鬼女新田 (牧之原市) | 手当次第

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気になる所にいってみる

最近だとネットスラングにもなっていますが、昔から非情な女性(の妖怪)を指して鬼女という言葉があります。
 
お茶畑が広がる牧之原台地の中に、そんな恐ろしい言葉を冠した鬼女新田(きじょしんでん)なる場所を見つけたので行ってみました。
 

 
鬼女新田公民館。赤い文字はもちろん血(断言)。
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なんかすごい逸話がありそうな鬼女弘法堂への道標。
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でも特に地名の由来とは関係ないようです。
単に鬼女にあるからということか。
 
電柱も鬼女。
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鬼女宮前(きじょみやまえ)のバス停。
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ちょっと脱線しますが(バスだけど)、時刻表をよく見ると7時20分の1本のみ!
しかも休校日と土日祝日は運休。帰りどーすんだ?
 
何考えてこんな時刻表になっているのかちょっと知りたいですね。
この間ニュースになった北海道の駅みたいに、通学で使う子供でもいるのか?
…まさかうっかり乗ると鬼女の所に連れていかれるから帰りは要らない、とかそういう怖い話?
 
話を戻すと、鬼女宮前というからには近くに神社があり、地名の由来がなにかわかるかと行ってみたものの現地では特に収穫なし(その神社の紹介は次回)。
 
しかしその神社について『相良町神社誌』で調べていたら、参考として以下の説が紹介されていました。
キジョウという地名の原義は、馬牧の柵戸(キヘ)であり、柵戸が城ノ上(キノヘ)となり、これを音読したためキジョウと変じやがて鬼女と当て字されるようになったもので、近世以降いう所の気丈夫な女の存在によって鬼女と解くのは付会された地名伝説とする説(古社寺から観た相良庄研究序説)がある。
補足すると、引用中の「気丈夫な女~」とは、強引な検地を行おうとした役人を追い返した気丈な女性がいたことから気丈→鬼女となった、という説を指します。
 
もう一つ、ここで鬼女が退治されたからという、いかにもなお話もあります(参考)。
 
つまり少なくとも3つの説がある訳ですが、正直どれもこじつけくさい。
個人的には気丈夫な女性がいたから、というのが一番マシな気がしますが他に正解があるかもしれないし、まぁよくわかんないですね。
 
『相良町神社誌』には鬼女新田開拓の歴史についてもまとめられており、文書に初めて鬼女新田と見えるのは承応3年(1654)、当時の家数三軒だったとのことです。
 
ちなみに牧之原市には女神と男神という地名もあるのでそのうち紹介します。
鬼女と女神なら女神の方がいいなぁ(適当)。