1980年代前半にアイドルグループ「シブがき隊」のメンバーとして活躍し、解散後は俳優に

転身、演技派俳優として高く評価されている、本木雅弘(もとき まさひろ)さんですが、

その一方で、プライベートでは、ロック歌手の内田裕也さんと女優の樹木希林さんの娘で、

エッセイストとして活動されている内田也哉子さんと結婚し、話題となりました。

年齢は?出身は?身長は?本名は?

本木さんは、1965年12月21日生まれ、
埼玉県桶川市のご出身、

身長174センチ、血液型はA型、

学歴は、明治大学付属中野高等学校定時制に編入後中退、

ちなみに、本木雅弘は本名で、結婚後は内田雅弘となっています。

「シブがき隊」としてトップアイドルに

本木さんは、1981年に「2年B組仙八先生」でテレビドラマデビューすると、

 


「2年B組仙八先生」より。
(左から)本木さん、布川敏和さん、薬丸裕英さん。

 

翌年の1982年には、同ドラマで共演し、特に人気の高かった薬丸裕英さん、布川敏和さんと

ともに、アイドルグループ「シブがき隊」を結成。同年5月には「NAI・NAI 16」

歌手デビューを果たし「もっくん」の愛称で人気を博します。

 


「NAI・NAI16」

 

そして、1986年には、「すし食いねえ!」が、大ヒットを飛ばすも、

同年11月に解散すると、その後、本木さんは俳優に転身。

以降、テレビドラマや映画で活躍され、2009年には、自ら企画を持ち込み主演を務めた、

映画「おくりびと」が、アカデミー賞外国語映画賞を受賞しています。

 


第81回レッドカーペットより。(左から)本木さん、
広末涼子さん、徐貴美子さん、滝田洋二郎監督。

嫁は樹木希林の娘!馴初めは?

そんな本木さんの気になるプライベートですが、本木さんは1995年ロック歌手の内田裕也さんと女優の樹木希林さんの娘である、内田也哉子( うちだ ややこ )さんと結婚されています。

 


本木さんと也哉子さん♪

 

実は、本木さんがアカデミー賞授賞式のナレーターの仕事で、アメリカに行かれた際に、

通訳として同行した、当時留学中で、まだ16歳だった也哉子さんと知り合われるのですが、

運命を感じた本木さんがアプローチを開始。

本木さんは、後に也哉子さんの第一印象について、

ルックスは若いのに、しぐさとかたたずまいが大人みたいで、

アンバランスな感じ。

と、明かされています。

そして、本木さんは、帰国後も留学中だった也哉子さんと文通で愛を深め合うと、

也哉子さんが17歳の時、

私には、白髪のあなたが想像できるし、

そういうあなたが愛おしい、と思える気がする。

今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、

私もそこに入れてください。

と、プロポーズされたのでした。

ぎくしゃくした夫婦生活

その後、也哉子さんが19歳の時、お二人はめでたく結婚されるのですが・・・

夫婦生活は決して順調満帆ではなく、ぎくしゃくしたものだったそうで、

本木さんは、女性誌のインタビューで当時を振り返り、

恋人期間を曖昧に過ごしてきたから、結婚した後に、付き合い始めのカップルの

ような壁を乗り越えなきゃいけなかった。

それこそ日常生活の瑣末なルールさえ、うまく着地点を見つけられず、

お互いいろんなズレを感じながらやり過ごしていました。

と、明かされています。

ただ、お二人は結婚2年目の終わりに、4ヶ月に及ぶアメリカ旅行に出られており、

その時、何がきっかけかは分かりませんでしたが、日頃の不満を爆発させた也哉子さんが、

死んでやる!

と、ホテルの窓から、飛び降りようとしたことがあり、
本木さんが慌てて也哉子さんを窓から引きずり降ろして、也哉子さんの頬を叩き、

それならなんで結婚したんだ。死ぬなんて甘すぎるだろう!

と、怒鳴られたことがあったそうで、

それ以来、お二人は、徐々に夫婦としての距離間が分かっていったようです。

ちなみに、お二人をよく知る関係者の話しでは、

夫婦である以前に、個人だ、ということ。いまだに、二人のときはお互いを、

也哉子さん、雅弘さんと丁寧に呼び合っているそうですよ。

ひとりの時間は一切邪魔をしない、余計な口出しもお互いにしない、

というのも夫婦の決まりごと。お互いを個人として尊重し合っているんです。

とのことでした。

息子は?娘は?

ところで、そんな本木さんと也哉子さんの間には、2人の男の子と1人の女の子が

いらっしゃいます。


(左から)玄兎くん、伽羅さん、本木さん、雅楽くん、也哉子さん。

 

順番にご紹介すると、

まず、長男は、1997年生まれの内田雅楽(うちだ うた)さんで、2010年にスイスの名門寄宿学校に留学されると、その後、バスケットの選手としてスカウトされ、アメリカのマイアミ州にあるバスケットの強豪校に転校。2017年現在は、カリフォルニア州にあるドミニカン大学で、バスケットの選手として活躍されているそうです。

ちなみに雅楽さんは、身長が195センチもあるうえ、本木さん似のイケメンです。

長女は、1999年生まれの、内田伽羅(うちだ きゃら)さんで、2010年に映画「FURUSATO -宇宙からみた世界遺産-」で女優デビューされると、翌年の2011年には、映画「奇跡」で、

いきなり、「高崎映画祭最優秀新人女優賞」を受賞されています。

 


「奇跡」より。おばあちゃんの樹木希林さんと伽羅さん。

 

そして、次男は、2010年生まれの、内田玄兎(うちだ げんと)くんで、2015年には、

バラエティ番組「ぴったんこカン・カン」で、本木さんと初共演されています。

 


「ぴったんこカン・カン」より。本木さんと玄兎くん♪

 

さて、いかがでしたでしょうか?

結婚後は、也哉子さんの母である、樹木希林さんのたっての願いで、内田の婿養子となられ、

7億円の2世帯豪邸で義理の両親(内田裕也・樹木希林夫婦)と同居されていた本木さんですが、2010年に本木さん夫婦に10年ぶりとなる子ども、次男の玄兎くんが誕生したことで、

「家族は一緒に生活するべき」

と改めて考えられたそうで、

2012年からは、娘の伽羅さんが留学する、イギリスのロンドンに移住。

本木さんは、雑誌のインタビューで、

僕も兄弟がいる中で育っているので、揉まれていくのがいいかなと。

兄弟がいる安心感もきちんと育んであげたいので、

なんとなく兄弟を切り離せない。

と、その思いを明かされており、

やはり、ご家族の存在が本木さんの大きな励みになっているご様子。

今後もまだまだ、本木さんのご活躍は続きそうですね♪

 

お二人は結婚2年目の終わりに、4ヶ月に及ぶアメリカ旅行時、何がきっかけかは

分かりませんでしたが、日頃の不満を爆発させた也哉子さんが死んでやる!と、

ホテルの窓から、飛び降りようとしたことがあったとインタビューで言われていましたが、

2021年12月18日(土)13時過ぎに、女優の神田沙也加(35)が札幌市内の宿泊先ホテルの

高層階から転落したことを思い出しました。彼氏とケンカが原因と言われていますが、

何が原因であれ、自分から死を選ぶのは考えられません。その時は、深呼吸して冷静になって

考え直してほしいです。ご冥福をお祈りいたします。おばあちゃん

 

 

本木雅弘がコンドームを巻きつけお茶の間を戦慄させた衝撃事件

【 20歳が知らない紅白 】 2023.12.30 20:00  ダイヤモンドオンライン

 

モックン、伝説のステージ

「ガンバレ、みんなガンバレ、月は流れて東へ西へ」

 

 現在ホンダの新型SUV「ZR-V」のCMでは、LEO今井が歌う『 東へ西へ 』が流れている。

もともとは井上陽水の1972年のアルバム『 陽水II センチメンタル 』に収録された曲だが、

この曲のカバーがCMに使われるのは初めてではない。1992年に本木雅弘がカバーし、

本木本人が出演する「リゲイン」のCMとして起用された。 本木は同年『東へ西へ』を

引っ提げ、「シブがき隊」として1986年に出場して以来となる

紅白歌合戦に出場するのだが、これが伝説となった。

コンドームに凍りつくお茶の間

本木雅弘がコンドームを巻きつけお茶の間を戦慄させた衝撃事件【20歳が知らない紅白】1993年の本木雅弘 Photo:産経新聞社

 

 紅組の荻野目洋子に続く、12番目の歌手として登場した本木は、全身真っ白の衣装に

身を包んでいた。白組を意識してかというと、どうも違う。首にはコンドームを房のように

ぶら下げたネックレスをつけていた。コンドームにはご丁寧に白い液体まで入っている。

 

 紅白はまだ子どもも起きている序盤の時間帯。しかも、この年の関東地区の視聴率は

55%で国民の半分以上が見ていた。お茶の間は凍りついた。しかしジャン・コクトーを愛し、先鋭的芸術に傾倒し、前年91年には篠山紀信の撮影でヘアヌード写真集『 white room 』も

出した本木雅弘である。後年、当時について「メジャーとマイナーの狭間を歩くエッジな

存在でありたいみたいな、そんな意識で仕事を選んでいた」と振り返っていただけに、

ファッションだけで終わるはずがない。

「自分なりのエイズ撲滅キャンペーン」

 曲の間奏に入ると、ズボンの後ろについていたチャックを下げて半ケツ状態になり、

さらに巨大なコンドームを風船のように持ち、抱えながらクネクネと踊る。

最後は抱えた巨大コンドームを頭上で破裂させると、液体がシャワーのように本木に降り注ぎ、それを本木は顔に塗りたくる。書いていても驚くが、これが紅白で起こったのである。

 

 紅白終了後、本木は取材陣に対し「あれは自分なりのエイズ撲滅キャンペーンです」と

意図を説明。コンドームの中身の液体についても「あの中身ですか。精子でーす」と

答えたという。さすがエッジな存在だ。

実際、本木は翌93年にはNHKの音楽番組「ポップジャム」の司会に起用されており、お咎めなしだったようだ。少なくとも、表現というものに今よりずっと理解がある時代だったのだろう。

「辞めジャニ」だけどSMAPとも共演

 この頃の本木について、もう一つ言及しておく。1988年のシブがき隊解散後、布川敏和と

薬丸裕英はメリー喜多川が勧める事務所に入るも、本木は拒否し別の事務所に入ったと

言われている。この移籍でテレビに出られなくなると考えた本木は映画に積極的に出演し、

俳優としての地位を固めることになるのだが、司会を務める「ポップジャム」では光GENJI、SMAPとも共演している。“辞めジャニ”との共演NGという働きかけや、テレビ局側の忖度は

まだ薄かったのかもしれない。

 

 本木が「ポップジャム」の司会を務めた1993年、SMAPの木村拓哉は「あすなろ白書」に出演し、現在まで続く“キムタク”人気が始まる。その勢いでSMAPや後輩のTOKIO、V6なども台頭。ジャニーズ事務所は芸能界に隠然たる影響力を持つようになる。

その帝国が崩壊するまで、実に30年という長い年月を要したのである。

2023年の紅白歌合戦には、ジャニーズのタレントはひと組も出ない。実に44年ぶりのことだ。20歳どころか、アラフォー世代も見たことのない紅白が放送される。

 

 ジャニーズのいない今年の紅白は芸能界のリスタートの象徴ともいえる。

はたして紅白が指し示す未来の向きは、東だろうか、西だろうか。

 

 

元シブがき隊・本木雅弘はなぜ潰されなかった?

奥山和由氏が明かしたメリー氏の「圧力」

日刊ゲンダイ 公開日:

 

 どうしてメリー氏が圧力を掛けたのに、“辞めジャニ”の木本雅弘(57)は潰されなかったのか。

 8月29日、ジャニーズ事務所の元社長であるジャニーズ喜多川氏(2019年死去)の

性加害問題に関して、「外部専門家による再発防止特別チーム」が調査報告書を公表。

ジャニー氏が1970年代前半から40年以上に渡って性加害を繰り返してきたと結論づけた。

会見では、飛鳥井望氏が「根本原因はジャニー氏の性嗜好異常。被害の拡大を招いたのは

藤島メリー泰子氏の放置と隠蔽」と話した。報告書の中には、事務所の副社長を務めてきた

メリー氏(2021年死去)がメディアに圧力をかけてきた様子が綴られている。

《「マスコミ対応を委ねられているメリー喜多川は、ドラマの共演者が気に入らないと、

その放送局の社長に直接電話をかけ、外すよう要求することもあった」》

《「メリー喜多川は、森がオートレーサーの試験に合格した事実を前向きに報じようとした

民放のプロデューサーに『SMAPには森なんていなかったでしょ?』『 最初からいないの。

森はSMAPのメンバーじゃない。』などと大声を出した」》

 上記などの『週刊文春』の記事を引用した上で、こう書いた。

《その重要な部分が真実であるとの証明がされたか、又は少なくとも、被告の文藝春秋らが、

これを真実と信ずるについて相当の理由があったというべきであり、「マスメディアは、原告事務所を恐れ、追従していること」それ自体又はその前提となる事実を真実と信ずるについては、相当の理由があったと判示している(この点は、東京高裁判決においても維持されている)。》

■ジャニーズを辞めた本木雅弘をキャスティングし「出禁的待遇」を受ける

 メリー氏の圧力について、映画プロデューサーの奥山和由氏(69)の

「X」(旧ツイッター)の投稿が話題を呼んだ。

《 35年前の話。「226」ジャニーズをやめたばかりの本木雅弘をキャスティング。

メリー喜多川さんより「よく考えて」と。「ダメならハッキリそう言ってください」と返事。「ダメとは言わない、もう一度よく考えて」と。熟考して魅力を感じての配役、本木で決行。
あれ以来ジャニーズ事務所、出禁的待遇。》(8月29日に投稿)

 本木は1982年にシブがき隊のメンバーとして『NAI・NAI 16』でデビュー。

『100%…SOかもね!』『スシ食いねェ!』などヒット曲を連発した。しかし、シブがき隊は同じ事務所の少年隊、他事務所のチェッカーズなどに人気を奪われ、1988年11月に解隊した。本木がジャニーズ事務所を辞める頃、奥山氏は映画『226』にキャスティングした。すると、

メリー氏の横槍が入ったという。確かに本木は退所後、ジャニーズのタレントとほぼ共演して

いない。しかし、同じシブがき隊の薬丸裕英(57)や布川敏和(58)は、そのような扱いを

受けていない。なぜ、この差が生まれたのか。

 

シブがき隊で本木だけが圧力を受ける事になった真相

「薬丸は最初ジャニーズに残りましたが、1年も経たないうちに移籍しました。布川は解隊後、すぐに別の事務所に行っています。当時は解散したグループのメンバーはほとんど事務所に

残っていないですし、アイドルというカテゴリーから外れるので、ジャニーズの競合相手に

なるわけではない。穏便に移籍すれば、圧力を掛けられるわけではなかったようです。
しかし、薬丸と布川はメリー氏の勧めるプロダクションに入ったそうですが、本木はメリー氏の意向を汲まずに自分の行きたい事務所を選んだみたいです。そのため、メリー氏の逆鱗に触れ、圧力が及んだと聞いています。ただ、本木がジャニーズと共演できなくなったのは

1990年代半ば以降です。それまでは絡みがありました」(ベテラン芸能記者)

 

 一体、何があったのか。報告書と奥山氏の投稿を比べると、メリー氏の振る舞いに差が

感じられる。報告書で認められた《 メリー喜多川は、森がオートレーサーの試験に合格した

事実を前向きに報じようとした民放のプロデューサーに、『 SMAPには森なんていなかったで

しょ? 』『 最初からいないの。森はSMAPのメンバーじゃない。』などと大声を出した 》と

いう『 週刊文春 』の記事内容からは威圧的な様子が伝わってくる。
 

 一方、奥山和由氏の投稿では《 ダメとは言わない、もう一度よく考えて 》と言葉だけを

読めば、怒鳴り散らしたようではなさそうだ。なぜ、森且行(49)がSMAPを脱退した

1996年と本木がジャニーズを辞めた1988年では態度が違うのか。

「1980年代から、メリー氏は他の事務所から男性アイドルが出ればメディアに圧力をかけて

きたと言われています。ただ、テレビでいえば歌番組にしか効力は及ばなかった。なぜなら、バラエティーやドラマでは『そのタレントを使うならウチは全員出ない』と言えるほどのパワーのあるタレントが揃っていたわけではないからです。それは映画界でも同じです」(業界関係者)

■ジャニー氏のお別れの会も参加しなかった本木の心情

 本木は独立したタイミングが良かったようだ。

「光GENJIが87年にデビューして国民的アイドルになりましたが、3年くらいで人気は落ち着

いた。91年デビューのSMAPも最初はそんなに売れていませんでした。だから、90年代前半は

メリー氏の圧力が広範囲に及ぶことはなかった。本木が役者として大成できたのは、本人の能力の高さが最大の原因ですが、活躍の場が遮断されなかったことも大きい」(前出の業界関係者)

 本木は役者としてだけでなく、92年には井上陽水作詞作曲の『東へ西へ』でNHK紅白歌合戦に出場。93年4月から1年間、NHKの歌番組『ポップジャム』の司会を務めていた。
「『 ポップジャム 』には光GENJIやSMAPが出たこともあります。ジャニーズ事務所が力の

ない時期でしたから、『 本木が司会なら出ない 』とはメリー氏も言えなかったのでしょう。

NHKの歌番組に出演できないことは事務所にとって損失ですから」(前出の業界関係者)

 事態は段々と変化していった。93年に木村拓哉(50)がドラマ『 あすなろ白書 』で

高視聴率に貢献。94年にSMAPが『Hey Hey おおきに毎度あり』『がんばりましょう』などの

ヒット曲を生み、中居正広(51)や香取慎吾(46)がバラエティー界に進出した。

この辺りから歌番組だけでなく、テレビの全てのジャンルにジャニーズのタレントが出演する

ようになり、視聴率を稼いでいった。そして、報告書にある《メリー喜多川は、ドラマの共演者が気に入らないと、その放送局の社長に直接電話をかけ、外すよう要求することもあった》と

いう行為が生まれたようだ。「SMAPが国民的な人気グループになってから、メリー氏の振る

舞いがさらに横暴になった。業界では周知の事実でした。だから、近年は圧力ではなく、

忖度という言葉が使われてきた。何にもないのに忖度なんてしません。過去に圧力があった

から、自然と忖度するようになった。メリー氏の思い通りの展開でしょうね。奥山氏のように

圧力に屈しないプロデューサーがいれば、また状況は違ったと思いますが」( 週刊誌記者 )

 本木はジャニーズ事務所の圧力が及ばない時期に役者としての地位を築き、その後も活躍

した。2019年東京ドームでジャニー氏のお別れの会が開催されたが、本木は出席していない。

「メリー氏に会いたくなかったからでしょう。散々、自分の活動を妨害してきたであろう人に

挨拶したくなかったのだと思いますよ。当然の心理ですよ」( 前出の週刊誌記者 )

 二度とジャニー氏のような性加害問題を起こしてはならない。被害拡大の原因とされた

メリー氏の振る舞いに屈してきたメディアも反省しなければならない。

事態を把握するためにも今後、奥山氏のような業界関係者の告白が望まれる。

 

 

占い師の母から「両輪となって動きなさい」と聞いたことがありました。

メリーさんとジャニーさんも、そうだったんですね。( 役割分担 )

元SMAPの森くんが大事故を起こすと聞かされていたので、心配をしてのことだったかも

知れませんね。( 母は、名前を伏せていましたが、避けられない事故だと )叫び おばあちゃん

 

あの三女、自分がしたことを後悔して、次にその相手に良い事をしてくる 物申す

 

ダウンタウン・松本人志さん 芸能活動休止を発表。

昨年12月27日以降の様々な報道によりとありますが、2021年12月27日に愛犬シーナを

動物病院へ連れて行った時に「やぶ!」と胃の辺りから聞こえてきました。名医なのに ムキー

この日にちは偶然? これ以上、人に動物に、みんな(全部)に迷惑を掛けないで プンプン パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

源氏物語のあらすじ

二十七帖 篝火(かがりび)

近江の君に対する内大臣の態度を源氏は非難する。

玉鬘は徐々に源氏に惹かれはじめるが、男女の関係になることはなかった。
 
玉鬘は偶然、柏木たち血のつながった兄弟の楽を聴いて感動する。

事情を知らない柏木は美しい玉鬘を前に緊張する。

夕霧、紫の上に懸想する

 

最近、また純ちゃんに嫌な事 (首や頭を痛くしない、咳込まさない) をしてくるの止めて ムキー 爆弾

 

【 ボードゲームの禁じ手 】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規則で禁じられたものだけでなく、

「使うべきでない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※ このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!

 

人の脳の中枢神経を触らない、潜在意識などに入ってコントロールしないで ムキー 爆弾 パンチ!

( 目の錯覚、老眼近視。思考が低下、停止にしない。記憶が出来ない、出てこない、忘れる。人に自分の考えを言わさない。理性を失わせないで。胸などにモヤモヤとさせないで。口臭も

人の仕事の邪魔をしないで、人の後ろに憑かない憑依しない。喉、頭や首の神経を痛くしない。

特に、乗り物を運転している時は、絶対に頭を低下やボーっとさせないで!体調不良にしないで

人を縛らない、人をコントロールしないで、もっと自由にさせて。人のモノマネや水晶禁止。

人に嫌なことをしたり、言って脅さない。人に必要以上に執着や嫉妬しない。過保護にしない。

人にお金を使わさないで( 家や外食、テイクアウト、旅行仕事も含む )。プライバシー侵害

個人保護法。人を嵌めないで。楽天、ソフトバンクグループに嫌な事はしないで、緊張させない

その力、仕事にだけ使って、自分勝手に使わないで。みんな(全部)に対して良い様に使って。

人に対して完璧主義を押し付けないで(暴言や自分勝手な言動行動は慎んで、人を縛らない)

毎日、深夜に連絡してこないで。自分が言った言葉に責任を持って、高圧的に言ってこない、

考えが甘い、ワガママを言わないで。トイレ関係。唇びるを痺れさせない。こけさせない。

顔や身体を熱く冷たくしない )吸い上げない。怒りの感情を倍増しない、笑い上戸にしない。

人のアイデアを盗ったり、利用しないで自分で考えて。パワーや感情を抑えたり取らないで。

やる気を取らない。ちゃんと直して。職権乱用しない。全責任は、お母さん達に取ってもらう。

解散や休止、脱退、独立、業務提供解消させないで。離婚も。言論や表現の自由が法で定められている)今まで我慢してきたけど、人のPCやスマホにハッカーみたいに侵入してこないで パンチ!むかっ

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守 って。みんなに対して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退をさせない。契約書、反故にしない )

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート