矢筈砂防ダムの近くを歩いていたところ、道路わきに「木地屋墓地」と書かれた看板がありました。
以前から木地屋の墓というのを見てみたいと思っていたので、これ幸いと立ち寄ってみました。
さりげない看板。車では見逃すかもしれません。
全景。
木地屋(木地師、ろくろ師などとも)というのは木を切って椀や盆などの器を作って生活した人たちのこと。
材料となる木が必要なので自然と山の中に住むことになり、お墓もこうした人里離れたところに建てたようです。
天明7年(1787)の年号が刻まれた墓石。
木地屋のお墓は自然石を立てただけというのも多いそうですから、きちんと戒名まで刻まれたこの墓石は立派な方なのかもしれません。
寛政3年(1791)建立の石仏。菊花紋に注目。
他にも菊花紋が刻まれたものがいくつかありましたがこれが木地屋の特徴で、自分達の始祖を小野宮惟喬親王という皇族とみなしていたことに由来します。
弟と皇位継承を争って敗れた惟喬親王が現在の滋賀県の山中に退いて、家臣の小椋実秀らと木地の製作を始めた…という内容で、意外にも後世の支配者にこの伝承が認められたため、山の中を自由に行き来できるようになったのでした。
そして身分を保証するために滋賀県の君ヶ畑と蛭谷に木地屋の元締めとなる役所があって、お墨付きとなる紙を木地屋に渡し、代わりに寄進を受けていたとのこと。
なんかこういう、山の中に全国に渡って平地とは全然別のつながりを持った社会があったというのがとても興味深くて、その証拠となる木地屋のお墓を見られて地味に興奮しました。
そのうち君ヶ畑にある椎喬親王を祀る神社へも行きたいなぁ。
(追記)