名鉄上横須賀駅の南東、中野集落の曬稿社(さこうしゃ/日へんに麗)です。
google map上の住所は何となく字形が近い晒橋(さらしばし?)となっていますが、正しくは社名と同じ曬稿です。
他の地図サービスでは「さ稿」とひらがなにしているのでタイトルはそれに従いました。
曬稿社全景。中野集落の南端にあって、南向きに鎮座している。
正面入口。鳥居横の秋葉灯篭には文化十五年(1818)とあった。
鳥居をくぐって、拝殿前。
やや小ぶりな狛犬は昭和四十四年十月、「金婚(*)記念」で作者は不明。*婚は「女+氏」の下に「日」の異体字。
曬稿社社殿。本殿の後ろが公園になっている。
境内東側にも入口があり、こちらには「天然記念物曬稿松」の標柱が立っている。
どちらかというとこの曬稿の松がメインなんじゃないかという雰囲気で、神社の由緒書きがないのに松の説明看板はある。
ただし、日に焼けちゃってほとんど読めないけど…
内容を要約すると、曬稿の松(通称中野の大松)は目通り径約6m、樹高13m、枝は東西31m南北29mに及ぶクロマツの大木であった。
慶安三年(1650)の検地帳にも「毘沙門ノ松」と記載があり、その頃から知られていたらしい。
昭和八年に国の天然記念物に指定されたが、昭和三十年代に相次いだ暴風雨により枯死し昭和三十七年に伐採された。
昭和三十八年に天然記念物の指定は解除されている。
ということで残念ながら現在は境内に根本の部分が残るだけだが、説明によると特に枝の広がりが相当に大きく迫力のある姿をしていたようである。
今も根本の部分にはしめ縄が張られ屋根もかけられて大切に保存されている。
曬稿という難しい名前は「曬」がさらす、日に干すの意で、「稿」にわらの意味があることから、刈り取った稲を枝にかけて干すというところからの命名と説明されている。
ただ、一般の農民が初めからこんな難しい名前をつけるとは考えにくく、また看板の説明でも毘沙門ノ松、中野の大松という通称を挙げているから、名木として有名になってからどこかの学のある人が頭をひねってつけたのではないかと思う。
ちなみに曬稿社の祭神は市杵島姫命で、毘沙門天にも松にもあまり関係無さそうだ。
現在は隣に二代目の曬稿の松が植えられ、大切に育てられている。
百年後くらいには立派な松になってくれているだろうか。
社殿の瓦の紋も松だった。