東御市内の千曲川にかかる境橋です。
鹿曲川(かくまがわ)との合流点の少し上流あたり。
境橋南から。一応歩道はあるが、幅が狭くかなり心許ない。
南側下流から。橋脚と橋桁に違う形状のものが使われている。
これだけだと特に面白みのない橋だが、というか実際現橋は面白くないのだが、旧橋がRCローゼ橋だったということで訪れたのである。
しかも境橋はRCローゼ橋産みの親である中島武が自ら設計した7橋、通称オリジナルセブン(勝手に命名)の内の一つなので立ち寄らないわけにはいかない。
旧橋では上の写真奥(北)側の一径間がRCローゼ桁で、手前(南)の二径間が通常の桁橋となっていた。
手前のU字形の橋脚は写真で見る限りオリジナルと似ているが、同じものが使われているのかは分からない。
あと旧橋の遺構っぽいのは北岸の橋台くらいか。
親柱はなく、銘板は地覆に設置されている。
「境橋」「さかいはし」「信濃川」「しゅん工昭和48年3月」。
河川名について、長野県内では千曲川と呼ぶのが普通だと思うが、河川法上は信濃川水系となっているのでそれに従ったのだろう。
橋名は2004年に合併して東御市となる以前、東部町と北御牧村の境にかかっていたためと思われる。
ちなみに旧境橋は昭和19年に完成している。
現橋は見る所もないが、親の七光りブリッジとして旧橋の面影を探すのもまた一興だった。