天ケ橋 (多治見市諏訪町神田、市之倉町13丁目) | 手当次第

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気になる所にいってみる

JR中央本線の古虎渓駅(ここけいえき)の近く、土岐川(庄内川)にかかる鋼アーチ橋、天ケ橋(あまがはし)です。

 

詳しい地図で見る

 

Google map上には道の表示がないが、衛星写真に切り替えれば橋がかかっているのがわかる。

位置的に北側(多治見市街地方面)からくると、橋の存在に気付かずに通り過ぎてしまうので注意。

 

下流右岸からの天ケ橋。緑の中に赤が映える。

 

先日紹介した今朝平橋とよく似ているが、こちらの方が橋長が長くライズ比が小さい(=アーチが扁平)。

 

斜めからはいいポイントがなく、隠し撮りみたいな雰囲気に。ああでもやっぱこの角度がきれいだ。

 

右岸から橋に正対。あ、書き忘れてたけど天ケ橋は人道橋だ。

 

対岸は岩山になっていて車道はトンネルでその中を通るが、歩行者は外側から迂回する形になる。

 

しかし現在、橋より左岸下流側の道は通行止めになっている。

 

上流側へは小さいトンネルを抜けて県道15号線へ合流する。

 

左岸下流から。この歩道の先が通行止めの写真の場所とつながっている(はず)。

 

ズームで。

 

西詰にはすぐ中央本線が走り、線路と並行して古虎渓駅まで道が続く。

 

この立地から、天ケ橋は市之倉あたりから古虎渓駅へアクセスするために造られたのかと想像したが、調べてみると天ケ橋の建設年は大正15年、古虎渓駅の旅客営業開始が昭和26年と、橋の方が25年も早く完成している。

 

というかまず大正橋梁だったことにビックリした。

雰囲気的にそれこそ今朝平橋と同じく1950年代くらいかと思ったのだが。

 

こちらのブログによると、多治見の陶磁器商人たちが名古屋方面と行き来する川沿いのルートとしてこの橋を使ったとのこと。

いま古虎渓駅とより下流の右岸には線路の他に道はないが、かつては人が通れる道があったのだろうか。

 

親柱は残っているものの、銘板はなくなっている。

 

現地では河川許可標でかろうじて名前がわかるだけだった。

 

ちなみにこの看板にならって本記事では「天ケ橋」と大きい方のケで表記しているが、ネット上では「天ヶ橋」と表記しているものが多い。

橋名は西側の天ケ峯からか。

 

意外なほど古い橋でうれしいおどろきだった。