北恵那鉄道線の第二中津川橋梁近くの小山の中に鎮座する高丘神社です。
道路からは神社があることが分かりません。
県道6号線からの入り口。山の南側からも入れます。
「立太子紀念」と彫られた鳥居。大正7年4月15日建立。
立太子とは次の天皇となる皇太子を正式に定める儀式のこと。
ここでは大正5年11月に行われた裕仁親王(後の昭和天皇)の立太子礼を指していると思われます。
4月15日が当社の祭日にあたるようなので、それに合わせて奉納したのでしょう。
社標。
参道横にはこのように巨石が並んでいます。
かなりグッときた、巨石の間を抜けて境内へ続く階段。これはいい。
石をまたいで建てられた鳥居は明治25年、これも4月15日建立。
岩に鑿跡があったので参道のために少し加工したのかもしれません。
境内全景。
境内は狭く、小さな祠があるだけですが、石の迫力で十分に間がもっています。
調べてませんが、この巨石が御神体と思っていいでしょう。
7枚目の写真に写っている碑文についての説明。
説明書きによると、妙見山は明治末頃には中津の名所として知られており、特に4月15日のお祭りの日はにぎわったそうです。
江戸期の句碑が残っていることから、それ以前からも有名だったのでしょう。
妙見山という名前から妙見菩薩を祀っていたと思われ、ふもとには妙見山長久寺というお寺もあります。
ところが、こちらの境界確定記念の碑ではこの場所を高丘山としています。
これはおそらく神仏分離のために、仏教的な妙見菩薩にちなむ山名を嫌って高丘山というとってつけたような名前にしたと推測しますがどうでしょうか。
『恵那神社誌』によると祭神は天御中主大神で、一般に妙見菩薩を祀っていた神社では神仏分離後はこちらを祭神としたようです。
境内からは中津川とその街を望むことができます。
手前に見えるのが第一中津川橋梁の上に架かる妙見大橋。
特に期待せず橋のついでに訪れた神社でしたが、巨石好きの僕には大変見応えのあるところでした。
近くには他にも星ヶ見岩や夫婦岩などロックなスポットがあるようなので、その内それらも見たいなぁ。