前回紹介の平瀬ヤナ橋(仮称)を渡った先にある神社です。
この神社は境内へ入る前から、鎮座している環境にグッと来た。
地図で分かるように神社は蛇行する巴川に囲まれた中の小さな丘の上にあり、平瀬の集落とは川で隔てられている。
つまり川を渡らないと参拝できないわけで、こういうちょっとした異界感みたいなものが感じられる神社は大好きである。
神社遠景。入り口の鳥居が見えている。
入口正面。
鳥居が妙に真新しいと思ったら、なんと令和元年十二月建立のものだった。
まだ令和の文字が入った鳥居は珍しいと思うので写真を載せておく。
そして脇にある紀元二千六百年(1940)建立の社標には、「清和源氏嫡流柴田貞治」とあった。
これは後述するこの神社の来歴に関わるものと思われる。
他に「鑿渠記念」の石碑もあり、明治三十年に巴川から水路を引いて二町四反の水田を開いたことを記念している。
境内東側の水田がそれによるものだろうか。
平地の人間からするとわずかな面積に見えるが、山に囲まれたこの地ではコメを作ることができる場所がとても貴重だったことが伺える。
石段を上がって境内へ。
登り切った所にはこのようなものがある。
先ほど鳥居が新しかったことを思い起こせばすぐにピンとくると思うが、先代の鳥居の基礎(の片側)である。
そう思って周りを見ると境内の隅にバキバキになった両部鳥居の残骸があった。うーん…。
境内全景。縦長で結構奥行がある。
拝殿前。
狛犬。昭和十七年、作者不明。
御神木で市指定文化財ともなっている平瀬のヒノキ。
ザ・御神木といった雰囲気の端正かつ力強い姿。
ググった情報によるといまだに生長しているとのことなので、もっともっと大きくなって頂きたい。
拝殿前の灯篭は文化元年(1804)のもの。
本殿と境内社。境内社の祭神は不明。
本殿は外側のトタンの下は土壁のようで、木造と思われる。
懸魚や木鼻にもしっかり細工が入っている。
由緒については鳥居の脇に簡易な説明板があり、それによると文永年間(1264-75)の創立といわれる。
天正年間(1573-93)に柴田勝家の末孫等がこの地へ住み社殿を造営したという。
冒頭の社標の清和源氏嫡流というのは、この勝家から続く家柄ということを示しているのだろう。
柴田勝家の縁者がやってきたというのが事実とすれば、勝家の敗死が天正11年(1583)のことなので、その後に追っ手の目を避けてこの山間の地に移り住んだということだろうか。
場所も由緒も趣深い神社だった。