インドの大気汚染 | ポン助がフィリピンに来たぞ♪

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2020年に5年間のインド生活を終え、暫し日本を満喫していましたが、三度目の海外生活がスタートする事になりました。

 

 

 

モルディブ マーレをクソ エアインディアが二時間遅れで出発、深夜にデリーに戻って来ました。

 

 

先ずは遅延の為か、ボーディングブリッジに着けてもらえずバス移動。

イミグレの仏頂面でえらそーな女性係官に迎えられ、苦戦しつつも無事通過。

建物の外は白く煙って焦げ臭い悪臭。

ココ迄の一連の過程で、インドに戻ったのを実感するわー!!!

瞬時に目がウルウルしてくるしね。

 

 

4時間ほどの睡眠の後、旦那の出社の為に起床。

 

じゃん。

 

 

白いじゃん。

でも、隣の建物が見えるだけマシか?

 

 

「危険」だそうだ。

ディワリ後、Pm2.5が、1000を超えた日もあったと言うから、凄まじいね。

此処は、人間の住む環境じゃない。

 

身体への将来的な影響は、考えたくもない。(今でも具合悪いのに)

老い先短い我らは兎も角、小さなお子さん達は、この時期(11月~1月末)だけでも国外退避を強くお勧めしたい。

出稼ぎ中の旦那様は、可愛そうだが暫く一人で凌いでもらおう。

清浄で小さな肺を守る為だ。

って、皆さん諸事情があって、中々そうも出来ないようだ…。

 

 

インド政府、汚染対策の一環として、今日からデリーへの車の乗り入れ制限を試験的(11月4日~15日)に始めた。

これは、2016年にも実施された。

不便な事だけど、それが有効ならば致し方ない。

しかし、たった二週間で効果があるのか?

と言うより、一番の汚染源は、農業地帯での野焼きだというじゃん。

「ちゃんと対策しとります」ってアピールするだけの政策なんじゃないの?と疑ってしまう。

元から立たなきゃダメ!って言うよね。(←古過ぎ)

 

 

偉そうな事を言っても、かつて日本の大気汚染も深刻だった。

その歴史は、大戦前から始まり、数段階に分けられる。

私が経験し、記憶にあるのは、昭和40年代以降。

高度経済成長期、環境問題なぞどこへやらで、工場はバンバン操業。

車の増加が拍車をかけるように、汚染が広まった。

夏になると、光化学スモッグ注意報ってのが、天気予報と一緒に流れたもんだ。

 

汚染は、大気だけでなく、水質汚濁、騒音、自然破壊等多岐に及び深刻さを増していく。

イタイイタイ病や水俣病は、工場排水による公害と認定された。

 

この頃になってようやく、経済成長と環境保全とを二者択一の問題ととらえ始める。

「産業発展のためとはいえ、公害は絶対に許せない」とする国民世論が急激な高まりをみせ、公害対策に関する施策が総合的に進められる。

凡そ、半世紀ほど昔の事。

 

現在のインドが、どの段階にあるのだろうか?

今こそ、民度のレベルを示す時だと思うんだけど。

しかし、多くのインド人は貧しくて、生きるのに精いっぱいなのが現状かも。

 

ほんの昨日、飛行機の機内や空港で遭遇した、そこそこ豊かで、教養もある筈のインド人達。

上から目線で申し訳ないが、行動が余りに自分本位に見えるのは私だけ?

 

 

インド人は、困ってる人や老人、子供には、優しいという。

でも、自国が窮地に陥ってるのは、気が付いてないの???

何とか、助けてあげて欲しいもんだ。

 

 

 

【おまけ】

モルディブの景色と空気を、チビの分身も満喫。

 

 

 

 

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