老欅荘へ続く階段を上る前に…
近代小田原三茶人の茶室
三井財閥の益田孝(鈍翁)
⬆️
『青天を衝け』にも出ていましたよね。
三越百貨店社長などを歴任した
野崎廣太(幻庵)
そして電力界の大御所松永安左ヱ門(耳庵)は
実業家として活躍する一方で
茶の湯を趣味とし数寄者として
近代における茶の湯の交流に
大きな役割を果たしたそうです。
彼らが小田原に構えた茶室は
数寄者たちが集う交流の舞台となりました。
松永記念館には
松永耳庵の「老欅荘」及び「無住庵」
野崎幻庵の「葉雨庵」があり
益田鈍翁の「掃雲台」に置かれていた
石造物の一部が残されています。
益田鈍翁 掃雲台
益田鈍翁は明治39年(1906)小田原板橋に
広大な掃雲台の造営を開始。
大正3年(1914)三井を退くとともにここに移り
茶の湯三昧の晩年を過ごして
掃雲台は多くの数寄者たちの
交流の舞台ともなりました。
野崎幻庵 自怡荘
野崎廣太(幻庵)は
大正7年(1918)に
三越の社長を退任するとともに
小田原の十字町諸白小路に自怡荘
天神山伝肇寺裏に安閑草舎・山房を設け
この地で晩年を過ごしました。
そして
松永耳庵 老欅荘 無住庵
松永安左ヱ門(耳庵)が
小田原の板橋に移り住んだのは
昭和21年(1946)のことでした。
敷地内にある老木の欅から
邸宅を「老欅荘」と名付けました。
老欅荘内に設けた「松下亭」には
吉田茂、池田隼人、五島慶太などの
財政界人が訪れました。
また田舎家「無住庵」は埼玉の農園にあった
築200年の古民家の一部を用いたもので
耳庵翁の田舎趣味を体現することができる建物。
翁の亡き後近隣に移されていましたが
令和2年(2020)松永記念館敷地内に
移築復元しました。
この無住庵は普段は番茶席として
利用していたそうですが
翁が気の置けない友人らとともに
ウイスキーのお湯割りを楽しむ
微笑ましい様子も写真に残されているそうです。