(1980年)昭和55年5月3日

山口百恵の引退発表後の初めてのテレビドラマが放映された。

フジテレビ系の単発ドラマ「ナナハン学園・危機一髪」だ。

この「ナナハン」という番組名は、このドラマが毎週土曜日の

午後7時半から放送されることに由来する。

裏番組は、TBSのあの伝説のドリフターズの「8時だョ!全員集合」

最高視聴率50%を超えるこの”お化け番組”に対抗すべく、

フジテレビは毎回豪華な俳優陣をキャスティングした

オムニバス形式ドラマ「ナナハン学園・危機一髪」をぶつけてきたのだ。

「グッパイ・ミュージックナイト」の回で主演を張る元キャンディーズの伊藤蘭

また、ドラマの主題歌に、当時大ブレークしていた甲斐バンドの漂泊者(アウトロー)

そして、極めつけがこのドラマの第4話「もうさみしくなんかないぞ」で

主演女優に抜擢された山口百恵だ。

 

いかにドリフの「8時だョ!全員集合」とはいえ、引退を発表をした

山口百恵に勝てるはずもない、というフジテレビの算段だ。

引退する10月15日まで、山口百恵のスケジュールは

これまでにない程に過酷なものとなっていた。

その為、山口百恵がこの「もうさみしくなんかないぞ」の撮影にかける時間は

たった5日、リハーサル1日、本番4日間で撮り終えなければならなかった。

当然、撮影は早朝から深夜までに及んだ。

山口百恵が演じるのは、教師志望の女子大生・羽生紀子、

当時21歳だった山口百恵と同世代の女性の役だ。

百恵演じる羽生紀子は、将来教師になるための経験を積むためにボランティアで

カギっ子達を預かっている児童館で子供の世話を始めることにした。

しかし、児童館に行った初日、紀子は十数人のカギっ子達にいじめられてしまう。

「もうやめる」と弱音を吐いた紀子だったが、思い直した紀子は次の日も児童館に通った。

「この仕事、続けます。いつか私が本物の母親になる日のために・・・」

引退会見で「私は子供好きですし、たくさんいた方が賑やかでいいと思います」

語っていた山口百恵。

このセリフは、その当時の自分の心境と重なる部分があったに違いない。

 

荒川べりで大勢の子供達に囲まれて行われたロケ。

その子供達の中には子供時代の西尾まりもいた。

チンパンジーやヤギもいた。

「子供も動物も大好きなので楽しいわ」

睡眠時間もほとんどとれないようなハードスケジュールだった山口百恵だが、

本当に、このドラマの撮影は楽しかったようだ。

 

 

ディープインパクト急死 武豊駆け付け別れ、さらば英雄

[ 2019年7月31日 05:30 ] スポニチ

 

 平成の競馬シーンに強烈なインパクトを残した“英雄”が天へと旅立った。

現役時に無敗のクラシック3冠を含むG1・7勝を挙げたディープインパクトが30日午前6時

40分、けい養先の北海道安平町の社台スタリオンステーションで頸椎(けいつい)骨折のため

安楽死処分となった。17歳だった。空を飛ぶような独特の走りで通算14戦12勝を挙げ

種牡馬としても多数のG1ホースを輩出してきた歴史的な名馬。

主戦の武豊(50)は真っ先に駆け付け、愛馬の馬房に手を合わせた。

 

 突然のディープインパクトの悲報を、主戦の武豊は28日に札幌で騎乗後も滞在していた

北海道で知った。新千歳空港で搭乗する直前。連絡が数十分遅ければ機上の人だった。

目に見えない力が働いたのか…。予定便を急きょキャンセルし、ディープの担当装蹄師

だった西内荘氏と共に社台スタリオンステーションへ急いだ。

 「体調が良くないと聞いていたので心配していたのですが、残念です」。

ディープインパクトは病理解剖のため、既に別の場所に運ばれており対面は

かなわなかったが、主を失った馬房に向かって手を合わせた。

 英雄に異変が起きたのは、今年の種付けシーズンが始まった直後の2月18日。

突然、首と腰の状態が悪化した。そのため、残りシーズンの種付けは行わず、今年は20頭前後の種付けで中断。来年に備える形で治療を続けてきた。その中で、今月28日に患部の頸椎を

固定する手術を行った。麻酔から覚めると草を食べて動き回ったが、翌29日に容体が急変。

立ち上がれなくなり、手術箇所と異なる頸椎に骨折が判明。

回復は見込めないと診断され、安楽死の処置が取られた。

【補足】

経過観察と原因究明を続けてきたが快方に向かわず、ついに手術を決断した。

アメリカから招いた頸椎手術のエキスパートと社台グループの獣医師がチームを結成し、

7月28日に社台ホースクリニックで患部を固定する手術を行った。日本では初めてだが

海外では多くの症例があった。通常1時間半ぐらいで終わる比較的簡単な手術。

術後は普通に馬房に戻ることも可能だが、念のために5日間24時間態勢で経過を観察した。

29日には普通に草を食べて日常生活を取り戻していた。

 同スタリオンの徳武英介氏は「元々は骨折しておらず、手術も成功。

半日の間に何があったのか…。獣医師も“見たことがない”と言っている」と説明。

常識を覆す走りを見せた現役時と同様、普通ではありえない形でこの世を去った。

【補足】

「何かの拍子に力んだとか、寝起きに何かあったのか……。

最期はもう観念したのか眠るようだった」

 圧倒的な強さを誇った同馬だが、06年凱旋門賞では1番人気に推されながら3着に敗れ、

後に禁止薬物が検出されて失格となった。ただ、武豊は「今でも世界一強い馬だと思っている」と話す。さらに「ディープの乗り味を知っているのは僕だけ」と、

全14戦で手綱を取ったことは生涯消えることのないプライドだ。
「私の人生において本当に特別な馬でした。彼には、ただただ感謝しかありません」と武豊。

記録にも記憶にも残るサラブレッド界の英雄。不朽の蹄跡を残し、天国へ飛び立った。

 ▼西内荘氏(ディープインパクトの装蹄師)

自分の装蹄人生を変えてくれたディープには感謝しかない。

 ◆ディープインパクト 父サンデーサイレンス 母ウインドインハーヘア(母の父アルザオ)栗東・池江泰郎厩舎所属 馬主・金子真人ホールディングス株式会社 生産者・北海道安平町

ノーザンファーム 02年3月25日生まれ 鹿毛 戦績14戦12勝(うち海外1戦0勝)

JRA総獲得賞金14億5455万1000円(付加賞含む)。05年と06年にJRA賞年度代表馬。

08年に顕彰馬(殿堂入り)に選定される。

 

 

ディープインパクト死す、武豊も惜しむ「本当に特別な馬」

 発信地:東京

 

【7月31日 AFP】日本競馬史に残る名馬として知られ、種牡馬としても国内外で人気だった

ディープインパクト(Deep Impact)が、頸椎(けいつい)の骨折により安楽死となった。

17歳だった。

 拠点の社台スタリオンステーション(Shadai Stallion Station)によると、ディープイン

パクトは首の痛みで手術を受けたが、その後のレントゲン検査で重傷であることが判明。

回復の見通しが立たないことから安楽死の判断となった。社台スタリオンステーションも、

国内外で親しまれるスターホースの死に「突然の出来事で誠に痛恨の極み」と話している。

ディープインパクトは2004年にデビューし、通算14戦12勝。2008年には殿堂入りも果たした

主戦ジョッキーとして騎乗し、勝利を共にした武豊(Yutaka Take)騎手は、ディープイン

パクトの死にショックを受けており、予定していた飛行機をキャンセルして牧場へ

直行したことを明かした。馬房で手を合わせてきたという武騎手は「ボクにとって、

本当に特別な馬。空を飛ぶような走りはボクしか知りません。

ただただ、ありがとうの気持ちを伝えました」と話している。(c)AFP

 

もっと詳しく知りたい人は、「ディープインパクト」が日本競馬に残した衝撃17歳で急逝、

時代を駆け抜けた最強馬の足跡をググって読んで下さい お願い 虹

 

ディープインパクトは、凄く強く好きな馬でした。

まさか、こんな早く亡くなるとは思っていませんでした。 

今、走っている子供たちに頑張って欲しいです。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

本当に、人に迷惑な言動行動は止めて。

人に体調不良やネガティブな感情を持って来ないで。口臭も。

人の後ろに憑かないで、憑依しないで、心を読まないで ムキー パンチ!

思考を低下させないで、胸にモヤモヤさせないで。情報を吸い上げないで。

言葉使いが乱暴。人をバッサリ言葉で切って来ないで。深夜に連絡してこないで 物申す パンチ!

仕事の邪魔をしないで。記憶障害にしないで、目の錯覚、頭をボーっとさせないで。

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート