志摩半島を縦断する国道260号線の旧道にかかる深谷橋です。
太平洋側を走る現道の深谷大橋の北側に、かつての深谷大橋、現・深谷橋の白いアーチが見える。
西詰から正対。現在は歩行者専用のため車止めが立っている。
西詰の階段から下へ降りられる。写真の橋は現道の深谷大橋。
現・深谷大橋は銘板では「昭和53年3月竣工」となっていた。
深谷橋はちょっとわざとらしいくらい真っ白な充腹アーチ橋だ。
本来は両端の橋台部分と同じコンクリートの地の色だったのではないかと思う。
いや建設当初から白く塗ってたのかもしらんけど。
近くから。
アーチの頂部には要石風の装飾がみえる。
真下から。白く塗られているせいで経年が分からない。
北側から新旧の深谷大橋。
橋がかかっている場所は一見すると川のようだが、実は人工的に造られた運河で深谷水道という。
志摩半島の最も狭くなった部分を開削し、太平洋と英虞湾(あごわん)を結んでいる。
わずか660mの長さなので左右を向くと運河両端に建つ灯台を見ることができる。
上の写真が南口(太平洋側)、こちらが北口(英虞湾側)である。
撮影中にも太平洋側から船が英虞湾の方へ抜けていった。
個人的に面白いと思ったのは、この水道の開削によってここから西は本土から切り離されたということ。
埋め立てで陸続きになった場所は多いが、切り離されるというのは珍しいんじゃないだろうか。
ちなみに運河の幅は14.5mなので、世界一狭い土渕海峡の9.93mには及ばない。
まぁそもそも人工物なんでダメだろうが。
深谷橋の東詰に「水道開鑿記念碑」が立っている。
現在の深谷橋には銘板類がなく架設年が分からないが、この石碑には水道の竣工が昭和七年十月とあるのでその時には橋ができたいたと思われる。
ただしQ地図様では昭和八年完成としており、名前も前島大橋(さきしまおおはし)と記載している。
またネットで見られる深谷水道の開削当時の写真のキャプションでも前島大橋となっていた。
…なんか前島大橋の方が正しいんじゃないかと不安になってきたが、書き直すのがめんどくさいのでこのまま深谷橋としておく。
ちなみに深谷橋のソースはWikipedia。根拠としては心許ない。
ただ現橋が深谷大橋で旧橋が前島大橋などと大橋が並ぶような命名をするのもおかしい気がするので、結局よくわからない。
あるいは前島大橋→深谷大橋→(現・深谷大橋完成)→深谷橋、というような順に改名したのだろうか。
正解をご存じの方がおられたらご教示ください。
太平洋を前にしてのあまりに小さな悩みでした。