神明社 (西尾市一色町中外沢壱町割) | 手当次第

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気になる所にいってみる

中外沢集落北端の田んぼの中に鎮座する神社です。

 

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集落の中から真っすぐ伸びた道が境内で突き当たりになる、個人的に好きな立地の神社。

 

境内正面。

 

鳥居の前には小さな橋が架けられており、親柱をみると「三社橋」「明治丗一年」「八月設立」とあった。

自分が見た中では西尾市内で最も古い年代の橋でちょっと興奮した。

ひょっとしたら寺社の境内などにもっと古いものがあるかもしれないが、これは親柱を備えて名前が付けられているのがいい。

 

いまは暗渠になっているがちゃんと川というか水路を跨いでいるのもポイント高い。

 

鳥居の建立は昭和四年十月、「岡﨑市 杉田石材店刻」。字体が面白かったので写真を載せておく。

 

境内全景。

 

境内の北東は公園になっており、そちらには大正三年の「村社 神明社」の社標がある。

作者銘は「赤■ 石工 山崎常三郎」と刻まれていた。

 

拝殿向かって右の境内社。社標は「正一位 秋バ神社」と何故かカナ混じりでしかも横向き。

 

堂内には秋葉神社と共に御鍬大明神と書かれた提灯も見えたので、その二社を祀っているようだ。

 

狛犬。昭和二年、作者不明。

 

阿形の方は横からだと悪くないのだが、この写真のように正面から見ると彩色のせいか焦点が合ってなくてイマイチ。

 

社殿はRC造とはいえ建設から20年以上経っているとは思えないほどよく手入れされている。

 

本殿屋根の跳び狛犬。

 

平成十年の御遷座記念碑の裏に刻まれた「中外沢神明社(三社宮)由緒沿革」。

 

当地は寛文六年(1666)新田開発によって開かれた土地で、中外沢の地名は開発に携わった外山、沢田、中野の三名から採ったとのこと。

同じ市内の矢作川河口に開かれた西小梛も同様の由来を持つ集落だったのを思い出す。

 

寛文八年(1668)にその三氏の守護神三柱を新田の鎮守として祀ったのが中外沢神明社の始まりで、その由緒から明治に改称するまでは三社大権現と呼ばれていた。

境内前の橋はここから名づけられているのだろう。

 

このように土地としっかり結びついた歴史を知ることができるのが神社を巡る大きな楽しみだと思う。