春日神社 (西尾市吉良町友国松下) | 手当次第

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気になる所にいってみる

アイシンの工場などの工業団地となっている友国の鎮守社である春日神社です。

 

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境内は丘の上にあり、南西から登る。三方を水路に囲まれた、城っぽい地形となっている。

友国春日神社入口

 

左は古そうな石段で現在はロープが張られ立入禁止。境内へは右の車参道を使う。

友国春日神社の鳥居

 

鳥居と社標は共に大正二年九月建立で「岡﨑 石工 名倉定治郎」の銘。

石段の途中に立つ灯篭には宝暦三年(1753)の年号が見えた。

 

鳥居の手前左奥には石灯篭と、秋葉山の石祠が祀られている。

友国春日神社の境内社秋葉社

 

石段の登り口には上横須賀の春日神社に居たのと同じ鹿像(狛鹿?)がお出迎え。

友国春日神社の鹿像

 

向かって右に角がないのが上横須賀のものと違うが、取れてしまったのかもしれない。

裏に回れないので年代、作者不明。

 

坂を登って、境内入口。

友国春日神社境内入口

 

子取り玉取の狛犬。昭和八年、「岡﨑市 石工 成瀬大吉」。

友国春日神社の狛犬

 

スタンダードな岡崎型狛犬だけどなんか上手く見えるのは流石の成瀬大吉、ということだろうか。

台座には「六百年記念」とあり、これは創立からの年数を指すと思われるが、『吉良町誌』では創立を暦応二年(1339)としているので昭和八年(1933)だとちょっとフライングとなっている。

 

狛犬の間を通ってすぐの左手には戦没者を祀る「平和之礎」の石碑が立っている。

友国春日神社の平和之礎の石碑

 

境内東側から社殿の様子。不揃いの石をきれいに積んでいるなぁ。

友国春日神社の社殿

 

本殿の両脇には境内社の祠が祀られており、向かって右が御鍬社と八劔社、左が天王社と八王子社と書かれていた。

またその前には元禄十五年(1702)のように読める石灯篭も残っていた。

 

本殿の棟鬼瓦には「春」を意匠化したような文字が書かれていた。あるいは「春日」を合字(抱き字)にしたのかもしれない。

友国春日神社の棟鬼瓦

 

市内今川町の白山神社でも「白山社」を合字にした瓦を見たが、なんかそういう風習というか流行があったんだろうか。

 

境内に由緒書きの類は見当たらず。

同じ吉良町の饗庭白山神社と同じく、当地で新田開発をした足利尊氏が鎮守として勧請した三社の内の一つで、三の宮にあたる。

創立は暦応二年(1339)、奈良の春日大社からの勧請による。

それ以前にはこの場所に伊井塚と呼ばれる塚があったという。そのため古くは伊井塚大明神と称した。

また、当社の北には王塚と呼ばれる場所があり、そこに祀られていた王塚社(祭神:後白河法皇)が合祀されている。

 

その他境内社の八劔社と八王子社は、至徳元年(1384)に当時の領主浅井六之助が勧請したものという。

以上『吉良町誌』による。

 

もともとあった塚というのは古墳だったのだろうか。

となると神社創立以前から特別視された場所だったのかもしれない。