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ふらっと歴史探訪

日々の暮らしや旅先で出会った身近な歴史など、綴ってみたいと思います。

友人と穴八幡に初詣に行った後、水稲荷に立ち寄りました。


水稲荷は穴八幡から高田馬場方面に行く途中、グランド坂を目白通りへ下る途中にあります。


境内には堀部安兵衛の高田馬場の助太刀の碑もありましたが、中世の名残を感じられる場所でした。


神社の創建は藤原秀郷。境内にある「冨塚古墳」の上に秀郷が稲荷を祀ったことがはじまりらしいです。






一説によるとこの「冨塚」が付近一帯の地名「戸塚」の由来だそうです。


「冨塚」の地名は江戸地域を表した最古の絵図といわれる「長禄江戸図」や、後北条氏の『小田原衆所領役帳』(永禄二年・1559)にも見られる古い地名です


そして境内には「太田道灌駒繋松」がありました。



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早稲田~高田馬場辺りは「山吹伝説」の地のひとつです。


神社自体は、冨塚古墳を含め、現在の場所に早稲田大学との土地交換により移転してきているそうなので、この場所自体が中世伝承の場所というわけではありませんが、江戸時代以前の歴史を感じることができました。




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昨日、飯田橋から外堀に沿って市ヶ谷まで歩きました。


飯田橋駅西口を出たところにある牛込門の石垣の先から市ヶ谷駅の手前までは土手の上が遊歩道となっています。


この部分の堀は寛永13年(1636)に造られました。


中間地点の新見附橋です(この橋は江戸時代にはありません)。


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新見附橋から靖国通りへと続く「一口坂」の名前の由来は、この普請の時に疱瘡がはやり、疱瘡除けで知られる一口稲荷をこの辺りに祀ったことからとも言われているそうです。


新見附橋を過ぎるとほどなく市ヶ谷に到達です。


現在のJR市ヶ谷駅前には桝形が築かれました。


普請を割り当てられたのは美作国津山藩森家です。


残念ながら桝形の遺構はありませんが、橋を渡った外堀通り側から出土した橋台の石垣が、靖国通り脇に、千代田区教育委員会の説明板とともに保存されています。


さらに残念なのは…



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もうちょっと大事にしてほしいですね…



参考文献:『新編千代田区史』

       『大江戸透絵図―千代田から江戸が見える』

昨日は神田神保町の古本まつりへ。



靖国通り沿いのワゴンを一通り眺め


大学時代に毎年講義を受けていた先生の私家版の本を見つけたので購入しました。


その他に南北朝時代についての本を一冊。


予算がないのでその二冊で終了しました(涙)