あのね、気づいたんだけどさ、
気づいたって言った瞬間、
もう誰かが「気づいたこと」にしてるんだよね
でもその「誰か」って、
ほんとうに“わたし”なの?
「気づきました」って言ってる“わたし”は、誰なんだ問題
チミンとお茶してたとき
ぽろっとこんな話になった
「ねぇ、“気づいた!”って思った瞬間の“私”って、
その気づきの前にいた“私”とは別人なんじゃない?」
するとチミンが急に正座して言った
「それ!それそれ!やっと来たか、その話題〜」
気づいたら“誰か”になってしまうパラドックス
ほら、「目覚めた」って人いるでしょ?
「わたしはもう目覚めてます」
「無我です、在るだけです」
「エゴを超えました」って言う人
でもその“目覚めたわたし”って、
たぶん思考が後からラベル貼ってるだけなんだよね
ほんとうの気づきって、
気づいた瞬間に“わたし”ごと消えてる*から
その出来事を記憶してる存在がいない
「気づき」が起きてる時、ぼくらはいなかった
たとえば、ふとした風景に涙が出たとき
夜の静けさに心が震えたとき
釣りの最中に、時間が溶けて「何も考えてなかった」ってとき
あの瞬間
誰も“気づいた”なんて思ってなかった
ただ、“それ”が起きていただけ
「気づいた自分」は、あとから現れて、実況してただけ
つまり
「気づき」は、“わたし”がするんじゃなくて、“わたし”がいないときに起きる現象だった
じゃあ、ほんとうに気づいてるのは“誰”なの?
この問いに対して、チミンは
ついに湯呑みの底を見せながらつぶやいた
「それは、“気配”か、“空間”か、“場”か……
名前つけたら、もうそれじゃなくなっちゃうやつだよ」
「だから、ぼくたちは“気づいた誰か”になろうとしなくていい
“ただ響いてるだけの、名もなき風”になればいいの」
うん
そうかもしれない
気づいたのは、ぼくじゃなかった
気づきは、ただそこにふれていた
そして、ふれられたなにかが“鳴った”だけだったんだ
銀河では、ほうきマスターが今日も掃除中
例のほうきじいさん、今日も変わらず掃いてるらしい
何も語らず、ただ「掃く」という動きだけが、ふるえてる
誰も彼を「気づいた人」なんて呼ばない
でもその背中には
宇宙の沈黙みたいなやさしさがにじんでる
気づくでもなく
伝えるでもなく
何者でもなく
ただ、そこに、いる
「気づいたら終わり」じゃなかった
ぼくたちは、気づきに向かってるんじゃなくて
気づきからこぼれてる粒みたいなものかもしれない
名前も、所属も、意味もなく
ただ、風の中で
ふるえたり、笑ったり、泣いたりしてる
誰が気づいたかなんて
もうどうでもよくて
ただ、“それ”にふれてるかどうかだけが、
ぜんぶ
ヘナとカットだけの小さな美容室
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