前回は六所神社の下宮を紹介したので、続いて山頂の上宮へ。
下宮が六所山の北西にあるのでそちらから登るのがメインの参拝ルートと思われますが、私はちょっとでもラクをしたいという自堕落な人間なのである程度まで車で登れる南側からスタート。
南側の登り口。石材店の脇の鳥居が目印。手前には名号を刻んだ石碑もある。
鳥居の脇には六所神社の社標が立つ。
社標は明治三十二年四月建立、「石工 松平村 河合卯之吉」とあった。
この道を入っていくと採石場に出る。
これが入口の石材店に書かれていた花沢石なのだろうか(山の南側の住所は花沢町)。
ここから未舗装路を進む。
林の間を抜けると再び石材が積まれた平地に出る。
その広場の隅に「炭焼窯跡・B-29米兵 ヘッジス逮捕 1945.1.4」の看板があった。
これは第二次大戦末期に六所山北西の王滝渓谷近くにB-29が墜落した事件に関係するもので、14名の搭乗員の中で唯一脱出できた米兵がここで逮捕されたことを示す。
Harold T.Hedges軍曹は後部の機銃手を務めていたようだ(参考)。
爆撃しに来た国でひとりで捕まるなんて想像したくもない状況だが、捕虜として生き残れたのは幸運と言えるだろう。
広場からは西向きに眺望がある。見えているのは村積山かな?
この広場からまだしばらく車で入れる程度の道が続く。
山頂近くの鉄塔の保守などに使われているのだろう。
途中から下宮の方からの登山道に合流し、少しすると伊勢神宮遥拝所と書かれた場所に出る。
ただ、全く眺望はない。石灯篭には文化五年(1808)とあった。
さらに登って六所神社上宮前へ到着。
山の上なので境内は簡素なもの。鳥居は平成二十四年建立と割と新しい。
境内には鳥居の他、水盤、石灯篭と「明治三十七八年役戰捷紀念」碑があった。
六所神社上宮本殿。
ブロック塀の瑞垣と民家の玄関みたいなサッシの扉は雰囲気がイマイチだが、不便な場所で手入れも大変なので仕方がない。
瑞垣の中には古そうな様式の狛犬がいた。
六所神社の由緒は、永和三年(1377)後の徳川氏につながる松平氏の始祖、松平親氏(ちかうじ)が六所山(当時は吉木山/芳樹山といった)の山頂に鹽竈六所明神を勧請したことに始まるとされる。
この経緯から松平氏の氏神とされ、家康が生まれた岡崎城の近くの六所神社(現在の名鉄東岡崎駅裏)へも当地から三柱の神が遷座している。
そういう意味では非常に歴史的価値のある場所なのだが、岡崎城近くの方が重文の華麗な社殿などを備えているのに対して、こちらちょっと寂しい気もする。
個人的には山の中の神社は好きだけど、やっぱ不便だからかな…。
また三河や北遠の山間部に六所神社を祀るところが結構あるのは、ここから勧請されて広がったのだろう。
主祭神は猿田彦命、事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)、岐神(くなどのかみ)、配祠神に日本武尊。
主祭神は全て塩釜神社の祭神である。
そして上宮の北には、六所神社が勧請される以前に信仰されていた吉木山の神が蜂ヶ峰神社として祀られている。
山の神ということでこちらの祭神は大山祇神。
氏子には隠居神様とも呼ばれるらしい。
こういう信仰の移り変わりが残っているのは面白い。
さらに東にはかつて寺院も建っていたと伝えられ、「神宮寺宝生院跡 後代芳樹山地蔵院」の石碑がある。
現在下宮の隣に建つ地蔵院がもとはこちらにあったということだ。
かつての日本の実質的支配者一族の聖地として、もうちょっと注目されてもいい場所だと思う。