極論を言ってしまえば、自分の人生における成功も失敗も、すべて運で決まるというものです。
そんなこと言われたら、何もする気が起きないとなってしまいますが、まぁ実際そういうものだという話。
お金を稼げるのも、たまたまそういう場所に自分が居るだけ。
ただ、そういうめぐり合わせに立ち会えたという『運』は、周りの環境あってのもの。
その運を自分の実力と勘違いすると、狂い出すらしい。
道教でしたか、『無用の用』という逸話がありました。
老荘思想も同じ考えですね。
人としてはそういう風に生きるのもいいかもしれませんが、現代社会ではそれだけでは文明が発達しない。
そこら辺りのバランスがいるのでしょうね。
私も思うのです。
『運』というのは、確かにあると思います。
ただ、自分の努力や行動によって、ある程度は引き寄せられるものだと思います。
何もせずにボォーッとしていては、稀に運が巡って来るかもしれませんが、行動するとより引き寄せることができるでしょうね。
そう考えていますが、実際には終わって見ないとわからないところが辛いですね。
そして、結果を求めては、これまた『運』が逃げていきます。
俺はこれだけやったのに、何故だと。
その過程において、妄想段階で報われている時もあります。
幸せを感じていたら、報われているでしょう。
それに、実際その過程でつながりがあると思います。
これも報われているのかもしれません。
また、結果もすぐに出るものでもないように思うのです。
数日から数年、もしかして数十年、最悪は最後まで結果がないかもしれません。
でも、それを求めるのではなく、何気なしに待っている。
そうすると、案外フッと落ちてくるものが『運』でしょうね。
秋の夜長、少し物思いにふけってみました。