前回紹介した程野大橋の上流にかかる小さな橋です。
漆平沢橋北詰から。
まぁなんの面白みもない橋で、普段ならまず取り上げないタイプである。
水道管?が橋の上を通っているのはちょっと珍しいかな。
南詰は写真のように対岸の道路と段差ができて車両が通れなくなっている。
昭和54年に程野大橋が開通するまではこちらを車両が通行していたはずなので、旧道落ちした後に道路が改修されたのだろう。
橋の南に平成12年の水道完成記念碑が立っているので、その時かもしれない。
あと細かい点だが程野大橋の記事中で触れた近くのバス停名は「うとどち」だが、こちらの碑では「うとうどち」だ。
実際の発音では真ん中の「う」が弱くなるのだろうか。
橋のすぐ上流には透過型の砂防ダムが建っている。
堤体表面に木が貼ってあるのは景観のためか?初めて見た。まぁ確かに目立たなくはなっている。
で、この橋を取り上げた理由は程野大橋の銘板で見た川名「漆平沢川」が気になったからだ。
漆平を普通に読めば「うるしたいら/うるしひら」で実際そういう地名は各地にあるが、「うるしたいらさわがわ」ではちょっと不自然な感じがする。
ということで「漆平沢橋」のひらがなの橋名を見ると、果たして「しっぺいさわばし」と読んでいる。
その他の2枚は「昭和41年3月25日竣工」「主要地方道 大鹿水窪線」。
この場所で「しっぺい」というと磐田市の見付天神に伝わる霊犬「悉平太郎」の伝説との関連を考えずにはいられない。
詳しい話はリンク先を読んで頂きたいが、あらすじは現在の長野県駒ヶ根市の光前寺に居た悉平太郎という霊犬が請われて静岡県磐田市の見付へ行き、人々を悩ませていた妖怪を退治する、というものである。
悉平太郎は妖怪との戦いで相討ちとなったとも言うが、無事光前寺へ帰ったと伝える話もあり、そちらの話では見付から光前寺へ帰る途上の地名が伝説と結びつけられている。
近くだと青崩峠の水窪側にも悉平太郎の墓と伝えられる場所が今も残っている(そこで死んじゃうと漆平沢まで来ていないことになるが)。
そう考えるとこの漆平沢にも何か関連する話が伝わっていないだろうか、と想像してしまう。
あるいは「うるしだいら」と呼んでいたのを漢字で「漆平」とし、悉平太郎の伝説が加わって「しっぺい」と読むようになったとか?
もしくは単なる偶然なのだろうか。
気になる地名だ。