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ふらっと歴史探訪

日々の暮らしや旅先で出会った身近な歴史など、綴ってみたいと思います。

先日は自転車で巣鴨~駒込辺りに行ってみました。


とげぬき地蔵へお参りした後、白山通りを渡り、染井霊園周辺の寺をたどりながら本郷通りへ出て、古川庭園まで行きました。


当初の予定ではここで帰宅の途につこうと思っていたのですが、確か北区にはいくつか城跡があったはずだということを思い出し、古川庭園前の地図を見て何となくはす向かいの平塚神社が気になり行ってみました。



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鳥居をくぐり長い参道の先に本殿があり、本殿裏には小高い丘のような場所が。


本郷通りから本殿までは平坦だったのではじめは気づきませんでしたが、神社横の道は、JR上中里駅へと向かう急な下り坂で、本殿脇は深い谷のようになっていました。



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もしや?と思いつつ、由緒書等を探すと、入口の鳥居の脇に「平塚城伝承地」の案内板がありました。


案内板によると、中世武蔵国の有力者である豊島氏の城でした。

箱根といえば芦ノ湖、関所、箱根神社、大涌谷、湯本や強羅などの温泉・・・


様々な見どころが満載ですが、



私が箱根で一番好きな場所は、箱根峠を越え、三島方面へと下って行く途中にある山中城です。



この城は、天正18年(1590)の小田原合戦において、東海道を守る最前線の備えとして後北条氏が整備した城です。




ここは後北条氏特有の「障子堀」をはじめ、城の遺構がよく保存されているほか、お城に興味がない人でも、きれいに整備された富士山や駿河湾の眺望がいい芝生の公園としてかなりお勧めの場所です。



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先日、お盆のお墓参りで麻布のお寺に行った際、大名屋敷に因んだ坂をいくつか歩いてきました。



まずはじめに、仙台坂へ。


仙台坂は言わずと知れた仙台藩伊達家の下屋敷があったのでそう呼ばれた坂です。各種『江戸切絵図』等で「松平陸奥守」とあるのがそれです。江戸時代には有力大名に松平姓を与えることが行われていました。


仙台坂をそのまま直進し、愛育病院を過ぎて、六本木方面には行かず、そのまま外苑西通りへ下りました。


ここは、北条坂という坂です。


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北条坂は河内狭山藩北条家の下屋敷に因んでいます。狭山藩北条家は北条早雲にはじまる小田原北条氏の末裔です。


豊臣秀吉の小田原征伐で戦国大名北条氏は滅亡しますが、当主氏直の叔父で和平派であった氏規の系統と、山中城の戦い後に家康に降った玉縄北条氏勝の系統の二家が近世大名となりました。


北条坂の北条家は、氏規の系統です。


北条坂を下り、外苑西通りにつきあたったら左へ進み、広尾方面へ。広尾は、嘉永四年の切絵図にも「廣尾町」として載っています。


駅を過ぎ、有栖川公園に向かい、公園には入らずに入口右手の坂道南部坂へ。


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南部坂は盛岡藩南部家の下屋敷に因んでいて、南部家の下屋敷は今の有栖川公園です。


奥州の大名南部家ですが、ルーツは甲斐国にあります。


初代光行は武田氏等と同じ甲斐源氏出身で、『寛政重修諸家譜』によると、源頼朝に従い石橋山の合戦の功により甲斐国南部郷を与えられ、南部を称しました。その後奥州攻めでも活躍し、陸奥国に所領を与えられ、南部氏と陸奥国の繋がりが生まれます。



麻布あたりは、都心の中ではよく古い道が残っているところだと思います。



各種『江戸切絵図』を見ていると、



「もしかしたらここって・・・」



と思わせる現在の地図に重なるような道や、今も残る地名が、他にも載っていたりします。



参考文献 浜田義一郎編 『江戸切絵図 金鱗堂版』

       『寛政重修諸家譜』

       『角川日本地名大辞典』