ファンであるということ | バンタンを好きでいるブログ

このブログを書き始めたときに書いたように、私はこれまで国内外問わず、特定のグループだけにハマるということがなかった。


だから、ファンになったといえるのは、バンタンが初めてだ。

グクのビジュアルに心臓ぶち抜かれたのが沼の入口だったけれど、そのあとコンテンツに溺れて、「もう好き💕全員好き💕全部好き」になるまであっという間だった。そして、その「好き💕」は今も日々更新中で、もはや病気では?の域に足を踏み込んでいる笑い泣き


そんな今日このごろ、ファンであるってどういうことだろうって考えてみた。完全に個人の見解だし、まとまりもオチもないけれど、今私が思うことを書いてみようかと思う。


ファンとしての推し方はいろいろあるけれど、その人やグループが好きという当然の事実があるわけで。好きの気持ちがなくなったら、それはファンでなくなるということで。それは私たちの自由。

いつ、どんな理由で、突然ファンをやめたとしても私たちの勝手。


どんな理由で好きじゃなくなるのかな。推しの行動が自分的に「そりゃないよショボーン」ってなったとき?髪型やスタイル、ファッションなんかが自分の好みじゃなくなったとき?推しに熱愛報道や熱愛の噂が出たとき?別の推しができたとき?活動が少なくなったとき?

ファンを辞めるのにダメな理由なんてない。他人には理解されないような理由でも自分のなかで「ない」ってなったら、それは辞め時なのかも。


ただ、一度は好きになったんだから、その人やグループのおかげで幸せになれた時があったんだから、ファンを卒業しても感謝と敬意は持ち続けていたいと思う。そして、去るときはあくまでもそっとその場を去る。SNSなどで、「私、ファン辞めます」宣言はしなくていいと思う。

これは賛否あると思う。あくまでも、私はそうするという話。

いや、今のところ、好きじゃなくなる未来、1㍉も見えないけど。


で、もしも、時が経って、「あっ、やっぱ好きかも」と思ったら、シレッと出戻りもありだと思うニコニコ


推しだって人間だから、過ちを犯すこともあるかもしれない。でも、それに苦言を呈するのはファンの仕事じゃないと個人的に思う。もちろん、嫌われることも厭わず、100%相手のためを思ってあえて耳に痛いことを言ってくれる人はその人にとって必要だと思う。でもその人の人生に一緒に責任を負える人だけがその立場に立てるんだと思う。


バンタンは様々な方法で、彼らのオフな部分や、心の中の一部を私たちに見せてくれる。また、言葉や歌にして発信もしてくれる。ファンとしてはとても幸せなこと💕でもそれは全部じゃない。だから、その一部を見て全部を知った気になっちゃいけない。全部を知った気になって、そこに自分の思い込みや願望を無意識に混ぜこんで、それに沿わない動きをしたからって推しに批判をするのはお門違いもいいところ。


まあ、好きでもないくせに、自分の快楽のために誰かを陥れようとして好きなフリをするのはただのアンチ。人間として終わってる人だけれどね昇天


人生折り返しちゃってるこのタイミングで日常にハリと輝きをくれたバンタン。

せめて彼らに恥じないファンでありたいですニコニコ




 アポバンポ