ORICON NEWS
今月2日に多発性骨髄腫のため亡くなったロックバンド・THE-GOOD-BYEのベーシスト、
加賀八郎さん(享年55)の通夜が4日、東京・祐天寺でしめやかに営まれた。
通夜には、同バンドのメンバーの野村義男、衛藤浩一らが弔問に訪れ、故人を偲んだ。
THE GOOD-BYEは、当時ジャニーズ事務所より1983年「気まぐれ One Way Boy」で
デビュー。90年には活動を停止したが、13年後の03年に再結成。
活動を再開させていたが、加賀さんは10年より多発性骨髄腫を発症。
今年迎えるデビュー30周年の記念ライブが水面下で進む中で他界した。
弔問に訪れた野村は、加賀さんとの思い出を聞かれると涙が頬をつたり「いろんなところで、いろんな思い出を作りました」。時折声を震わせ、「まだ何年も生きると思っていたし、
願っていた」と悲痛な思いを明かした。
予定していたデビュー30周年記念ライブは「どうしようかなって思っていたけど、やります」と宣言。「11月17日に(東京)国際フォーラムで。追悼はしない。いつも通りのグッバイで
30年のお祝いをする」と語った。「加賀さんも喜びますね?」との声には「はい」と
声を振り絞り、最後に言葉をかけるなら「…バイバイ、です」と時間をかけて答えた。
また衛藤は、「まさかこんなに急に亡くなるとは思っていなくて」と嘆き「最後に会ったのは
6月19日。1番辛い時期だったと思う」。また病床の加賀さんの病室にはスリッパが置いてなかったらしく「それは自分で歩けない、ということ…。でも『スリッパあるか』と(奥さんに)
言っていたらしく、歩く意志があったんだと思った」と生前の加賀さんの様子を明かしていた。
加賀さんの遺影には、バンド活動を再開して以降のライブ写真が使われ、妻・ゆう子さんと
娘さんが選んだという。会場には衛藤とのユニット・BAB などの楽曲約10曲が流れた。なお、同バンド・曾我泰久はライブのため通夜を欠席したが、あす行われる告別式には出席する。
ヨッちゃんも落胆…ザ・グッバイのベーシスト加賀八郎さん死去
[ 2013年7月3日 10:09 ] スポニチ
ジャニーズ事務所に所属していたロックバンド「THE GOOD-BYE(ザ・グッバイ)」の
ベーシスト、加賀八郎さんが2日、都内の病院で多発性骨髄腫のため、亡くなったことが
3日分かった。55歳だった。「THE GOOD-BYE」は1983年に野村義男(48)を
中心に結成され、90年に活動休止。2003年「再会ライブ」で復活し、翌04年には
アルバムをリリース、ライブツアーを行った。
加賀さんは白血病を患い、長く闘病生活を続けていた。今年は結成30周年ライブなども予定していたとあって、関係者によると、野村をはじめメンバーは落胆しているという。
通夜は4日午後6時から、葬儀・告別式は5日正午から、ともに東京都目黒区中目黒
5-24-53 「祐天寺 祐光殿」で。喪主は妻の加賀ゆう子さん。
妻のゆう子さんは、池沢理美のペンネームで活動する漫画家。
自身のツイッターで2日夜「夫、加賀八郎、本日午前10時15分、息を引き取りました。
生前お世話になった皆様、彼の音楽を愛してくださった皆様には、ただただ感謝いたします。
ありがとうございました。はっちゃん、頑張りました」とツイートしていた。
ザ・グッバイの加賀八郎さん死去
2013年7月4日 デイリー
80年代に活躍したロックバンド「The Good-Bye」でベースを務めたミュージシャン・
加賀八郎さんが2日に死去したことが3日、分かった。55歳。
妻で漫画家の池沢理美さん(51)がツイッターで公表した。
加賀さんは3年前に多発性骨髄腫と診断されたことを告白しており、今年5月末から入院、
闘病生活を送っていた。同バンドのメンバーだった野村義男(48)は、ブログで亡くなった
加賀さんと悲しみの対面したことを明かし、加賀さんへの感謝の言葉とともに
「死んだなんて思ってねぇ~からな、寝たフリしてんじゃねぇ~よ」と無念の胸中を綴った。
加賀八郎さんの葬儀に野村義男ら参列
2日に多発性骨髄腫のため死去したロックバンド「THE GOOD-BYE」のベーシスト
加賀八郎さん(享年55)の葬儀・告別式が5日、東京・祐天寺祐光殿で営まれた。
野村義男(48)をはじめバンドのメンバーや親交のあった著名人らが駆け付け、
故人と最後の別れをした。祭壇は鮮やかなヒマワリの花に包まれ、遺影にはベースを
演奏している生き生きとした写真が使われた。棺のふたを閉める直前、野村は棺の花に
顔をうずめるようにして、こらえ切れず涙を流していた。
出席した元爆風スランプのサンプラザ中野くん(52)は、加賀さんとは20年来の知り合い
だった。「(爆風の)活動休止中、『一緒にバンドをやろう』と誘われたことがあった。うれしかった」。爆風の兄貴分的な存在で、仲間を集めて酒を飲むことも多かったという。「野村さんや真心ブラザーズをサポートして世に出した功績は大きい」と早すぎる死を惜しんでいた。
2015年12月11日、夫婦の闘病エッセイコミック『 はっちゃん、またね
多発性骨髄腫とともに生きた夫婦の1094日 』が発売された。
最愛の夫はっちゃんを見送った漫画家・池沢理美さんにお話を伺った。
2016.01.20
池沢理美(いけざわ・さとみ)
1962年3月18日生まれ。2000年、『ぐるぐるポンちゃん』で第24回講談社漫画賞受賞。
美化せず本当のことを描きたかった。
第13話「祈り」より。八郎さんの旅立ちのシーン。
それまでの壮絶な苦しみから一転、緩和ケア病棟にて静かな最期を迎えた
──八郎さんの最後はあまりに壮絶で、とても「安らか」とはいえない表現でした。亡くなったお顔も目と口が開いたままでリアルというか。作中でも池沢さんご自身が「安らかなお顔で良かったって言ってもらえないよ」と話しかけていましたよね。
池沢:映画で見るようなきれいなシーンではなく、素直に本当のことを描こうと思っていたん
です。加賀八郎の生き様を美化したくなかったといいますか、ありのままを表現したかったん
です。とくに、生きているときと亡くなったときの境目を漫画でも分かるように、
“目の光” で表現しました。
──光がなくなることで死が決定するという?
池沢:飼い犬のガッツ(第8話「いのち」にて死亡。)でも同じでした。
呼吸がなくなって、目の光がなくなって。
看取る側であることを覚悟したときは?
第2話「多発性骨髄腫という病」より。八郎さんの入院から1週間が過ぎた頃。
主治医からあらためて病気の深刻さを告げられた帰り道
──八郎さんと池沢さんは本当にラブラブなご夫婦でしたよね。
池沢さんも八郎さんが病気になる前に、「はっちゃんが先に死ん
だら、あたし生きていけない」とおっしゃっていたそうですが。
池沢:はっちゃんが元気なうちから、そんなことを考えて泣いたりしていたんです(笑)。
本人にもよく言っていました。そしたら「そうなったらキミは生きていけそうにないね」って。どうしてバラバラに死ななければいけないのかと思うだけで悲しくて。
死ぬときは一緒がいいのにと思っていたんです。
──そんなに仲のいいご夫婦で、池沢さんが看取る側になると
自覚したタイミングっていつだったのでしょうか。
池沢:はっきり意識した瞬間はないんですよ。宣告されたときも、
余命について説明されたりしてとにかく動揺してしまっていて。
──第1話での病院での宣告シーンでは池沢さんが呆然とされている様子が印象的でした。医師の「最善を尽くします」という言葉に「ドラマのセリフみたい」と思われていたり。
池沢:そのくせ入院費の高さに驚いてしまったり、完全にパニック状態でした。その後も原付で病院に通っていたのですが、道すがら月を見て「嘘だと言ってくれないかなあ」なんて思っていたり。 漫画にも描きましたが、宣告される前に八郎に現れていた色々な症状(鼻からの出血、物忘れ、ぎっくり腰など)がすべて多発性骨髄腫からくるものだと知って、もっと早く採血を
していれば……ということも頭をグルグルめぐってしまっていました。
──パニックから抜けた時は覚えていますか?
池沢:それも徐々にだったように思います。漫画で描いているシーンは症状の悪いところが多いのですが、多発性骨髄腫はいきなり悪くなる病気ではなかったんです。時間があるんですね。
効果のある薬が見つかれば、調子のいい時が多くなって食べられるようになったり、ライブの
リハもできていましたから。死の影が薄らいでいた時期もあったので、現実として自分に
何ができるか考えることができました。
心の底からの「ありがたい」が増えた
第7話「食べれる幸せ」より。合う薬が見つからず、吐き気と体重減少に悩まされていた頃。
新しい薬によって食欲が回復。アイスクリームを完食したシーンには池沢さんの
「ありがたい」が溢れていた ©池沢理美/講談社
──ご自分にできることとは?
池沢:薬や病気について調べることもそうですが、迫ってくる時間を大切にすることです。
できる範囲の精一杯をすることと、気持ちを伝えることです。じつは彼が病気にかかってからも幸せを感じていたんです。体調が良くて、はっちゃんがニコニコしていると本当に嬉しくて。
──とくに食事シーンは、読んでいて記憶に残るんです。
ごはんを残さず食べられたときや、THE GOOD-BYEのメンバーが
来てホームパーティをしたりするシーンは、読んでいても
幸せが溢れているように感じていました。
池沢:この作品を始めるときに食事シーンは私が描きたいことのひとつでした。
──退院して自宅での夕食後にアイスクリームにラム酒をかけて
食べているシーンが印象的です。薬の副作用などで食事が
とれない日が続いていたので、八郎さんが自ら食べると
おっしゃったのが嬉しい衝撃でした。
池沢:はっちゃんの「これ食う!」と言ったときの顔が描きたかったんです。食べ終わって
吐き気も起こらず満足そうな顔が嬉しくて嬉しくて。アイスクリームを食べられたというだけのことがありがたかったんです。彼が病気になってから、心の底から「ありがたい」と思えることが増えました。たとえば透析の日に病院に行くと、入館手続きする受付の人が顔を覚えていて
通してくれたこと。ほんの少しだったとしても気持ちをいただけると、「ああ、ありがたいな」と噛み締めていました。毎日を大切にしなきゃと考えるようになったんです。
もしいまのうちにやれることがあるなら──
「2ショット写真を撮っておくこと」
池沢さんと「はっちゃん」こと加賀八郎さん
──もし、大切な人が八郎さんと同じように病気にかかっていて、なにもできないと落ち込んでいる人がいたとしたら、どんな言葉をかけますか?
池沢:自分もそうだったんですが、精一杯のできることをすればいいと思います。
相手には真心は伝わっているし、最後、本当に病状が悪化して苦しんでいるときは彼ひとりの
闘いで私は視界に入っていないように感じていたのですが、そんなときも会話はあったんです。大きな後悔はありませんが、気持ちはもっと伝えればよかったかもしれません。
本当は元気なうちから。時間があることはあたりまえなことではありませんから。
──以前から夫婦の会話は多い方だったとのことですが、
さらにですか?
池沢:大事なことというよりは、ビールを飲みながらああだこうだ楽しくしゃべっている
夫婦でした。入院してからもLINEのやりとりは頻繁にしていたのですが、「大好き」、
「ありがとう」といった会話は多くはありませんでした。
──LINEといえば単行本のエピソードに収録されていた八郎さん
からの最後のメッセージ「文かかるま」(亡くなる直前は意識障害によるミスタッチや混乱などが生じていた。)の意味が判明したとお聞きしました。その前の池沢さんからのメッセージが
「これから行くね(病院に)」だったそうですが。
池沢:友人が本を読んで教えてくれたのですが、「何分かかるの?」じゃないかなって!
その友人も近しい人が入院していて、よく友人にそう聞いていたそうなんです。
それからあとに別の友人も同じように教えてくれて。タイムカプセルが開いた感じです(笑)
──池沢さんに早く会いたかったんですね!
池沢:やっておいたほうがいいことについていま思ったのですけれど、ツーショット写真は撮っておいたほうがいいかもしれません。夫婦のツーショットって案外撮る機会ないんですよ。猫と一緒に撮ったりはありますけど。写真を見返しても楽しいですし。ぜひオススメします(笑)。
多発性骨髄腫を発症した夫・加賀八郎(「THE GOOD-BYE」ベース、ボーカル)との日々を、妻で漫画家の池沢理美が描いた、夫婦の闘病コミックエッセイ。夫婦で過ごした切なくも
愛おしい1094日間の物語です。感動の描き下ろしエピソード9ページと、「THE GOOD-BYE」メンバーからのメッセージも収録!
アミューズ同様、旧ジャニーズ事務所所属だったので、親族である奥さんも守られています。
なにかあれば、信頼できる人やSNSを活用して下さい。応援しています
宣告される前に八郎に現れていた色々な症状(鼻からの出血、物忘れ、ぎっくり腰など)が
すべて多発性骨髄腫からくるものだと知って、もっと早く採血をしていれば……ということも
頭をグルグルめぐってしまっていました。そして、亡くなる直前は意識障害によるミスタッチや混乱などが生じていたと書かれていましたが。私も似た症状が2019年~現在もあります。
物忘れ、記憶障害、ギックリ腰、ミスタッチや混乱も現在もあります。
頭がクルクル同じ言葉が回っていた時期もありました。(2020年~22年くらいの時期に)
それは、あの子の気持ちを持って来られたり、あの三女が自分の力を使って人の脳の
中枢神経を触ってくるから、こういう症状が出てくると気が付きました
2022年11月頃に次女に直してもらった時に、明菜さんの事も直してほしいとお願いし、
少しづつですが上々に良い様に、明菜さん頑張ってくれているので本当に良かったです。
現在も、あの三女が人に嫌な事をしてくるのですが、若い人たちが時々直してくれるので
助かっています& ありがとう
THE GOOD-BYEのファンだったので・・・ご冥福をお祈りいたします。
源氏物語のあらすじ
二十七帖 篝火(かがりび)
近江の君に対する内大臣の態度を源氏は非難する。
玉鬘は徐々に源氏に惹かれはじめるが、男女の関係になることはなかった。
玉鬘は偶然、柏木たち血のつながった兄弟の楽を聴いて感動する。
事情を知らない柏木は美しい玉鬘を前に緊張する。
夕霧、紫の上に懸想する
最近、また純ちゃんに嫌な事 (首や頭を痛くしない) をしてくるの止めて
【 ボードゲームの禁じ手 】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規則で禁じられたものだけでなく、
「使うべきでない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※ このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
人の脳の中枢神経を触らない、潜在意識などに入ってコントロールしないで
( 目の錯覚、老眼近視。思考が低下、停止にしない。記憶が出来ない、出てこない、忘れる。人に自分の考えを言わさない。理性を失わせないで。胸などにモヤモヤとさせないで。口臭も
人の仕事の邪魔をしないで、人の後ろに憑かない憑依しない。喉、頭や首の神経を痛くしない。
特に、乗り物を運転している時は、絶対に頭を低下やボーっとさせないで!体調不良にしないで
人を縛らない、人をコントロールしないで、もっと自由にさせて。人のモノマネや水晶禁止。
人に嫌なことをしたり、言って脅さない。人に必要以上に執着や嫉妬しない。過保護にしない。
人にお金を使わさないで( 家や外食、テイクアウト、旅行仕事も含む )。プライバシー侵害、
個人保護法。人を嵌めないで。楽天、ソフトバンクグループに嫌な事はしないで、手塚にも。
その力、仕事にだけ使って、自分勝手に使わないで。みんな(全部)に対して良い様に使って。
人に対して完璧主義を押し付けないで(暴言や自分勝手な言動行動は慎んで、人を縛らない)
毎日、深夜に連絡してこないで。自分が言った言葉に責任を持って、高圧的に言ってこない、
考えが甘い、ワガママを言わないで。トイレ関係。唇びるを痺れさせない。こけさせない。
顔や身体を熱く冷たくしない )吸い上げない。怒りの感情を倍増しない、笑い上戸にしない。
人のアイデアを盗ったり、利用しないで自分で考えて。パワーや感情を抑えたり取らないで。
やる気を取らない。ちゃんと直して。職権乱用しない。全責任は、お母さん達に取ってもらう。
解散や休止、脱退、独立、業務提供解消させないで。離婚も。言論や表現の自由が法で定められている)今まで我慢してきたけど、人のPCやスマホにハッカーみたいに侵入してこないで
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守 って。みんなに対して
( 私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退をさせない。契約書、反故にしない )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました