしている。
藤田まこと、孫・花リーナは歌手活動していた
孫の花リーナは歌手として活動中?
花リーナさんは、藤田まことさんの長女(敬子)とハワイ在住の
ゴルフインストラクターとの間に生まれ、幼少期はハワイで過ごしました。
花リーナさんは、2013年の15歳の時に歌手デビューしましたが、
その後はとくに表立った活動はありません。
孫は、藤田まことさん似?
サングラスの下は、藤田まことさん似と言われますが、いかがでしょう?
藤田まことが76歳で死亡…死因や有名人が参列した葬儀について
藤田まことの死因は大動脈瘤破裂
出典:http://blog-imgs-43.fc2.com/
藤田まことさんの死因は大動脈瘤破裂
(画像は亡くなる直前、2010年1月頃のもの)
藤田まことさんは、晩年病に悩まされることが多く2008年に食道癌、2009年には慢性閉塞性
肺疾患となりました。そのため入院・治療で仕事にも影響が出て、いくつかの仕事を
降板するなどしています。そして2010年3月には、本格的な活動復帰を予定していましたが、2010年2月17日に大動脈瘤破裂のため急死しています。
前日の16日夜に藤田まことさんは子供・孫・夫人とともに食事をし団らんしていましたが、
突然吐血し、病院に搬送されました。その後も周囲の呼びかけに反応する様子を
見せていたといいますが、17日朝にはそのまま家族に看取られ亡くなりました。
症状がなく、気づかれないままに大動脈瘤が大きくなって破裂すると、
胸やお腹の中に大量に出血し、激しい胸や背中の痛み、腹痛が起こり、
ショック状態になります。急速に危険な状態に陥るため、緊急手術でしか
救命できない場合がほとんどです
引用:大動脈瘤と大動脈解離
大動脈瘤破裂で亡くなった著名人も多く、阿藤快さんや司馬遼太郎さん、
アインシュタインなどがそうです。
藤田まことの葬儀には、森喜朗元首相らが参列
藤田まことさんの葬儀
(画像は2011年のお別れ会より。)
藤田まことさんのお通夜や葬儀は、親族をはじめ近しい人々が参列し執り行われました。
喪主は藤田まことさんの長男・原田知樹さんがつとめ、告別式の参列者には
西川きよしさんや森喜朗元首相がいたそうです。
葬儀は大阪府の藤井寺で行われ、戒名は『壽量院修藝日眞居士』。
17日に76歳で死去した俳優の藤田まことさんの葬儀・告別式が19日、大阪府
豊中市の藤井寺で営まれた。タレントの西川きよし(63)ら約60人が参列。
出棺の際、熱烈なファンから、代表作「必殺仕事人」の役名(中村主水)の
「もんどー!」の掛け声が飛び交う中、天国へ旅立った。
遺体は箕面市内の斎場でだびに付された。戒名は「壽量院修藝日眞居士(じゅりょういんしゅうげいにっしんこじ)」。終生、芸を極めるために打ち込んだとの
意味が込められたという。「眞」は本名。藤田さんは生前、サイン色紙などに
「修芸生涯」の言葉を好んで書き添えていた。
その後、芸能界なども含め「お別れをしたい」という声が寄せられたため、2011年に東京国際フォーラムで『藤田まこと 役者人生最後の花道』と題されたお別れ会が開かれています。
このお別れ会には、生前縁の深かった三田村邦彦さんや黒柳徹子さん、東山紀之さん、
京本政樹さん、萬田久子さんなどが参列しました。
藤田まことについてまとめると…
・藤田まことは1962年に『てなもんや三度笠』に出演し人気を獲得、その後は俳優として
ドラマ『必殺仕事人』シリーズや『はぐれ刑事純情派』に長年出演していた
・藤田まことの嫁が事業に失敗し30億円の借金を背負うも、自己破産せずに地道に返済した
・藤田まことと嫁の間に子供が3人おり、2013年に息子・原田知樹が覚せい剤使用で
逮捕されている
・藤田まことは2010年2月17日に大動脈瘤破裂のため急死、葬儀には森喜朗元首相らが
参列した
藤田まことさんは、1960年代から長年第一線で活躍してきた俳優です。
私生活では借金などもありましたが、亡くなる直前まで仕事のことを考え、
役柄通りの”仕事人”だったようですね。
【補足】
藤田まことの晩年
藤田まことの晩年の代表作といえば、「剣客商売」です。
池波正太郎の時代小説を原作とする時代劇ドラマで、老剣客でありながら粋な人物の
秋山小兵衛を演じました。
しかし、2008年に体調不良のため検査を受けると、食道がんであったことが判明します。
その時出演予定だった舞台は降板し、治療に専念しました。
(6月の東京・明治座公演『剣客商売』を降板することになった。)
食道がんの手術は8時間にも及ぶ大手術となりましたが、成功しています。
術後ICUに運ばれた父は麻酔から目が覚めると、また意識が朦朧としているにもかかわらず、
枕元を囲む私たちに両手を合わせて『すまなかった』『ありがとう』と。
そのあと、病室にいらした執刀医にも『ありがとう』と言ってから、力を振り絞るようにして
手を出し、一人一人握手したんです」
藤田さんは手術から5カ月後の’08年10月下旬、『必殺仕事人2009』で現場復帰。しかし、
’09年11月、慢性閉塞性肺疾患のため出演を予定していた連続ドラマ J㏌仁–』を降板。
’10年3月撮影予定の『必殺仕事人2010』での復帰をめざして療養生活を送っていた。
関係者によると、急変したのは今月16日。普段通り病院で下半身のリハビリを2時間した後、自宅で夕食を取り、午後10時ごろに風呂に入ろうとした際に突然吐血。
病院に搬送されたものの、意識は戻らなかった。
翌17日朝、幸枝夫人と長女、孫らが駆け付けたが、帰らぬ人となった。最近は体調も良く
「必殺」の新シリーズの台本に目を通し、張り切っていたという。先月26日には大阪でCM撮影に臨むなど順調だったため「家族は大きなショックを受けている」(関係者)という。松竹京都撮影所の関係者も「10日前に“これからもよろしく”とあいさつに来た。2月5日放送の剣客商売スペシャルの視聴率が良かったので“またやろう”と話していたのに…」と信じられない様子だ。
藤田まことの家族
藤田まことの父親である藤間林太郎はスターでしたが、あまり家庭を顧みなかったといいます。
母親も生まれてすぐに亡くなっています。
父親が再婚したので継母ができましたが、子ども時代にはこの継母に反発しました。しかし、
後から全く子どもが懐かなかったのはつらいことだったろうと反省する言葉を述べています。
結局、父親と継母は数年で離婚しました。
藤田まことをめぐる逸話
藤田まことというと実直でどこかうだつの上がらない役柄が似合いますが、
実際には豪快な遊びを好んだといわれています。
お酒が大好きで、高級クラブを飲み歩きました。
芸人は夢を売る商売だから、派手に遊んだほうがいいという考えの持ち主でした。
三田村邦彦&京本政樹らが藤田まことさんと最後のお別れ
「国民的ヒーローでした」ORICON NEWS
昨年2月に亡くなった俳優・藤田まことさん(享年76)を偲ぶ会が24日に東京国際フォーラムで行われ、藤田さんの代表作『必殺仕事人』シリーズで共演した俳優の三田村邦彦(58)、
京本政樹(52)をはじめ約600名が参列した。献花を終え、藤田さんと最後のお別れに臨んだ
京本は「僕にとって父親的存在で、人の生き方すべてをまこと先生から学んだ」と唇を噛み
締め、「あれだけ多くの代表作と、これだけ集まった方々をみて、やっぱり藤田さんは
国民的ヒーローなんだなと思いました」と偲んだ。
『必殺仕事人V』(1985年)に登場した組紐屋の竜役でブレイクした京本は、藤田さんとの
撮影の日々を思い起こし「まだ右も左もわからない僕を激励してくれたりご飯を食べさせて
もらったり、たくさん怒られもした。今の僕が当時の藤田さんより歳上なんですけど、
相当大変だったんじゃないでしょうか」と苦笑い。感謝の気持ちは次から次へとあふれ出し
「今日を迎えられて、やっと藤田さんを愛する方々と一緒に最後の花道を飾ってあげられた
なと思います」と語った。
式中には、少年隊の東山紀之、女優の萬田久子ら藤田さんと共演経験のある著名人が登壇し、それぞれの思い出話に花を咲かせた。『京都殺人案内』シリーズ8作目から登場し、
21年間にわたり藤田さんと共演した萬田は「いつも会っていたからわからなかったけど、
あんなにハンサムだったんだ」と遺影を見上げ「やっぱり、まだまだ一緒にお仕事したかった
です。お疲れ様でした」と頭を下げた。
偲ぶ会は当初、藤田さんの78回目の誕生日である4月13日に開催を予定していたが、
東日本大震災の影響で延期していた。この日はほかに山本晋也監督、小沢真珠、さとう珠緒、
中村敦夫、沢田亜矢子、小林綾子、中尾ミエ、多岐川裕美、TOKIOの松岡昌宏、KAT-TUNの
田中聖、歌手・森山良子らが出席。徳光和夫が司会を務め、集まった著名人とともに
30秒間の黙祷を捧げた。
幼い時から「必殺仕事人」が大好きで、ドラマの最後、主水さんに菅井きんさんが
「婿殿」と言うセリフが好きでした。主水さんの裏の仕事と違って、婿殿はうだつが
上がらない夫とのギャップが面白くて笑って観ていました
ご冥福をお祈りいたします。
純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、
体を動かしにくくしないで、転ばさないで ) をしてくるの止めて。
【 ボードゲームの禁じ手 】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規則で禁じられたものだけでなく、
「使うべきでない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※ このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!その技術使わないで!
本当に毎日毎日、みんなに嫌なことをしてきて何が面白いの?嫌がることはしないで!
潜在意識に入って来て、中枢神経や末梢神経などを触って人をコントロールしてこないで
思考の低下、記憶障害、口がろれつ回らなくしないで。迷惑行為禁止。近視老眼にしないで。
特に、乗り物を運転している時は、絶対に頭を低下やボーっとさせないで!理性を失わせないで
過保護禁止。トイレ関係。自分の都合がいい情報を吸い上げない。プレッシャーをかけない。
プライバシー侵害、個人保護法。水晶禁止。毎日深夜に連絡してこないで。体調不良にしない!
人の感情を持って来ないで!姉のパワーを人に使わないで!パワーや感情を抑えたり使わない!
人の後ろに憑かない、憑依しないで。直してから出て行って!他人の言動を言わさないで。
その力、仕事にだけ使って、自分勝手に使わないで。みんな(全部)に対して良い様に使って。
全責任は、お母さん達に取ってもらう。言論や表現の自由が法で定められている
人のPCやスマホに、ハッカーみたいに侵入してこないで
胸にモヤモヤしてこないで。食事の時は、話しかけてこないで。日本のマナーを守って!
潜在意識に入ってこないで。胃の付近に入って来ないで!
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守 って。みんなに対して
( 私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退関係。契約書、反故にしない )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました