東日本大震災からちょうど1年。
父方の私のいとこが命を落とした日です。
大震災が起こったその日、
いとこは会社の日帰り出張でたまたま宮城に行っていました。
出張帰りの車の中で津波の被害にあい、
そのまま帰らぬ人となりました。
娘さんもまだ中学生で、本当に早すぎる死でした。。。。。
今日は叔母の家に集まり、一周忌の法事がありました。
正直、叔母とは家族付き合いも少なく、
小さい頃にかわいがってもらったような記憶もあまりありません。
弟であるうちの父が後妻の連れ子だったこともあり、
私とも血がつながっていないのですが、
叔母は早くに旦那さんも亡くなられ、
その上、今回の震災で息子にも先立たれ、
愛する家族を2人も失うなんて、本当に悲しいことで、
どうにか励ましてあげたいな、と思いました。
でも、思いつく言葉すら軽々しく思えてしまって、
元気づけてあげたいけど、なかなかいい言葉が見当たりません。
でも、唯一幸いだったのが、
ちゃんと自宅に戻ることができたこと。
遺体はとてもきれいで、衣類すらほとんど乱れていなかったし、
たまたま社員証を身につけていて、
すぐに身元が判明できたのです。
遺体がバラバラになってしまっていたり、
遺体すら見つからない遺族のことを思うと、
最後に見ることができただけでも、本当に良かったと思います。
お寺さんがお経を読んでる間、
ついついいろんな事を考えてしまいます。
津波に流されながらどんなに不安だったんだろうとか、
雪の中、寒い上に体も濡れてどれだけ寒かったんだろうとか、
もうだめだと思う瞬間、どんな事が頭をよぎったんだろうとか、
その立場になって身をおくと、苦しくって辛くって切なくって。
同時に、亡くなった父の事も思い出してしまって、
涙がつい出てしまいます。
本当に人生は、いつ何が起こるのか分かりません。
いくらお金があっても、愛する人がいても、欲しい物全てを手にいれても、
死んでしまっては、ただ無に帰すだけです。
築きあげてきたものも、
築いてる最中のものも、
一瞬にして崩れ去ってしまったりもするのです。
でも、それを恐れていては何もできないし進まないのも事実です。
やっぱり結論は、
いま、目の前にあることを一生懸命やること。
周りにいる全ての人に優しくすること。
いま、許せないと思ってる事を許してあげること。
いろんな悲しみや経験をすると、つくづくそう思います。
その場の空気を悪くしたり、
人に対してひどいことを平気で言ったり、傷つけたりする人のことを、
なんでそんなひどい事ができるのかな~と、
なかなか許せない気持ちに私はなってしまうのですが、
それがいつか必ず直接その人自信に返ってくることを考えると、
かわいそうだな、とも思うのです。
苦手な人を好きになることはできなくっても、
許すことはできます。
私もかつて、とっても苦手な人がいました。
嫌われていたし、小さい頃からのトラウマで好きになることすらできません。
でも、最期は許すことができました。
同じ目線で、立場で考えてるうちはしんどいものです。
でも、自分がその人よりも成長して追い越した時、
不思議と優しい気持ちになれて、許すことができたりします。
こうやって、何事もなく平和に暮らせているけれど、
世界のどこかでは戦争している国もあって、
悲しみと憎しみの感情に苛まれてる人達もたくさんいます。
憎しみは何も産みません。
災害はどうしようもないけれど、
戦争は人が起こしているもの。
やるのも止めるのも、人が決めることができる。
人と人は意見も合わないこともあればぶつかりあうこともある。
でも、力でその考えをねじ伏せるのではなく、
そういう考えもあるんだ、と認めてあげること。
戦争がまったくない世の中になったらどんなに素敵だろう。
私一人が戦争を止めることはできないけれど、
まずは自分の周りにある身近なことから、できることをはじめていきたいと思います。