私は母を早く亡くしましています。
すぐ父は再婚して、新しい母ができました。
ただ、私も妹もその母とはうまくいかず、喧嘩も絶えず私は高校を卒業してからすぐに家をでました。
私が義理の母と妹の仲裁役であったため、私がいなくなってからは、さらに喧嘩ばかりで結局父は妹をおいて家をでる決断をしました。
私達がすんでた家は私の祖父が私の母がなくなったときに買ってくれた家でした。
祖父母もすぐ目の前に住んでいたんだけど、父が再婚してからは挨拶こそしたものの、全然はなしをした覚えがない。
やっぱり新しい母に遠慮していたのもあるし、話すと継母は面白くなく機嫌が悪くなりましたね。
私はなるべく喧嘩もしたくないから、絶対継母の事に『NO』とは言わなかった。
喧嘩をすれば、父が責められるし聞きたくない言葉も言われる。
だから私は何でも『はぃ はぃ』って言ってましたね。

でも妹は正反対反対
なんでも反発していたので、喧嘩がすごかった。
私は何でアイツ(妹)は 黙ってないのかな。
黙ってれば怒られなくてすむのに。。。とか思ってた。
それと同時に妹がうらやましかったのもあった。
妹のようになんでも自分の意見を言ってやりたいっていう気持ちもありました。
妹と母の喧嘩が絶えなかったのに、私は全然妹をかばってやらなかった。
かばえば私に火の粉がふりかかる。
だから私は喧嘩を聞いていても知らない顔してた。
私は自分がすごくずるいと思う。妹をかばわなかったこと、自分がかわいかったこと、、
今でも昔の事を思うと、妹に申し訳ないっていう気持ちでいっぱいです。ごめんごめんなさい

そして18で家を出たときから、その妹とも連絡をとらなかった。
何がきっかけか覚えてないけど、妹と連絡をとるようになり、祖父母の家にも行くようになった。

私の祖父は戦争時代はすでに働いていたというくらいの年齢です。
昔に比べると小さくなってしまったよ。。。
私はそんな祖父が本当に本当に大好きだ。
いつか私の借金を返したら、おじさんにこのブログを見せたいと思ってるから、ここに書いておくけど、
以前、私がこの会社をはじめるときに、身内から反対をうけたとき、おじさんに私がいったけど、
私の事を本当に考えてくれているっていうのは、おじいさんと妹だから。。
だから私は本当にその二人の為に頑張る。
その二人が私は一番(二人いるのに一番って変だけろニコッ
って言ったら、おじさんは
そんな事ないだろ 自分の父親と妹が一番大事だろ
って言ったけど、、そうじゃない
本当に私はおじいさんと、妹だけが大事akn
それはおじさんにはわからない。
自分の親だからとか、私は無条件でそうは思えない。
お父さんは嫌いじゃないけど、私はお父さんより全然おじいさんが好きだょ。
それは育った環境とか違うから、おじさんにはわからないよ。
そして私は本当にそう思ってる。
お金を貸してくれるからとか、そうじゃなくて、私の事を本当に考えてくれるってわかるから。

身内の人は身内だから心配するとかいうけど、その言葉の中には私がお金を借りていて、それはおじいさんのお金だからっ心配してるんだっていう心が見えるよ。
違うっていっても結局のところ、そうなんだって思う。

今 私が何を言っても私はお金を借りているんだから、
金を借りて身内に迷惑かけているくせに
って思われるだけだから、今は私は何も言いますまい。

私はおじいさんに迷惑をかけてる。
おじいさんは、私にくれたものだから返さなくていい。っていうんだけど、私は返すよ。
ちゃんと返すつもりでいるよ。
私は成功したい。
馬鹿にされた人を見返したい。
迷惑をかけた人、応援してくれた人を裏切りたくない!!
だから頑張ってるです。☆

あ★母をなくして継母とうまくいかなくて、ドラマッチクな色々な出来事があったけど、私はそれでよかったと思う。
だからこそ今、自分を思ってくれる家族がいる事がありがたいって心から思うから。

一日1っぽ歩けるなら、今は半歩しか進めないけれど、絶対這い上がってみせる。えいえいおー!!
①にかいた経緯で会社が事実上倒産してしまいました。
そしてその会社の社長との出会いが私の人生をいろいろと左右したなと感じています。
今後この社長についても色々囲うと思います。

その会社をやめるにも、私の会社には寮で生活している人がいましたので、その人たちのいく場所も考えないといけない。

中には事情があって帰る場所がない人もいる。

取引先のお客さんが応援してくれていた。

というのがあり、会社を私が新しく起業しもう一度1から頑張ろう。
と 考え今にいたります。

だけど、1からならばそんなに大変じゃなかったかもしれない。。。
でも私は勢いではじめてしまったので、自己資金があるわけでもなくあるのは多額の借金。
それを引き継いだというのではないのだけど、まぁ支払わないといけない状況なのは同じでした。

前の会社の経理をやっていたことから、私は個人でも会社に貸していたお金が800万ほどありました。
最初はじめようと決意した時、
自分が貸した分のお金を取り戻したい

という考えがありました。←すけべ根性

しかし、会社をはじめてから実際にお金がない私を助けてくれたのは私の妹と、祖父でした。
祖母は私をやめさせようと必死でした。あちゃー


はっきりいって、祖父が金銭面を助けてくれなかったら私は今の会社をやることはできなかったです。
ただ、私は甘かった。。
最初はじめたとき、お金がなかったのでいろいろ引き伸ばしていた事が今は私の経営の邪魔をしています。

人間というのは、実際お金がないとやる気をなくしますね。
やらなきゃいけないことを後回しにしたり、請求書を開こうとしなかったり。。。akn溜息

ぁぁ おかねは 大事だょぉ~(´0`)q
↑昔のアフラックのCM風によんでいただきたい。

でもお金ないからこそ、自分を奮い立たせて色々整理しとけばよかったと今後悔をしています。とほほとほほ

はじめましてぺこ

ブログ最初なら自分の自己紹介から書くべきなのだけど、連日ショックな事が多いので、記憶が新しいうちにその出来事をブログに書きとめておきたいなと思います。←新鮮は新鮮でも、嫌な記憶だょとほほ

長く勤めた会社が今年に入り事実上倒産してしまいました。
よく借金では殺されないとか、税務署では殺されないとかいぅけど、、、
税務署では殺されちまいますよ。
税金滞納で(国民の義務を怠るっていうのは悪いのは勿論わかります)売掛金をさしおさえられました。がーんが~んおーい

税金を滞納しているときに、税理士の先生から
『全額なんて差押さえられないよ。従業員の給与まで差し押さえられたら、生活できなくなるでしょ』
って言われていたので、万が一その日がきても
そなえあればうれいなしって構えてました。
↑そもそもそんなJust in caseは まちがぃだよねとほほ

差押さえ当日、彼ら(某国税局員)はやってきました。
差押さえをするというむねの書類をみせ
『これはあなたの会社がもっている売掛債権を税務署が差し押さえるという書類です
警察で言えば逮捕状と同じ効力を持ちます』

と、国税局員Iさんは私に言いました。

た、、逮捕状かょ。。。(`A´)

とにかく問答無用。
私はすぐに社長に電話して国税局の人とかわってもらいましたが、社長は打ち合わせで事務所にこれないそうです。
でもこれは任意じゃなく、強制なので勝手に事が進んでいきました。
一応私は心細かったので、税理士の先生をよびました。さみしい

その間、同じように国税局員はお客さんのところにいも行っており、次々に売掛金を差し押さえていきました。ぐすん
給与はどうなるんですか!?という私の問いに、それは社長さんに聞いてください。
差押さえに意義があるなら、裁判をおこしてもかまわないけど、時間の無駄だよ
、、、と冷たくいわれました。

以前、国税局の人がきたときに、社長が
『税務調査がはいってから、ドンッと不景気になって売上もないのに、税金税金っていわれてもそれじゃ俺らに死ねって言ってるのと同じじゃねぇか。
死んで保険金で払えばいいのか』
といったらば←税金を払う義務を怠ってるくせに強気
『税気を払う資金の出所はかまいません』
といわれましたよ。。。

ガ━━∑(´・ω・|||)━━ン
出所かまわないとかすごいよね。。
税金じゃ殺されないっていうけど、ある意味殺されちまう勢いですよ。

まぁそんな経緯があって、差押さえにあうのだけど、その間私と事務員と税理士の先生
のみ事務所にいました。
これは強制なので、社長の立ち会いも必要ないんだそうですよ。

一通りの作業が終わると、国税局の人は帰っていきました。
そして私は帰った旨を社長に報告すべく社長に電話しました。
すると社長は、、、

『いやぁ、、まいっちまったな。
俺、税務署だっていうからパチンコ屋に隠れてたよ。
負けて金もねぇから今からかえるよ』


だって。。。

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こんな状況で私は真っ青で立ち会って書類まで書かされたのに。。。
社長、、ぱちんこ!?

ガ━━━━━━━∑(゚□゚*川━━━━━━━━ン!

to be continued.....②へ。。。