自分達人間が食べ物にされたら、、

と考えたことありますか?


人間が食べ物にされる、、つまり人肉が作られて、他の生き物に食べられると言う事が当たり前だったら、と。

本当にそうなると、怖いですよね。


今日は学校でお昼の放送の時に、放送企画で「意味が分かると怖い話」が流れて来ました。

私の学校のお昼の放送の意味が分かると怖い話には、よく人肉ネタが使われてます。


流れると、クラスの人からちらほらと「怖っ」って聞こえて来ます。担任の先生からもです。


私はそれを聞くたびに「自分は殺されたどうぶつの肉を食べてるくせに。なんで人間だったら怖いって思うのに、どうぶつにはそう思わないんだろう。」って密かに思います。


私は以前、人間とどうぶつの立場が逆だったら、と言う記事を書きました。


人間とどうぶつの立場が逆だったら、、

掃除の行き届いて無い中、虐待の元で飼育され、


と殺され、



いただきます、ごちそうさまと言う言葉で片付けられ、食べられる。


お魚も。

写真を見るだけでゾッとしますね。


以前「約束のネバーランド」と言う映画(アニメ)が上映されてて、テレビ放送もされましたね。
私はアニメは二期から、実写版は全部、テレビ放送されたものを見ました。

あらすじを簡単に説明すると、孤児院に暮らす親のいない少年少女・エマ、ノーマン、レイが自分達が人を食う“鬼”の食事として育てられている事を知り、死の運命に立ち向かっていくさまを描いた作品です。(ネットを参考にさせていただきました。)
もっと言うと、主人公は同じ孤児院に暮らすコニーに里親が見つかったのですが、コニーが里親の元に行くときにお気に入りのぬいぐるみを忘れて行ったことに気づいて、届けに行くんです。
そしたら鬼の食用として殺されたコニー姿があって、孤児院のママは鬼の手下として自分達を食用として育ててる事が判明した。
って感じです。
分かりにくかったらすみません。


これを見ても私はお昼の放送の人肉ネタの時と同じ事を考えました。
他の人達は、これを見て主人公達が肉にされない事を願ってるんだろうな。じゃあ、普段食べてるどうぶつの肉は?と。


人間だったら怖い事なのに、なぜどうぶつには同じ事が出来るのか。
なぜ、いただきますやごちそうさまと言う言葉だけで片付けられられるのか?

一度でも良いので、考えて見てくれませんか?
「もし、自分がどうぶつの立場だったら。」
と。
自分だったら、いただきますやごちそうさまと言われれば食べられても納得出来るんですか?
人肉が作られて、他の生き物に食べられるのが当たり前だったら、どう思いますか?

私だったら嫌だし、怖いです。
でも、これを人間は当たり前のようにどうぶつにしてるんです。


そして担任の先生に毎日ノートで内容は違うけど、同じような質問をした事があります。
私の字が薄くて見にくいですが、時間が無いから省略のため↓

この返信を読んで「自分となると怖いのに、どうしてどうぶつには同じ事を出来るのか。」って思いました。
「食物連鎖もあるので、、」って所は正直、私が食物連鎖とヴィーガンの関連性が分からなかったので、別日にまた毎日ノートで聞いたんです。そしたら「考え方は人それぞれなのでは?」とだけ書かれて、結局分からないまま。
その先生は私がヴィーガンの話を書くたびに、少しウザがってるみたいなので、もう聞くのはやめよう。これ以上ヴィーガンについて書いても無駄だ。って思いました。

毎日ノートにヒヨコの殺処分の事とか、書いてみたんですけど、その先生は卵を食べる事をやめようとは思わなかったみたいだったし。

一つ誤解しないでいただきたいのは、別に私はヴィーガンを押し付けてる訳じゃ無いんです。
考え方は人それぞれだし、人の食生活に口出しする権利は私には無いから。
だからヒヨコの殺処分を知っても卵を食べる事をやめようとしない先生を嫌いだとか、おかしいとかは思わないし、なぜどうぶつには同じ事を出来るのか、とは思ってもどうぶつ性の物を食べたり使ったりする人を否定はしてません。


ただ、自分にされて怖いとか嫌だとか思う事をどうぶつには当たり前にしてる、と言う事を分かってもらいたい。そして少しでも考えを改めてもらえる人が出てきて欲しい、そう思ってます。