2022.07.08
元漫才コンビ・ベイブルースの高山トモヒロといえば、雨上がり決死隊と同期で、
次世代のダウンタウンと期待されていました。
ところが、1994年10月31日、突然相方を亡くすという不幸に見舞われたのです。
その元相方とは、吉本興業の芸能学校NSCの7期生として、
高山トモヒロとコンビを組んでいた河本栄得氏。享年25歳。
河本栄得氏の急死は芸人仲間のみならず、ファンなど多くの人々が悲しみに暮れたのです。
なお、急逝したベイブルース・河本栄得氏の死因は「劇症肝炎」。
河本栄得氏はTVのロケ撮影中に体調不良を訴えて入院。
しかし、その後に容態が急変し、即集中治療室へ運び込まれ、
26歳の誕生日の前日にこの世を去ったのです。
ちなみに、当時ベイブルース・河本栄得氏が付き合っていた彼女は、
メンバメイのココだったとか。
彼女だったココは、他の芸人仲間と通夜や葬儀に参列。
大阪市淀川区内で行われたベイブルース・河本栄得氏の葬儀・告別式では、相方の高山トモヒロが「皆さん、天国に向かって ”河本のアホ” と叫んだって下さい」と弔辞を読み上げたのです。
それから20年以上経った現在、高山トモヒロは和泉修を相方に
コンビ名「ケツカッチン」として舞台に立っています。
そこで今回は、伝説のお笑いコンビ「ベイブルース」で
天才と言われた河本栄得氏について、まとめてみました。
河本栄得の死因の劇症肝炎とは?
高山トモヒロの元相方・河本栄得氏の訃報ニュースは関西に激震が走りました。
体調不良を訴え入院した河本栄得氏の死因は「劇症肝炎による脳出血のため」と発表。
ベイブルース・河本栄得氏の死因となった「劇症肝炎」とは、以下のように説明されています。
肝臓は、身体に必要な物質を合成し、薬物や身体に有害となる物質を解毒、
排泄するなど、生命活動にとって重要な役割を担っています。
肝臓の中で、これらの働きを担う細胞(肝細胞)が急激にかつ大量に
壊れることによって、その機能が低下する病気が劇症肝炎です。
肝臓の機能が低下すると、血液を凝固させるために必要なタンパク(凝固因子)の産生が失われ、また、身体に有害な物質が蓄積して意識障害(肝性脳症)が
出現します。もともと健康な人に全身のだるさ、吐き気、食欲不振など急性肝炎と同じ症状が現れてから8週間以内に肝性脳症が見られ、血液中の凝固因子が
著しく低下した場合に劇症肝炎と診断します。
肝細胞は増殖する能力に富んでいるために、急性肝炎の大部分は、
肝細胞が壊されても自然に元の状態に戻ります(肝再生)。
しかし、劇症肝炎ではこの破壊が広くおよぶために、肝細胞の増殖が障害されて、適切な治療を行わないと高頻度に死に至ります。
引用元:難病情報センターより
当時、ベイブルースはラジオ番組「ヤングタウン」を受け持っていて、河本栄得氏が
亡くなった当日、高山トモヒロはリスナーに知られないよう番組をこなしたといいます。
ですが、次の週「隠しててごめんなさい」「入院しているが元気だと嘘をついてました」と、
実際は、河本栄得氏が意識不明だったことを明かしたのです。
なお、最後となったベイブルース・河本栄得氏のテレビ出演は、
スマップの番組「夢はモリモリ」のキックベース。
でしたが、番組が放送されたときには、すでに亡くなっていたのです。
河本栄得の葬儀に彼女のメンバメイのココが参列
河本栄得氏とコンビを組んでいた高山トモヒロの嫁・美喜子さんは、NSC時代の同期です。
嫁・美喜子さんも芸人を目指していたのですが、デビュー前にすでに妊娠してしまい、
デビューすることなく高山トモヒロと結婚。
また、相方である河本栄得氏が生前付き合っていた彼女もまた、女芸人だったのです。
当時の彼女だった名前は、かつて「メンバメイコボルスミ11」という漫才コンビを
組んでいたココ・シャネル。「メンバメイコボルスミ11」は、ココ・シャネルこと
栄 孝子とビク・トリアこと岡村理世のコンビで、1985年~1988年の間活動。
ダウンタウンがMCを務めていた番組「4時ですよ~だ」に出演していました。
ですが、コンビ期間は3年しか続かず、ビク・トリアは芸人を辞め引退。
ココ・シャネルだけがしばらくピンでやっていましたが、今はすでに引退しています。
河本栄得氏が亡くなったとき、彼女のココは芸人仲間の山田花子や陣内智則らと共に
通夜や葬儀に参列。
高山トモヒロの青春を描いた映画「ベイブルース~25歳と364日~」にも、
当時彼女だったココ・シャネルとのエピソードが描かれています。
河本栄得の元相方は、高山トモヒロ
高山トモヒロと元相方の河本栄得氏は同級生で、共に高校時代は
大阪市立桜宮高校野球部に所属していたようです。
高校卒業後は、吉本総合芸能学院NSC7期生として、コンビ「河本・高山」を結成。
同期には雨上がり決死隊などがいて、宮迫博之らと仲が良いことでも知られています。
また、高山トモヒロと河本栄得氏は、NSC卒業と同時に、コンビ名を「ベイブルース」に変更。
「てんそ」こと吉本印天然素材、千原兄弟らと共に、
1990年代前半の関西吉本の若手をけん引していました。
ベイブルースは、上方お笑い大賞をはじめとする賞を総ナメにし、「次世代のダウンタウン」と言われるほどの若手有望株でしたが、ロケ中に河本栄得氏が体調不良を訴えて入院。
そのわずか2週間後、26歳の誕生日の前日に急逝したのです。
高山トモヒロの元相方ベイブルースの河本栄得の死因は?
宮迫との関係が泣ける
元雨上がり決死隊の宮迫さんとの関係も深かったようです。
今回は、伝説の漫才師「ベイブルース」や高山トモヒロさん、
元相方河本さんの死因や雨上がり宮迫さんとの関係を調べてみました。
高山トモヒロさんは現在ケツカッチンというお笑いコンビで活動されています。
相方は 和泉修さん。( 和泉修さんは以前、清水圭さんと圭・修と言うコンビで活動)
そういえば、学生時代なんばグランド花月に初めて行ったとき
圭・修と雨上がり決死隊の漫才を見た記憶があります。
その頃、吉本新喜劇は知ってましたが、生で漫才なんかも見た事なかったんですけど
すごく面白かったのを覚えてます。
相方は河本栄得さん。
ベイブルースの漫才のネタも、この河本栄得さんが書かれていました。
河本栄得さんの漫才に対する情熱は、とても熱かったようです。
ベイブルース 河本栄得
河本栄得さんはネタ作りに関しては、とにかく研究を重ね
コンピューターのように精密な計算がされたネタを作っていたそうです。
高山さんのツッコミが納得いかないと、怒鳴りちらされたりしたんだとか。
めちゃくちゃ漫才に対して、真剣に取り組んでいたんでしょうね。
その実力は、周りの芸人仲間にも注目されていたようです。
同期の雨上がり決死隊の宮迫さんも「ベイブルースっていうもの凄い漫才の
うまいコンビが同期にいて、勝てないと思ったのでコント主体でいくことにした」
と以前語っていたそうです。
同期は、雨上がり決死隊、矢部美幸(ナイナイ矢部の兄)トゥナイトのなるみなど。
そんな実力もあり、人気絶頂だったベイブルースを悲劇が襲いました。
ベイブルースの河本栄得さんが体調不良を訴え入院することになります。
その入院からたった半月後、25歳という若さで亡くなってしまったんですね。
ちょうど26歳の誕生日の1日前、1994年10月31日
劇症肝炎による脳出血のため亡くなってしまったのです。
劇症肝炎とは、急性肝炎のなかでも特に重症のもので、高度の肝機能不全と
意識障害(肝性脳症または、肝性昏睡を特徴とします。
引用元:https://health.goo.ne.jp/medical/10I10600
若くして相方を亡くした高山さんの苦悩は、計り知れないですね。
相方の死後もベイブルース高山としいて、ピンで活動していましたが、
ケツカッチンとして活動始めた為、ベイブルースは2001年に正式解散となりました。
ベイブルースと同期の雨上がり決死隊。
雨上がり宮迫との関係は?
NSCの同期である元雨上がり決死隊の宮迫さんは以前「○○の妻」に登場し
ベイブルースについて語っています。予告では号泣する宮迫さんが写っていましたが、
高山トモヒロさんとの関係はどうなんでしょうか?
宮迫さんはベイブルースに勝てないと思っていた位ですから、
同期でもありますが相当なライバルでもあった思われます。
多くは語られていないようですが宮迫さんは、高山さんの苦悩も間近で見てきた
のではないかと思います。その時を思い出しての番組での号泣ではないかと・・・
宮迫さんにとって河本さんは、唯一弱音を言えた存在だったそうで、亡くなった時は
道ばたで大声出して泣いてしまったと番組で語り涙を流していました。
高山さんと宮迫さんの二人は以前、河本さんが体調不良で倒れた後や病に倒れた後、
お通夜や葬儀の様子などについて読売テレビのトーク番組『祗園笑者』で語っています。
当時の事を悲しかったと思いますが、笑い飛ばすように話していたそうです。
さすがは芸人というべきでしょう。。そして宮迫さんは、河本さんの命日の
2016年10月31日に高山さんとお酒を飲んだことをツイッターやブログで公開しています。
その時の写真が
高山さんと宮迫さんに間に河本さんのすわるスペースが空けられていて、
これがネットで泣けると話題になったようです。
たしかにこれはなんかグッときますね。。。
ベイブルース 映画
26歳を前にこの世を去った高山トモヒロさんの相方河本栄得さん。
共に歩んだ漫才コンビ、ベイブルース芸人時代を高山さんが本にしています。
「ベイブルース 25歳と364日」
また、その本は映画になっていて2014年に映画「ベイブルース ~25歳と364日~」が
公開されています。監督は著者でもある高山トモヒロさん。
この映画には、雨上がりの宮迫さんも出演されていますが、下ネタ発言ばかりだったので
出演シーンは、ほとんどカットされていてちょっとしか登場していないそうです。
DVDも発売されています。
河本さんは、今でも面白いまま高山さんや宮迫さんの中に生き続けているんでしょうね。。
高山トモヒロの娘は芸人?
以前○○の妻に登場した高山トモヒロさんの奥さんもNSC時代の同期だったそうですね。
名前は高山美喜子(たかやま みきこ)さん。3人の子供さんがいるそうです。
ベイブルースとしてデビューし活動中には、すでに結婚していたそうですが
公表していなかったんだそうです。なのでベイブルースが芸人としてその実力が
注目され活躍している時も、相方の河本さんが亡くなった時もそばにいたんですね。
相方の死後完全落ち込んでいた高山さんを支え、そして芸人として復帰する際には、
結婚していることを公表、そして子供がいる事もみんなに伝えたんだとか。
ピン芸人として復帰した際、まだ小さかった子供とも一緒に番組で共演していたそうです。
NSC出身の奥さんから子供へコメントのアドバイスなんかもあったと言っていましたね。
その時共演してたのが、3人の子供の中の一人次女の光永(ひなた)さん。
光永さんは、NSCに入り今芸人として活動しているそうですね。
娘の光永(ひなた)さんにも今後注目が集まりそうですね!
人気漫才師25年の生涯映画化、ベイブルース・河本さん
命日に公開。 月13日 9時26分 ナリナリドットコム
25年の短くも熱い人生を生き抜いた漫才コンビ・ベイブルースの河本栄得さんの
壮絶なる実話を、相方・高山トモヒロが映画化した「ベイブルース~25歳と364日~」が、
河本さんの20回目の命日にあたる10月31日(金)より公開される。
河本さんの死から15年を経て、相方の高山が綴った小説「ベイブルース 25歳と364日」
(ワニブックス)は、当時、多くの関係者に衝撃と感動を与え、その後のお笑い芸人を
目指す若者のバイブルとなった。そして時を隔てることさらに5年。
この小説を原作に、高山自らメガホンを取り、遂に映画化が実現した。
「一生懸命」がダサい。「頑張ること」が恥ずかしい。そんな風潮の現代にその人生
全てを以て問いかける河本さんを演じるのは、映画「パッチギ!」で本格デビューし、
連続テレビ小説「てっぱん」、フジテレビ開局50周年記念ドラマ特別企画「黒部の太陽」
などで演技力を高く評価された趙たみ和。2013年に上演された「吉本百年物語」では
松本人志役を堂々と演じて話題を呼んだ彼が、病魔に襲われながらもお笑い界のトップに
向かって駆け上ろうとする河本さんの姿を鬼気迫る演技で熱演している。
一方、相方の高山役には、趙と同じく「パッチギ!」で注目を集めて以来、
品川ヒロシ監督の「ドロップ」や「探偵はBARにいる」ほか数多くの作品で
強烈な存在感を残している波岡一喜。「パッチギ!」以来の親友であるという
趙と波岡が見せる息ぴったりの漫才も見どころの一つだ。
キャストにはほかに、不器用な息子を優しく見守る河本さんの母親役を石田えり、
高山の母を小川菜摘が演じるほか、ベイブルースの同期である雨上がり決死隊の宮迫博之を
はじめ、キングコングの梶原雄太、ココリコの遠藤章造、オール阪神・巨人のオール巨人ら
仲間の芸人たちも友情出演で名を連ねる。
河本さんの壮絶な生きざま、そして亡き河本さんをいつもそばで見てきた高山監督が
「辛すぎてOKが出せなかった」というラストシーンは、第6回沖縄国際映画祭での
プレミア上映で会場からすすり泣きが聞こえるほど、多くの観客の心を揺さぶった。
10月16日より開催される京都国際映画祭でも特別招待作品として上映される本作は、
10月31日(金)より角川シネマ新宿、TOHOシネマズなんばほか全国公開。
☆「ベイブルース~25歳と364日~」ストーリー
漫才師を目指す河本栄得(趙たみ和)は、高校時代の同級生である相方の高山知浩
(波岡一喜)と共にNSC(吉本総合芸能学院)の門を叩き、7期生として雨上がり決死隊、
トゥナイトのなるみ、矢部美幸(ナインティナインの矢部浩之の兄)と机を並べる。
卒業後は、コンビ名をそれまでの「河本・高山」から「ベイブルース」と改め、
上方お笑い大賞最優秀新人賞やABCお笑い新人グランプリなどの新人賞を次々と獲得。
当時の若手有望株の筆頭に躍り出た。歌手としてCDリリースも決まり、
ベイブルースは、将来を嘱望される漫才コンビとなっていった。
しかし、何もかもが絶好調だった1994年秋、河本はテレビのロケ中に
体調不良を訴え、入院。それからわずか2週間後の10月31日、
劇症肝炎による脳出血のため、25年と364日の生涯を閉じた――。
私も、若い時によくTVでベイブルースの漫才を好きで観ていました。
ニュースで河本くんが亡くなったという事を知った時は、本当にビックリしました。
吉本ももっと早く、河本くんを病院へ連れて行くべきだった。高熱が出ているのに。
まだ若いのに、急で・・・もっとベイブルースの漫才を観たかったです。
ご冥福をお祈りします。
人の潜在意識と脳の神経を同時に触って、人をコントロールしてこないで
( 三女の思った状況に持って行きたいようにしないで )
思考を低下さえないで、ボーっとさせないで、注意散漫も、口臭も
人のパワーや感情を抑え盗らないで、弱い気持ちを持って来ないで
( 後者が2人 )
人が言って何も言っていないのに、言わさないで思わさないで
人の邪魔をしないで、特に仕事中は
人の記憶を盗らないで、目の錯覚、笑い袋にしないで、ぷっぷぷっぷ
( 2002~2003の大阪城ホールでのMCで後半のぷっーと言っていた )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました