『オーラ』 | まだだ、まだ終わらんよ!

まだだ、まだ終わらんよ!

人は同じ過ちを繰り返す・・・

 

 

『オーラ』

よく、使われる言葉ですが、私が初めてこの言葉に接して、そして流布しだしたのは、

「北斗の拳」のラオウが、南斗水鳥拳のレイが、黒王号にまたがるラオウに向かっていったとき、ラオウが放った気が最初だったと思います。

 

馬から降りろ、とレイ。

貴様ごときの腕で、俺を馬から降ろせると思うか、とラオウ。

馬上の不利を知れ!とレイ。

そして、無数の拳にひるむレイ。

 

バ、バカな・・・奴は手綱を握ったままだったはず、俺が見たものは何だったのだ、とレイ。

 

貴様が見たものは、私の闘気、オーラだ、とラオウ。

 

そう、オーラとはラオウほどのものが修行の末にまとえるものです。

雰囲気とは違います。

 

さて、そのオーラですが、では実際に歴史上にいなかったのか?

それがいるんですね。

宮本武蔵などは古すぎてわかりませんが、きちんと文献で残っているのは、近いもので

「白井亨」という剣術家です。

白井は、俺の剣先からは環がでるぞ!と言っていたそうです。

私も、これだけならそこまで信用しないのですが、

勝海舟が白井を訪ねて、その剣の境涯を学びたいと思ったそうです。

で、その記述の中に、

其れ、剣術でも何でも同じことだ。

俺がまだ若いころ、白井亨という人のところへ行ったときに、その白井が道場に立つや、凛然たるあり、神然たるあり、何ともいえないものを感じたというのです。

その境涯を学びたいと白井に尋ねると、君がなまじ剣の心得があるから、恐ろしく感じるのだ。

何も知らない赤子なら何も感じないよと、うまくあしらわれたそうで、とても俺のかなうところではないと、勝海舟が言っています。

 

私もそういうものを感じたいと本気で思ったことがありました。

もう20年も前ですが、全然近づいた感じたないですね。

やはり、凡夫にはなかなかどうして、難しいものです。

 

身体から入ったらいいのか、心から入ったらいいのか、わかりませんが、おそらく両方一緒にしないとダメでしょうね。

だからこそ、曹洞宗の坊さんに禅を教わったり、身体の動きはいろいろ調べたり、自分で実践したりしてますが、まだまだですな。

甲野さんという古武術の方が、大阪にも定期的に来られることがあるので、講習会には参加したりもしましたが、1度や2度では理解できるものではありませんね。

そして、自己修練がなによりも大事です。

行住坐臥、常に自分の所作になじんで意識しない状態までもっていかないと・・ですね。

日々、これからも精進します。