類まれな美貌で、「サユリスト」と呼ばれるほどの熱狂的なファンを持つ、吉永小百合 さん

ですが、昔、二枚目で肉体派のアクション俳優だった渡哲也(わたり てつや)さんと、

結婚を考えるほどの真剣交際をされていたといいます。

今回は、そんなお二人の馴れ初めから破局に至った経緯についてご紹介します。

 

中尾彬をその気にさせていた?

 

吉永さんは、1967~1969年の約2年間、俳優の渡哲也さんと交際されていたそうですが、

そのきっかけは、俳優の中尾彬さんだったようです。

実は、中尾さんによると1975年頃、吉永さんと密会していたことがあったそうで、

週刊誌のインタビューで、

(中尾さんは、早稲田大学に通っていた吉永さんの車に乗り込み)ある日、やはり早稲田からの帰りだったと思うけど、彼女、僕の膝を枕にして眠っちゃったんだ。その時も運転手さんは、車を静かなところへ停めて、席を外してくれたんだよ。

やろうと思えばカーセックスでも可能な状況に置かれた訳だけど、僕は何もしな

かったんだから、我ながらバカだと思うね。ところが、寝顔を覗き込んでいる

僕の頭に、彼女の両腕がすーっと伸びてきて、引き寄せられちゃったんだ。

と、明かされています。

また、その後、

オランダロケに彼女が行った時、ナイフか何かで指を切ったんですよ。流れる血を見ているうちに、それで手紙を書きたくなったから、血で書いたというんだよ。(中略)おセンチな少女の発想ですよ。それでも、僕には可愛くってしょうが

なかったね。

と、吉永さんの虜となっていたようです。

ただ、吉永さんに何度もインタビューした経験のあるベテランのジャーナリストによると、

吉永さんは、熱烈なラブレターを送るなどして、その気にさせた中尾さんからは随分言い寄られたそうですが、実際は、それほど中尾さんのことが好きという訳ではなかったようです(笑)

渡哲也との出会いは、中尾彬がきっかけだった

そんな中、中尾さんが吉永さんの広島ロケに立ち寄ったことがあったそうですが、

そこで見たのは、宿の浴衣の裾をだらしなく乱し、お銚子を並べ、タバコをスパスパ

ふかしながら酔っ払っている吉永さんのあられもない姿だったそうで、そのだらしない姿に、

猛烈に腹を立てた中尾さんは、自分の部屋に吉永さんを呼びつけてお説教をされたそうですが、そこへ止めに入ったのが、渡哲也さんだったそうです。

( 渡哲也さんがそこにいたのかは不明 )

「愛と死の記録」で急接近

吉永さんは、この時、初めて渡さんと知り合われるのですが、

その後、1966年に映画「愛と死の記録」で初共演すると、急接近。

実は、この映画、吉永さんと浜田光夫さんのコンビでヒットした映画「愛と死をみつめて」

第2弾で前回から引き続き、吉永さんと浜田さんのコンビの予定だったのですが、

浜田さんが目を大ケガしたことで降板。渡さんが代役に起用されたのでした。

ちなみに吉永さんは、著書「夢一途」の中で、カットされてしまった渡さんとの原爆ドームでのラブシーンを切々とつづられているほか、そのシーンの写真を大きく載せるなど、

2人の愛が始まったこの作品に強い愛着を持っているのが伺われ、

イケメンでアクション俳優の渡さんの虜になられていたようです。

一方、渡さんの方も、それまでアクション専門だったのが、美人女優の吉永さんと

ひしと抱き合うラブシーンを演じたことで、本当に好きになってしまっていたようです。

 

結婚を意識した真剣交際も、吉永小百合の両親が猛反対

 

その後、お二人の交際は順調で1968年頃には、渡さんが、ごく親しい仲間うちで、

吉永さんのことを「うちのカミさん」と公言するなど、お二人の交際は周知の事実だった

そうですが、デートはもっぱら吉永さんの実家、しかも吉永さんの部屋ではなく、

渡さんは応接間に通され、吉永さんの両親同席でお茶を飲んだそうで、

外で会おうとすると、吉永さんの両親から「今日は行けません」と電話が入るなど、

吉永さんの両親は、なんとか二人を引き離そうとしていたそうです。

そんな中、吉永さんは両親に、渡さんと結婚する意志を伝えるのですが、吉永さんの

マネージャーだった吉永さんのお父さんは、吉永さんが一家の大黒柱だったことから、

交際はいいが結婚はダメ

と大反対。

吉永さんのお母さんも、

結婚したら相手を絶対に許さない

と、猛反対されたのでした。

( 吉永さんのお母さんは、吉永さんの結婚相手に不満があったというよりは、幼少期に、

祖父にこき使われて結婚したことを嘆く祖母を見て育っていたほか、その後の自身の

結婚後の苦労と重なり、結婚そのものに対して強い拒否反応を示したと言われています )

破局理由

そんな両親に対して吉永さんは反発し、渡さんへの想いは燃え上がるばかりだったそうですが、煮え切らない状態が続いたそうで、渡さんは、お酒を飲んで酔うと、

なんで俺のところに飛び込んできてくれないんだ

と、嘆いては、吉永さんに電話をして、結婚を迫ったそうです。

しかし、最終的には吉永さんが、渡さんよりも両親を取る形となり、破局。

吉永さんは、後に、この時のことを、

両親を説得できなかったんです。だから(渡と)直接会って、「あなたとは

結婚できません」と伝えました。涙が止まりませんでした。それで別れたんです。

と、明かされています。

そして、その後、渡さんが結婚したことを知った吉永さんは、「 悔いがある 」と

三日三晩泣き通し、その傷を癒やすため1人でフランス・パリへ旅立たれたといいます。

ちなみにお二人は、1998年映画「時雨の記」で、実に29年ぶりに共演を果たされているの

ですが、吉永さんが相手役として、かつての恋人である渡さんを指名したと言われており、

もしかしたら吉永さんは、29年という歳月を経たこの共演で、渡さんとの恋を美しく

昇華させたかったのかもしれません。

吉永小百合の夫は、元プロデューサー!馴れ初めは?子供は?

俳優の渡哲也さんとの結婚を家族に猛反対され、泣く泣く渡さんと別離を選んだ吉永小百合

さんですが、その後、ストレスから体調を崩す中、優しく手を差し伸べてくれた人がいました。今回は、吉永さんとご主人の馴れ初めなどについてご紹介します。

15歳年上のテレビプロデューサー・岡田太郎と知り合う

1969年両親の猛烈な反対により、俳優の渡哲也さんと破局し、その後、1971年に渡さんが

結婚したことを伝え聞くと、一人ヨーロッパに傷心旅行に旅立たったという吉永さんですが、

帰国後もやる気は起きず、渡さんとの破局をきっかけに両親とは反目するようになり、

それでも、相変わらずの過密スケジュールで、ついには精神的なストレスから、

声が出なくなってしまいます。そんな時、吉永さんは15歳年上のテレビプロデューサー・

岡田太郎さんと知り合われたそうで、岡田さんは、吉永さんの体調を思いやり、

様々な治療法をあたっては、効果のありそうなものを勧られたほか、

声が出なくても、一生懸命やれば見る人はわかってくれるよ

と、アドバイスされるなど、吉永さんを励まし続けたそうで、

そんな岡田さんの言葉に心を打たれた吉永さんは、いつしか、

(岡田さんは)いろんな治療法を勧めてくれて、声を取り戻しました。

自分を愛してくれている、という思いが膨らんでいった

と、岡田さんとの結婚を考えるようになったそうです。

吉永小百合から結婚を迫っていた

こうして吉永さんは、お父さんには仕事の打ち合わせを装い、フジテレビがあった河田町近辺の寿司店や新宿の和食店、銀座東急ホテルで、岡田さんとデートを重ねるようになったそうですが

( 銀座東急ホテルは、地下の駐車場からエレベーターに乗ると、1階のフロントに寄らずに

部屋に行けたそうです )

結婚に積極的だった吉永さんに対し、岡田さんはバツイチだったため、

結婚は大変だよ

女優は独身のほうが有利だから、このままでいい

と、結婚を渋っていたのだそうです。

ささやかな結婚式

それでも、吉永さん自ら結婚を迫って、1973年人気絶頂だった27歳の時、

めでたく結婚に至ったそうですが、案の定、岡田さんが吉永さんの15歳も年上だったことや

離婚歴があったことに両親は激怒したそうで、

吉永さんと岡田さんは、

披露宴と会見は公の場で行うとして、挙式だけはシンプルに行いたい

と、岡田さんと同期入社の千秋与四夫(せんしゅう よしお)さんの家で

式を挙げることになり、千秋さんは後に、

新郎新婦に、立会い兼仲人の形で、僕とみどり(奥さんの畠山みどりさん)、

それに小百合ちゃんの母親代わりの介添人として 先輩女優の奈良岡朋子さんに

来てもらった。

と、5人だけのささやかな結婚式だったことを明かされています。

 


岡田太郎さんと吉永さん。

結婚後1年間だけ女優業を休業し主婦業に専念

結婚後、吉永さんは、

もう一度、人間らしい生活をしたい

との思いから、女優業を休業して主婦業に専念されているのですが、

お料理は、目玉焼きしかできなかったため料理学校に通い、ダシの取り方や魚の三枚おろしを

習うほか、銀行に自分で行って手続きをされるなど、ひたすら家庭のことに専念し、

念願の「人間らしい生活」を送ることができたとのことで、

吉永さんは後に、

親が常に私の後にぴったりとくっついていて、私にいろいろ期待して、

娘を守ってきたというか、溺愛されていたんですね、父にも母にも。

それが苦しくて。(中略)だから結婚することで家を出て、名前を変えることで

親から離れようと思いました。

結婚相手は誰でもよかった

両親からの逃避行に必死だったの

と、両親との決別する目的で結婚したことを明かされています。

( ただ、吉永さんのお母さんはというと、1976年に出版したエッセイ「母だから女だから」で、娘を奪った岡田さんへの恨(うら)み辛(つら)みを綴られています )


子どもは?

 

そんな吉永さんと岡田さんの間には、お子さんはいらっしゃいません。

夫婦の約束で、子どもを作らなかったそうで、

吉永さんは、2018年映画「北の桜守」での取材の際、

映画と一緒に自然に年を重ねていけたらいい。映画たちは私の子供です。

と、おっしゃっています。

芸能界復帰後も順調な結婚生活

ところで、両親の反対を押し切って結婚し、結婚後は専業主婦の生活を満喫されていた

吉永さんも、翌年の1974年には復帰。

復帰後は、お互い多忙のため、すれ違いの生活が続いたそうですが、もともと、

お互いの人生を尊重しての結婚だったため、結婚生活はとても順調だったそうです。

また吉永さんは、お姑さん(岡田さんのお母さん)のことをとても大事にされていたそうで、

お姑さんの晩年は、岡田さん以上に介護に励んでいたと言われています。

夫・岡田太郎は、吉永小百合の手料理を楽しむ毎日

そんな吉永さんは、お姑さんの介護をする中で、15歳年上のご主人・岡田さんの将来を

考えて自宅マンションをバリアフリーにすべくリフォームされたそうですが、工事中に新たに

購入して夫婦で住んでいたマンションが気に入ったため、バリアフリーのリフォームが

完成した後も、以前住んでいたマンションは衣装部屋のような使い方をされていたそうです。

ただ近年、岡田さんが高齢となり足腰が弱くなってしまったことから、岡田さんだけ、

バリアフリーのマンションで暮らすことになり、吉永さんは愛着のある新しいマンションで

引き続き住む(岡田さんが住むバリアフリーのマンションは、車で20分ほどだったこともあり)、別居生活を送られていたそうです。そんな中、2014年夏頃、岡田さんが肝臓の病気で

危篤状態に陥ったことから、吉永さんがつきっきりで看病をされると、それが功を奏したのか、その後、岡田さんは、なんとかもちこたえ無事に退院。

その後は、再びお二人一緒に暮らすようになったそうで、映画関係者の話によると、

岡田さんは、小百合さんの手料理が日々の楽しみのようです。特にかつお出汁の

味噌汁が欠かせないそう。それから小百合さんは酒の肴が得意で、例えば、

いただき物のカラスミでも、手作りの梅酢につけたり、一手間をかけるようです。

と、現在も夫婦仲はとても良いとのことでした。

お笑い全盛の昨今において、バラエティに出て素の表情を見せ、

タレント化していく役者が多い中、女優業に専念されている吉永さん。

吉永さんには、これからも、そのスタンスを崩さず、いつまでも特別な存在で

有り続けてほしいものです。

 

もっと詳しく知りたい人は【 こいもうさぎのブログ 】をお読みください ニコニコ

 

「吉永小百合の母親の実家は上流階級も生い立ちが悲惨過ぎる!」 

 

 

今日書いた山口百恵・三浦友和さんの映画「火の舞」のあらすじに

出てきた(凄く似ている)出来事があったんですね。明日UP予定の渡哲也さんにも

似たようなことが・・・ びっくり

 

吉永小百合さんの両親に結婚を反対されて、1度目は諦めたけど、2度目は自分の意思を

貫いた小百合さんは、本当に岡田さんの事が大好きだったんですね。お幸せに 照れ おばあちゃん ラブラブ

 

松坂慶子さんも、両親に結婚を反対されてワイドショーで注目を浴びていましたが、

その後、自分の意思を通して結婚して子供もでき、夫婦円満で今でも仲がいいのかな?

また後日UPします 笑ううさぎ

 

 

純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、

体を動かしにくくしないで、転ばさないで ) をしてくるの止めて。 ムキー 爆弾 パンチ!

 

【 ボードゲームの禁じ手 】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規則で禁じられたものだけでなく、

「使うべきでない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※ このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!その技術使わないで!

 

人の脳の中枢神経などを触らない、潜在意識などに入ってコントロールしないで ムキー 爆弾 パンチ!

( 目の錯覚、老眼近視。思考が低下、停止にしない。記憶が出来ない、出てこない、忘れる。人に自分の考えを言わさない。理性を失わせないで。胸などにモヤモヤとさせないで。口臭も

人の仕事の邪魔をしないで、人の後ろに憑かない憑依しない。喉、頭や首の神経を痛くしない。

特に、乗り物を運転している時は、絶対に頭を低下やボーっとさせないで!体調不良にしないで

人を縛らない、人をコントロールしないで、もっと自由にさせて。人のモノマネや水晶禁止。

人に嫌なことをしたり、言って脅さない。人に必要以上に執着や嫉妬しない。過保護にしない。

人にお金を使わさないで( 家や外食、テイクアウト、旅行仕事も含む )。プライバシー侵害

個人保護法人を嵌めないで楽天、ソフトバンクグループに嫌な事はしないで、緊張させない

その力、仕事にだけ使って、自分勝手に使わないで。みんな(全部)に対して良い様に使って。

人に対して完璧主義を押し付けないで(暴言や自分勝手な言動行動は慎んで、人を縛らない

深夜に毎日、連絡してこないで。自分が言った言葉に責任を持って、高圧的に言ってこない、

考えが甘い、ワガママを言わないで。トイレ関係。唇びるを痺れさせない。こけさせない。

顔や身体を熱く冷たくしない )吸い上げない。怒りの感情を倍増しない笑い上戸にしない。

人のアイデアを盗ったり、利用しないで自分で考えて。パワーや感情を抑えたり取らないで。

やる気を取らない。ちゃんと直して。職権乱用しない。全責任は、お母さん達に取ってもらう。

解散や休止、脱退、独立、退社、業務提供解消させないで。離婚も。言論や表現の自由が

法で定められている)人のPCやスマホに、ハッカーみたいに侵入してこないで パンチ!むかっ

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守 って。みんなに対して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退をさせない。契約書、反故にしない )

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート