個人的にはこの辺りが豊田市街の北限という感覚、矢作川にかかる平戸橋です。
橋名は「ひらど」だと思ってましたが「ひらと」と読むのが正しいようです。
近くの名鉄の駅名も同じく濁らないし。
まずはお姿。
平戸橋は四径間で、三径間のプラットトラスと写っていない左(右岸)側の鋼ガーダーの組み合わせ。
各径間とも、12で区画されたトラスの中央4区画は斜材を交差させて補強してある。
橋の下流には波岩という大きな岩盤が露出しており、この上で遊ぶ人なども見られる。
なるべく川の真ん中まで行って撮ってみた。
斜めから。
この角度からだと細い補強材が張り巡らされていてかなり入り組んで見える。
平戸橋越しに令和元年開通の平戸大橋を望む。
橋台はなんと石組だ。
と、下から平戸橋を堪能し終えて、次は渡ってみる。
西詰。現在、オリジナルの平戸橋は車道専用となっており、歩行者は上流側に追加された歩道を通る。
東詰。親柱には建設年を記した銘板が二つあり、正面が「昭和五十四年十二月改修」、側面が「昭和十一年十月改築」となっていた。
昭和十一年でも十分古いが、改築とある通り最初の建設はさらにさかのぼって大正二年四月。
当初は床版が木製だったそうだ。
明治二十八年に建設された先代の平戸橋が大正元年に流出したのを受けて再建されたという。
その辺りの経緯は波岩の近くの看板で説明されている。
説明の中で平戸橋は何度も改修を受けて現在に至るとあるが、確かに説明板の写真と現在の平戸橋を比べると基本的な構成は同じながらトラス部分のシルエットがかなりシンプルに見える。
下流に平戸大橋が開通するまで車から平戸橋を眺められる場所がなかったため、普段この橋を通っている人でもどんな姿をしているか知らない人が多いのではないかと思う(そもそも普通の人は橋にほとんど興味がないというのはさておき)。
まして今から百年以上前にできた橋だと知っている人がどれだけいるのだろう。
貴重な橋であることがもっと知られるように願う。
おまけ。
現・平戸橋から500mほど下流に「旧平戸橋架橋地」の石碑がある。
先々代に当たるこの橋は明治十五年に建設され、右岸の越戸村、左岸の平井村から一字ずつとって平戸橋と名付けた。
現在この場所は平戸橋町と橋名自体が町名になっているが(越戸町、平井町も現存)、もともとは合成でできた名前だったのだ。
洪水による二度の流出を受けて現在の位置へと新たな橋を建設することになり、こちらの橋は廃されたとのこと。