1977年映画「獄門島」で子役デビューし、1979年には、舞台「奇跡の人」でヒロイン、

ヘレン・ケラー役を演じられた、女優の荻野目慶子(おぎのめ けいこ)さん。

圧倒的な演技力と美貌を兼ね備え、数多くの映画、テレビドラマ、舞台に出演されています。

年齢は?出身は?身長は?本名は?

荻野目さんは、1964年9月4日生まれ、
熊本県のご出身、身長151センチ、血液型はA型、

学歴は、昭和学院高等学校卒業、ちなみに、荻野目慶子は本名で、
妹には、歌手の荻野目洋子さんがいらっしゃいます。

子役から演技派女優へ

荻野目さんは「劇団ひまわり」に所属し、子役として活動されていたそうで、

1977年市川崑監督の「獄門島」で映画デビュー。

2年後の1979年には「奇跡の人」のヒロイン、ヘレン・ケラーのオーディションを受け、

見事合格。ヘレン・ケラー役で舞台デビューされ、注目を集めます。

そして、翌年の1980年には「阿修羅のごとくII」で、テレビドラマデビュー、

映画「海潮音」では、主人公の娘役を演じ「報知映画賞」最優秀新人賞、
「ヨコハマ映画祭」最優秀新人賞を受賞。

 


「海潮音」より。泉谷しげるさんと荻野目さん。

 

1983年には、バラエティ番組「YOU」の司会や映画「南極物語」への出演で広く知られる

ようになり、以降、テレビドラマ、映画、舞台と数多くの作品に出演されています。

魔性の女

そして、1994年には、映画「忠臣蔵外伝・四谷怪談」で、

伊右衛門をお岩から奪う吉良家家臣の娘役、

 


「忠臣蔵外伝・四谷怪談」より。荻野目さんと渡辺えりさん。

 

2004年には、「完全なる飼育・女理髪師の恋」で、情欲に溺れる人妻役、

お昼のドラマ「愛のソレア」では、娼婦から女優になり、華麗な男性遍歴を繰り広げる

ヒロインなど、「魔性の女」を、多く演じられるようになるのですが・・・

不倫相手が自宅で自殺

実は、荻野目さんは、実生活でも、ドラマ顔負けのスキャンダルを、

二度も起こされているのです。まずは、1985年 20歳の時、
テレビドラマ「幕末青春グラフィティ」で、演出をされていた新進映画監督の、

河合義隆さんと知り合うと、演技指導を受けるうちに親密な関係に。

ほどなくして、荻野目さんのマンションに、河合さんが通いつめるようになるのですが、

河合さんには既に妻子があり、二人の関係を知った奥さんとは、たびたび修羅場が

繰り返されるように。そんな関係に疲れた荻野目さんは、別れ話を切り出すのですが、

河合さんから、

「別れるぐらいなら死にたい」

と、言われ・・・

1990年 荻野目さんが地方ロケから帰宅されると、

なんと、河合さんが自宅で首を吊っていたのでした。

深作欣二と不倫

そして、河合さんの死から1年後には、35歳年上の映画監督、深作欣二さんとも

不倫関係になり、深作さんが2003年に亡くなるまで、二人の関係は続いたとか。

 


深作欣二監督と荻野目さん。

 

ちなみに、深作さんは、1998年に前立腺がんに罹患されているのですが、

男性としての機能を失わないようにするため、ガンの治療に効果のある、

女性ホルモン投与を拒んだといわれています。

結婚

そんな荻野目さんは、2012年には一般男性と結婚。

気になるお相手の方は、複数のクリニックを経営する医師とのことで、

知人の紹介で知り合われると、すぐに交際をスタート。

荻野目さんは、外食が多い彼を気遣い、仕事が深夜に及んでも、毎朝早起きして、
弁当を作られていたそうで、約5年の交際を経て、ゴールインされたのでした。

荻野目さんは、

料理の勉強が演技に役立っています。
今後は主婦役も似合うと言われたい。

と、幸せいっぱいのご様子でした♪

さて、いかがでしたでしょうか?

 

不倫相手の河合さんの死後には、河合さんが撮影した写真がおさめられた

写真集「SURRENDER」を出版するなど、「魔性の女」を地で行かれていた

荻野目さんも、ついには普通の奥さんに。

ご本人は普通の主婦役をやりたいと、おっしゃっていましたが、

やはり、荻野目さんの魅力は「濃厚すぎる演技」

私生活は普通の主婦でいいですが、ドラマでは引き続き、

濃い演技を見せてほしいですね。 期待しています!!

 

 

深作欣二と荻野目慶子の不倫は息子の進言がきっかけだった!

 

プライベートでは、女優の中原早苗さんと結婚し、男の子をもうけられるも、

作品同様、女性関係も情熱的だった、深作欣二(ふかさく きんじ)さん。

晩年は、そのことが思わぬ問題に発展します。

荻野目慶子との不倫は息子の進言がきっかけ?

いつ頃、女優の松坂慶子さんとの不倫関係が清算されたのかは分かりませんが、

深作さんは、次は、女優の荻野目慶子さんと不倫関係となります。

というのも、深作さんの息子・健太さんが中学に入る頃グレ始め、

たまたまレンタルビデオ屋で「仁義なき戦い」を観て、

自分がグレようとしていた時、親父はもう何年も前に

こんなぶっ飛んだ映画作っていたんだな

と、衝撃を受け、以降、お父さんの作品はもちろんのこと、他の評判の高い映画、

舞台をむさぼるように見始めると、その中の、荻野目慶子さんの出演する舞台を観て、

強く心を揺さぶられたそうで、お父さんに、

荻野目慶子という女優が凄いから映画に起用すべきだ

と、進言。すると、その後、深作さんは、健太さんを交えて、荻野目さんと

3人で食事をするほどの仲となり、荻野目さんを、自身の映画

「いつかギラギラする日」「忠臣蔵外伝 四谷怪談」に起用。

そして、この撮影中、お二人は、不倫関係となられたのでした。

 


「いつかギラギラする日」の試写会より。(左から)奥山和由プロデューサー、

多岐川裕美さん、荻野目慶子さん、木村一八さん、萩原健一さん、深作さん。

荻野目慶子が著書「女優の夜」で暴露

ちなみに、荻野目さんは、2002年発売の自叙伝「女優の夜」で、自身の男性遍歴を

明かしているのですが、その中には、深作さんとの関係についても詳細に綴られています。

実は、荻野目さんは、若手で売出し中だった頃から、既婚者だった映画監督のKさんと

不倫関係にあり、同棲していたのですが、Kさんが興行に失敗して、荻野目さんのヒモとなり、1990年には精神を病んで、同棲していた部屋で首を吊って自殺したことから、

荻野目さんは、マスコミからの激しいバッシングにあい、しばらく女優業を休止。

そんな中、深作さんの「いつかギラギラする日」(1991年公開)のオーディションを受け、

重要な役に抜擢されて、ようやく女優業に復帰され、なんと、その撮影中、

深作さんに襲われる形で関係を持ち、深作さんとの不倫が始まったそうで、

(深作さんは、荻野目さんより34歳も年上)

荻野目さんは、深作について、

映画も面白いけれども、人柄もまた魅力に富んでいた

と、綴っておられました。(そんなお二人の関係は9年続いたそうです)


命より性を選び抗がん剤の治療を拒否

 

ところで、深作さんは、晩年「前立腺ガン」に侵されるも、抗がん剤での治療を

拒否されているのですが(当時は、まだガンであることを公表していませんでした)、

その理由を、荻野目さんは、

抗ガン剤を使えば男性機能が弱くなる。僕は命よりもキミとの性を選んだ。

と、著書「女優の夜」の中で暴露されています。

また、東映のプロデューサー・日下部五朗さんも、

深作さんのお見舞いに訪れた際、深作さんがベッドの上で、

世間には伏せていたけど前立腺ガンだという。切ってしまったほうが

ラクなんだろうけど、切ったら女を抱けなくなっちゃうんだよ。

と、笑って話されていたことを明かされていました。

ガン公表は、荻野目慶子の暴露本が原因

深作さんは、1996年に「前立腺ガン」の手術を受けるも、2002年の

「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」の製作発表まで、ずっと世間にはガンであることを

伏せていたのですが、今更このタイミングでガン公表に踏み切ったのは、

荻野目さんの著書「女優の夜」が原因だったそうです。

というのも、息子の健太さんによると、深作さんが闘病中だったある日のこと、

深作さんが挙動不審になったそうで、おかしいと思い、問い詰めたところ、

女が告白本を出すようで、その中で俺の病状の事も書いてあるらしい。

それだけは世間に知らせたくない。

と、打ち明けられたそうで、健太さんは、すぐに出版予定の社長に面会を求め、

原稿を見せるように要求。ただ、

お前 いい根性しているな

と、取り合ってくれなかったそうです。それでも、健太さんは、

親父の女関係の話しなんかどうでも良かった。

でも、親父の癌の事を愛人から発表されるのだけは絶対許せなかった。

と、本が出版される前に、自身の口からマスコミに発表するように深作さんに願い、

深作さんもこれを了承。こうして、深作さんは、会見で自らの口から

病名を公表されるに至ったのでした。

ちなみに、深作さんに「女優の夜」発売から数カ月後の2003年1月12日に

他界されているのですが、臨終の際、妻の中原早苗さんは、当然ながら、

荻野目さんの立ち会いを頑なに拒まれたそうです。

 

 

「不貞相手が自分の部屋で自死」荻野目慶子が語った

「女の情念」壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 

 Asagei+ Posted on 2022年11月23日17:59

 

 いいか悪いかは別にして、とりあえず自分が置かれている立場にいったんけじめをつける。

実は、そんな再出発の場所として記者会見が利用されるケースは少なくない。

ただし、それが大スキャンダルの後、ということになると、そこに座らされる人物にとっては「針のムシロ」となるのだが…。記憶に残るそんな会見が、90年6月22日、京都・太秦の

京都映画撮影所で行われた、女優・荻野目慶子のそれだったように思う。

 

 会見から溯ること53日の4月30日。彼女の恋人で15歳年上だった映画監督のA氏

(当時43歳)が自ら命を絶った。その場所が彼女の自宅マンションだったこと、

さらに荻野目自身が第一発見者だったことで、大きな衝撃が走った。

2人は映画「幕末青春グラフティRONIN 坂本龍馬」で、監督と出演者として出会い、

いつしか深い関係に。しかし、A氏には妻子がいたため、2人の関係は「許されぬ恋」。

そして「事件」直前には、別れ話が出ていたという。

とはいえ、留守中に恋人が自分の部屋で命を絶つという壮絶な場面に出くわした荻野目の

ショックは大きく、入院することに。女優業も休止することを余儀なくされていた。

 

 そんな彼女がオファーを受けていた松竹映画「陽炎」(五社英雄監督)の撮影に参加。

奥山和由プロデューサー同伴で、はじめて口を開くことになったのが、

A氏の四十九日法要を終えた、この日だった。

200人を超える報道陣の前に現れた彼女は頬もこけ、憔悴しきった表情で

時おり声を詰まらせながら、こう語った。

「A監督は純粋な方で、表現することの素晴らしさを、いつも教えてくれた人です。

与えられた命を、素晴らしい才能を、そして、どんなにか心配していた友達のことを、

もっと大切にしてほしかった。不器用な生き方と愛し方をしてきて、

人をこんなに傷つけてしまい悲しかった」別れ話を切り出したのは彼女だったというが、

「1人になりたい」と告げる荻野目に、A氏は「そんなこと(死んだほうがいい)を

おっしゃったこともありました」と唇をかみしめる。

 

 女優復帰については、「私を必要としてくれる人がいたことがとてもありがたく、

一生懸命やらせてもらうことにしました」と新たな一歩を踏み出す決意を覗かせると同時に、「人を愛し、信じることを忘れてしまったら、女優というお仕事はできません。

愛するということは、忘れたくありません」と語った。

その表情から私は、彼女が内包する情念と、女優としての魂のようなものを感じたものだ。

 

 まさに、事実は小説より奇なり。

それは、小説や映画を上回るような波乱に満ちた復帰劇だったのである。

 

 

 

本当に、人の脳の神経を触って、嫌なことをしてこないで 物申す 爆弾 パンチ!

( 思考を低下させ邪魔をしないで、下の方も、咳込まさないで )

 

人のパワーや感情を抑えないで、盗らないで、使わないで、持って来ないで ムキー パンチ!

 

人のプライバシーを侵害して、脅迫してこないで プンプン パンチ!パンチ!パンチ!

( 母が水晶を使って調べないように、どんな理由があろうとも )

 

人のPCなどに( ハッカーのように )侵入してこないで 物申す パンチ!パンチ!パンチ!むかっ