瀬門神社の一画に、白瀬氷河と南極観測船「しらせ」にその名を遺す探検家、白瀬矗(しらせ のぶ)の墓碑があります。
墓碑周辺の全景。
白瀬氏は幼いころから極地探検を志し、政府の支援が少ない中でもそれをやり遂げたという立志伝中の人で、まぁ詳しくはWikipediaでも見て下さい。
南極の地図と「大和雪原開拓者之墓」。
南極観測船「しらせ」(初代)のスクリュー。海自からの貸与品。
墓碑建立の由来。ペンギン付き。
前掲のWikipedia、またはこの由来書きを読んだら分かりますが、白瀬氏が亡くなったのはこの地ではなく現在の豊田市です。
ここにお墓があるのは、没後に家族が現在の吉良町に移り住んで瀬門神社の隣にある西林寺に埋葬したから…という、ぶっちゃけ非常に薄い縁で、生前とくに関係があったわけではなさそうです。
分骨したお墓が生家でもある秋田県の浄蓮寺にあるそうなので、そちらの方が関係が深いかなー。
南極からの帰還後も苦労をされ、没後も関係者に尋ねられるまで吉良町はここに埋葬されたことを知らなかったという事ですが、現在こうして業績が記念されています。
考えてみると、国際的な地名に名前が残るってすごいですね。