永野神社 (額田郡幸田町永野) | 手当次第

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気になる所にいってみる

前回の素盞嗚神社向かいの墓所山に鎮座する永野神社(ながのじんじゃ)です。
 

 
山裾の集落の間から山頂へ向かう参道。
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この入り口とロケーションですでに80点ぐらいある(個人の感想です)。
 
鳥居前。
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「岡崎 石工 今井新太郎」の銘入り。明治36年建立。
同じ作者の銘が前回の素盞嗚神社の鳥居にも入っていましたが、昭和3年建立のそちらでは肩書が「石匠」に変わり、石工の弟子(?)を従えていました。
その間25年の年月を感じさせます。
 
鳥居前で振り返ると、幸田・岡崎の田園風景が広がります。
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境内。
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また境内入り口にはこのような記念が刻まれています。
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「御田扇祭(みたおうぎさい)」は、田植えの後に伊勢神宮から受けた御田扇を納めた神輿が各村を回るというこの地域のお祭り。
手永(てなが)は岡崎藩の行政区画・制度で、山方手永はその内のひとつ。
 
もともとは六つの手永を巡っていたようですが、現在はこの山方手永と堤通手永の二か所となっており、岡崎市・西尾市・幸田町のそれぞれで文化財指定されています。(参考
 
その扇神がこちらに祀られている、ということでしょうか。
 
狛犬。年代・作者不明(もしくは撮り忘れ)。
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奥には「山ノ神」の境内社があります。
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道は南西の永野公園へつながる遊歩道となっています。
 
拝殿前の幟立て(4本2組)には四人の奉納者のメッセージが。
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これはいいですね。
この境内で遊んだ思い出もあったのでしょうか。
 
由緒書き。
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社名となった永野は明治九年に永井村と野崎村が合併してできた永野村ににちなむ。
元永井村の八幡社(字山鼻41)と稲荷社(字山川間74)、元野崎村の御鍬社(字墓所山1)と稲荷社(字墓所山32)の計4社を、大正元年に御鍬社があった現在地に合併し、社号を永野神社へと改めた。
さらに大正二年には幡豆郡一色村大字小薮字宮前の神明社、御鍬社を合併し同時に村社の社格を得た。
 
ここから現在の西尾市一色町小薮までは直線距離で15キロほど離れてまして、なんでそんな遠くの神社を合祀したのかと思いますが、そのあたりが海瀟(嘯)、つまり津波による被害を受けて氏子が移住して祀る人が居なくなっていたため永野神社へ合祀したとのこと。
 
この一色町小薮には現在も宮前、宮西の住所が残っています。
実は以前地図で見て気になって、現地で神社がないか軽く探したことがあります。
こんな離れたところに移っているとは思いもよりませんでしたが、ナゾが解けてスッキリしました。
 
またこれは僕の推測ですが、同時期に近くの菱池で干拓事業が行われていたので、旧地の住民がその農地へ移住してきたりしてなんらかのつながりがあったのかな?とも思います。
 
 
さらにさらに、社額の揮毫はあの岡本太郎とのこと。
現地で読み飛ばしていたためアップの写真を撮ってませんが…。
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これまたどういう縁があったんでしょう。
 
以上、意外に盛りだくさんの永野神社でした。
まぁ平凡な神社ではあるんですが、集落背後の山の上にあって前が田んぼという場所が神社らしくて個人的にはとても良かったです。
 
いいところだよ!
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