東栄町の東部、大千瀬川にかかる常盤橋(ときわはし)です。
国道473号線として現用の橋と、ほぼ直角をなす形で旧橋が残されているので見てきました。
常盤橋の西詰から。左が現橋、正面が旧橋。旧橋へは徒歩でしか降りられない。
まずは現橋から。
すぐそばに河原へ降りられそうな道があったので行ってみた。
下から見ると現・常盤橋は鋼製の方丈ラーメン橋だった。
方丈橋は(桁橋に比べれば)それなりに珍しいんだけど、いまいちグッと来ないのはなぜだろう。
高速とか幹線道路の跨道橋として目にする機会が多いからだろうか。
不憫なのでちょっとカッコいい部分を載せておく。
また親柱に奥三河の民俗芸能、花祭の「ざぜち」をあしらっているのも見所。
ざぜちとは耳慣れない言葉だが、花祭の祭場で頭上に渡した注連縄へ飾る、紙でできた四角形の切絵のようなもののことらしい。
写真の図柄はその一部のようだ。
写真の通り現・常盤橋の建設年は平成元年。
で、現橋から見た旧・常盤橋がこちら。
水色の上路式ワーレントラス橋だ。
北詰から正対。路上に枝が覆いかぶさり、いかにも廃道の感がある。
中央のトラ柵には何か掲示がされているようだが、完全に文字が消えていて生憎私には「全く意味がわからなかった」ので渡ってみる。
欄干はシンプルなデザイン。右側の管は南詰に建つ家のための水道管か。
橋の上から、大千瀬川上流を見る。
新旧の常盤橋の間で川は大きく曲がって淵を成している。
どうでもいいが先ほどの写真と比べて現橋のこちら側の方が退色が激しいのはやはり南向きだからか。
建設年は「…年四月改築」としか読み取れず。他の銘板も傷んでいて文字が欠けるなどしていた。
ネットで見つけた東栄町の平成二十八年の橋梁年次計画によると、旧・常盤橋の供用年度は1932年(=昭和七年)。
なんと昭和一ケタのトラス橋だった。
しかしさすがに供用開始から80年を超えているためか、平成二十七年度の点検の結果健全度「Ⅳ」と判定され通行止となっている。
…ということが渡り切った南詰のトラ柵に書いてあった。「危ないところだった」。
橋名の常盤(ときわ)は辞書によると「とこいわ」の変化で常に変わらない石のこと、転じて永久に変わらないさまを指すという。
今や危険なため通行止となった橋にその名がつけられていることに皮肉を感じる反面、建設当時の人々の期待も伺える。