旧黄柳橋 (新城市乗本) | 手当次第

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有名な長篠の戦いの舞台の近く、宇連川(うれがわ)と黄柳川(つげがわ)の合流点に登録有形文化財である旧黄柳橋(きゅうつげばし)が掛かっています。

 

右が旧黄柳橋、左が平成6年に開通した現在の黄柳橋。
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これだけだと単なる歩行者用の橋にしか見えませんが、のぼりの立っているところから河原に下りられるようにわざわざ階段が造られています。
これは下から見てくれというメッセージ。
 
ということで下から鑑賞。アーチから伸びた長い柱が特徴的。
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えー、僕も橋の鑑賞の仕方というのはよくわかりませんのでとりあえず歴史について書くと、初代の木造に代えて大正7(1918)年にコンクリート製のアーチ橋として当時最大の30mのスパンを持つ橋として造られました。
 
このスパンでそれ以上の長さ(51.2m)の橋を架けるために、荷重を受け持つアーチと路面が離れ、その間を長い柱で支えるデザインとなっています。
 
新しい黄柳橋(アーチスパン44m)と比べると違いが分かりやすい。
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このように後の技術的進歩によってスパンが広く取れるようになると、長い柱は必要なくなり同種の形式は見られなくなったようです。
 
以上書いたことはだいたいこれをパクりました。
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この辺りだと国道153号線の伊勢神トンネル近くの郡界橋も同時期に同じ形式で建設されたものらしいです。
あっちはほとんど廃墟みたいな有様で(マニア以外には)見向きもされていませんが、旧黄柳橋は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として平成10(1998)年に文化財登録されました。
 
柱がセクシーな角度から。
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しかし完成から100年近い橋となるとスゴイと思う反面、ほんの少しですが渡るのが怖い気もしますね。
 

おまけ。
 
すぐ横の宇連川にかかる鳳来大橋。比べると素っ気ないデザインに見えてしまう。
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ちなみにこの場所から川船で吉田(現在の豊橋)との間を結んでいたことから乗本(のりもと)の地名が付いたそうですが、現在の水量からはかつて船が行き来できたとは想像もできませんね。