(1977年)昭和52年6月27日早朝。
山口百恵は、母親の正子さんと二人で家を出た。
向かった先は、日出女子学園。
二人が学校に着いたのは午前10時。
この日は、季節外れの ”卒業式” だった・・・。
3年前。
山口百恵は、多忙なタレント活動の合間を縫って受験勉強に励み、
第一志望校であった日出女子学園に見事合格した。
「どんなに苦しくても、高校だけは卒業する」
15歳の百恵は、固く心に誓っていたという。
しかし、現実は甘くなかった。
周囲の期待を遥かに超えて、歌手として、そして女優として大成功した山口百恵。
歌と芝居のスケジュールに追われ、睡眠時間4~5時間という過酷な毎日を過ごしていた。
それでも勉強は手を抜かず、学校の試験では
なかなかの成績を残していたという百恵だったが・・・
しかし、卒業に必要な出席日数が足りなかった。
3月の卒業式で、同級生と一緒に卒業式に出る事は叶わなかったのだ。
だが、それからも、百恵は高校に通い続けた。
そして、同級生が卒業した3か月後の6月27日。
とうとう、山口百恵は高校の卒業証書を手にすることが出来たのだ。
たった一人きりの卒業式。しかし、百恵の横には母・正子さんがいた。
百恵と妹の淑恵さんを女手一つで育ててきた正子さん。
幼い頃から百恵は、母の壮絶な苦労を見てきた。
その母親と二人で百恵は、高校の卒業式を迎えた。
同級生のいない、ひっそりとした卒業式。
しかし、母と娘の人知れない苦労で、ようやく辿り着いた卒業式。
百恵が手に取った卒業証書は、ずしりと重たかったに違いない。
デヴィ夫人が若い頃は、高級クラブで 「 プリンセス 」と
呼ばれ大人気だった! 【 こいもうさぎのブログ 】より
貧しい家庭で生まれ育たったことから、中学卒業後は、家計を支えるため、定時制高校に
通いながら、千代田生命保険会社(現・ジブラルタ生命保険)に就職し、休憩時間や
土日には、アルバイトを掛け持ちしていたというデヴィ夫人。しかし、17歳の時、
ひょんなきっかけで高級クラブ「コパカバーナ」で接客するようになります。
年齢は?出身は?身長は?本名は?ハーフ?
デヴィ夫人は、1940年2月6日生まれ、
東京府東京市麻布区霞町( 現:東京都港区西麻布 )の出身、
身長 159センチ、血液型は A型、
本名(インドネシア名)は、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ( Ratna Sari Dewi Sukarno )(「宝石 聖なる女神」という意味だそうです )
旧名・日本名は、根本 七保子( ねもと なおこ )
学歴は、東京都港区立高陵中学校 ⇒ 東京都立三田高等学校定時制部中退
趣味は、絵画、日舞、特技は、水泳、
ちなみに、デヴィ夫人は、お父さん( 兵七郎さん )、お母さん( 政子さん )、
ともに日本人ですので、純日本人。ハーフではありません。
貧しかった少女時代
デヴィ夫人のお父さんは、大工の棟梁だったそうですが、お人好しで、お金を取らずに
家を建てていたことから、家庭は貧しかったそうで、デヴィ夫人は、1955年15歳の時、貧乏
から抜け出すために女優になろうと決意すると「東芸プロダクション」に研究生として入団。
演技や舞踊などを習い始めると、エキストラとしてテレビや映画に出演し、
お金を稼ぐようになったそうです。
中学時代のデヴィ夫人。
そして、中学卒業後は、定時制高校に進学するのですが、エキストラだけでは満足な収入が
得られなかったため、「千代田生命保険会社」( 現・ジブラルタ生命保険 )に就職し、
お昼休みの1時間は会社の近くの喫茶店でアルバイト、土日もコーヒーショップで
アルバイトをして、貧しい家計を支えたそうです。
高校時代のデヴィ夫人。
高級クラブ「コパカバーナ」で「プリンセス」と呼ばれる人気者に
そんな中、1956年には、お父さんが他界したことでデヴィ夫人は高校は中退し、ますます、様々な仕事を掛け持ちして、家計を支えていたそうですが、翌年の1957年17歳の時、
アメリカ人宝石商のジェイムズ・ベイカーさんと知り合うと、お金持ちのベイカーさんに
色々なところに連れて行ってもらうようになったそうで、赤坂にある有名高級クラブ
「コパカバーナ」に出入りするようになると、オーナーだった長尾久子さんに気に入られ、
「コパカバーナ」で働き始めることに。すると、デヴィ夫人は、持ち前の美貌で、
たちまち「プリンセス」と呼ばれる人気者になったのでした。
デヴィ夫人の元夫スカルノ大統領との出会いは?
![](https://i0.wp.com/koimousagi.com/wp-content/uploads/2021/11/dewisukarno_president.jpg?resize=320%2C245&quality=100&ssl=1)
高級クラブ「コパカバーナ」で働きながら世界進出を伺っていた
デヴィ夫人は、当時を振り返り、
お客さんの90%が外国人。世界の社交場のような名声を得ていて、当時の大学
新卒の給与が1万ぐらいだった時代に、その時のテーブルチャージは、
フランク・シナトラが歌った夜は1人10万円。
どのぐらい豪華なクラブだったかお分かりかしら。
新聞の朝刊に米上院議員のテッド・ケネディ氏が来日したとあると、
その夜には、彼の姿がそこにあるぐらいの世界の社交場。
ここで働く女性は、ファッション誌から抜け出したような人たちばかり。
そして、ここへ遊びにいらっしゃる紳士たちは女性の椅子を引き、飲み物をオーダー、ダンスをする時は手を差しのべる、すべてがレディーファースト。
わたくしは美しい花、そう「レディ」に憧れを抱いておりました。
と、語っているのですが、
実は、デヴィ夫人が「コパカバーナ」で働いたのには、自立や家計を支えること以外にも、
英語を話せるようになるという目的もあったそうで、働きながら英会話の練習をする日々を
送り、一流の外国人と会話を交わしながら、世界進出するチャンスを伺っていたのだそうです。
スカルノ大統領との出会い
すると、1959年19歳の時、旧帝国ホテルのプルニエ( フランス風の魚介類料理専門の
レストラン )で友達と待ち合わせをしていたところ、ちょうどインドネシアのスカルノ大統領が来日中で、同ホテルでパーティーをしていたそうで、その場でスカルノ大統領の側近に、
大統領と一緒にお茶を飲みませんか?
と、誘われたというのです。
そこで、案内されるままに、大統領の隣に座らされたそうですが、
デヴィ夫人は、その時のスカルノ大統領について、
大きな目はキラキラと輝き、チャーミングな八重歯が印象的。
第一印象で、慈悲深い大きな優しさを感じ、一瞬イナズマに打たれた気がしたのは今もハッキリと覚えています。
クラブで働いていたので、外国の富豪とは対等にお付き合いしてきましたが、それでも、その時の雰囲気は特別!とても緊張しましたが、しばらく談笑して
その日はお別れいたしました。
と、語っています。
スカルノ大統領と文通を経てインドネシアへ
その後、デヴィ夫人は、スカルノ大統領から「写真を送ってほしい」と手紙をもらったそうで、写真を添えて返信すると、以降3ヶ月間、文通していたそうですが、
ある日のこと、いつものようにスカルノ大統領からの手紙を受け取ると、そこには、
2週間ぐらいインドネシアに遊びに来ませんか?
と、書かれてあったのだそうです。
実は、当時デヴィ夫人は、アメリカやフィリピンの大富豪たちから求婚されていたそうですが、それでも、自分の人生は他にあるのではないかと、決めかねていたところだったそうで、
そんな折のスカルノ大統領からの誘いに、多少、国の大統領であるという不安はあったものの、
インドネシアへ行ったら、何か閃(ひら)めきがあるかもしれない
と、思ったそうで、デヴィ夫人はインドネシア行きを決意したのでした。
【 ボードゲームの禁じ手 】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規則で禁じられたものだけでなく、
「使うべきでない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
人の脳の中枢神経を触らない、潜在意識などに入ってコントロールしないで
( 目の錯覚、老眼近視。思考が低下、停止にしない。記憶が出来ない、出てこない、忘れる。人に自分の考えを言わさない。理性を失わせないで。胸などにモヤモヤとさせないで。
人の仕事の邪魔をしないで、人の後ろに憑かない憑依しない。喉、頭や首の神経を痛くしない。
人を縛らない、人をコントロールしないで、もっと自由にさせて。人のものまね、水晶禁止。
人に嫌なことをしたり、言って脅さない。人に必要以上に執着や嫉妬しない。過保護にしない。
人にお金を使わさないで( 家や外食、テイクアウト、旅行仕事も含む )。プライバシー侵害、
個人保護法。人を嵌めないで。楽天、ソフトバンクグループに嫌な事はしないで、手塚にも。
その力、仕事にだけ使って、自分勝手に使わないで。みんな(全部)に対して良い様に使って。
人に対して完璧主義を押し付けないで(暴言や自分勝手な言動行動は慎んで、人を縛らない)
毎日、深夜に連絡してこないで。自分が言った言葉に責任を持って、高圧的に言ってこない、
考えが甘い、ワガママを言わないで。トイレ関係。唇びるを痺れさせない。こけさせない。
顔や身体を熱く冷たくしない )吸い上げない。怒りの感情を倍増しない、笑い上戸にしない。
頭をボーッとさせない。人のアイデアを盗ったり、利用しないで自分で考えて。
やる気を取らない。ちゃんと直して。職権乱用しない。全責任は、お母さん達に取ってもらう
解散や休止、脱退、独立、業務提供解消させないで。離婚も。言論や表現の自由が法で定められている)今まで我慢してきたけど、人のPCやスマホにハッカーみたいに侵入してこないで
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守 って。みんなに対して
( 私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退をさせない。契約書、反故にしない )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました