夜11時。

子どもが寝て、家の中がやっと静かになって。

洗い物も、洗濯物も、明日の準備も、まあ完璧ではないけど一応終わった。

で、スマホを開く。

なんとなく家計アプリを見る。

いや、見るんじゃなかった。

残高を見る。

「あ、思ってたより減ってる」

胸が、ちょっとギュッとなる。

今日のご飯に困ってるわけじゃない。

冷蔵庫にも、まあ何かはある。

でも、数字を見た瞬間に、

「これ、大丈夫なんかな」

ってなる。

家計アプリって、開く前からちょっと怖いんですよね。

残高を見る前に、なぜか一回深呼吸する。

いや、健康診断か。

で、そっと閉じる。

チーン。

閉じる速度だけは、もはやプロ。

そのあと、なぜか副業の記事を読み始める。
 
「主婦でもできる」

「経験を発信しよう」

「家にいながら収入を作る」

「まずは小さく始めよう」
なるほど。

分かる。

で?

私は、何を書けばいいんだっけ?

ここで止まる。

お金の不安はある。

副業したい気持ちもある。

何かしなきゃとも思ってる。

でも、スマホを持ったまま指だけ止まる。

脳内がビジー。

家計アプリを閉じたはずなのに、頭の中ではまだ数字がチラチラしている。

副業記事を読んだはずなのに、なぜか前に進んだ感じがしない。

むしろ、ちょっと苦しくなる。

スマホの画面は明るいのに、気持ちはどんどん暗くなるやつ。

これ、私だけですかね。
 
お金の不安があるから、情報を探している
お金の不安で副業記事ばかり読んでしまうのは、怠けているからではないと思います。

むしろ、何とかしたいから読んでいる。

このままじゃまずいかも。

少しでも収入を増やしたい。

家計の不安を減らしたい。

子どものこともあるし、急な出費にも備えたい。

そう思うから、スマホで調べる。

副業の記事を読む。

ブログの始め方を見る。

noteで発信している人を見る。

Threadsで動いている人を見る。

でも、見れば見るほど、こう思うことがあるんですよね。
 
「ちゃんと有益なことを書かなきゃ」

「私には武器がない」

「他の人はもう進んでいる」

「こんな普通の日常を書いて、誰が読むの?」
このあたりが出てくると、一気に重い。

副業記事を読んでいたはずなのに、気づいたら自分のダメ出し会議が始まっている。

議題は、

「私、何もできなくない?」

です。

いや、夜11時に開催しないでほしい。

寝たいのよ、こっちは。

でも始まる。

「私は何ができるんだろう」

「何もないな」

「やっぱり無理かも」

って、脳内会議が終わらない。

副業記事を読んでいるのに、なぜか元気になるどころかHPが削れていく。

これがしんどい。
 
「ちゃんと稼がなきゃ」と思うほど、何も書けなくなる夜
お金の不安って、ただ数字の問題だけじゃない気がしています。

もちろん、収入や支出は大事です。

家計を見直すことも大事。

節約も、貯金も、必要なときはある。

そこを否定したいわけじゃありません。

でも、夜11時に疲れ切ってスマホを見ている側からすると、
 
「家計を見直しましょう」

「副業を始めましょう」

「まずは発信しましょう」
と言われても、正直こうなる。

「いや、分かってるんだけど」

と。

分かってる。

でも、動けない。

分かってるのに動けないから、余計にしんどい。

ここでさらに、
 
「継続が大事です」

「価値提供しましょう」

「読者の悩みに寄り添いましょう」
みたいな言葉を見ると、完璧主義がニョキニョキ顔を出す。

ちゃんと書かなきゃ。

役に立つことを書かなきゃ。

読まれることを書かなきゃ。

お金につながることを書かなきゃ。

そう思うほど、noteの真っ白な画面が重くなる。

ブログの下書き画面が、急に遠くなる。

で、また副業記事を読む。

読む。

読む。

でも、書かない。

チーン。

これが、私の中では、

「お金の不安で、副業記事ばかり読んでしまう夜」

です。

何かしなきゃと思って開いたスマホで、結局また情報だけ増える。

あるあるすぎて、しんどい。
 
お金の不安をそのまま書くと、重くなりやすい
じゃあ、お金の不安をそのまま書けばいいのかというと、そこも少しむずかしい。

たとえば、
 
「お金が不安です」

「家計がしんどいです」

「副業しなきゃと思っています」

「でも何もできていません」
これだけだと、不安日記で止まりやすい。

もちろん、そういう日があってもいいです。

吐き出すだけで少し楽になることもある。

でも、ブログやnoteで誰かに届ける記事にしたいなら、もう一歩だけ見に行きたい。

自分の不安の奥に、同じように止まっている人の悩みがないか。

ここです。

お金の不安そのものを書くんじゃなくて、

「お金の不安があるのに、何から始めればいいか分からない人」

「副業記事を読んでも、余計に焦って動けなくなる人」

「ちゃんと有益なことを書かなきゃと思うほど、一文字目が出なくなる人」

ここまで見る。

そうすると、ただの不安日記ではなく、同じところで止まっている人の入口になります。
 
いったん3つに分けて見る
前に書いた3点変換は、日常のモヤモヤをこの3つに分ける考え方です。
 
1. 出来事

2. 感情

3. 読者の悩み
今回も、これで軽く分けてみます。

たとえば、こんな夜。
 
出来事
家計アプリを開いて、口座残高を見た。

思っていたより減っていて、胸がざわついた。

そのあと副業記事を読んだけど、何を書けばいいか分からなくなった。
 
感情
このままで大丈夫かなと不安になった。

何かしなきゃと思った。

でも、すごい人の記事を読むほど、自分には武器がない気がして止まった。
 
読者の悩み
お金の不安があるのに、何から始めればいいか分からない。

副業記事を読んでも、余計に焦って動けなくなる。

「ちゃんと有益なことを書かなきゃ」と思うほど、最初の一文字が出なくなる。

こうやって分けると、少し見え方が変わります。

「お金が不安です」で終わる話ではなくなる。

「お金の不安があるから副業記事を読むのに、読むほど動けなくなる人の悩み」

として見られるようになる。

ここまで来ると、記事の入口が少し見えてきます。

たとえば、

・お金の不安で、副業記事ばかり読んでしまう夜

・副業記事を読めば読むほど、なぜか動けなくなる

・ちゃんと稼がなきゃと思うほど、何も書けなくなる夜

こういう入口になる。

もちろん、今すぐ全部を記事にしなくていいです。

むしろ、今日は記事にしなくていい。

ここ大事。
 
今日は記事にしなくていい
お金の不安があるときって、いきなり記事にしようとすると重いです。

ちゃんとまとめなきゃ。

暗くなりすぎないようにしなきゃ。

読んだ人がしんどくならないようにしなきゃ。

役に立つ形にしなきゃ。

そう考え始めると、また止まる。

脳内のタブが開きすぎて、どれを閉じればいいのか分からない。

だから今日は、記事にしなくていいです。

まずは、スマホのメモに置くだけでいい。
 
出来事

感情

読者の悩み
この3つだけ。

きれいに書かなくていい。

文章にしなくていい。

タイトルにしなくていい。

誰にも見せなくていい。

ただ、頭の中でぐちゃっとしているものを、外に置く。

家計アプリを見てざわついた。

副業記事を読んで焦った。

すごい人を見て、自分には武器がないと思った。

そのまま寝る前に抱え込むんじゃなくて、いったん分けて置く。

それだけで、ただの不安日記になる前に、一度止められます。
 
お金の不安も、記事になる前の種かもしれない
お金の不安は、できれば見たくないです。

家計アプリも、残高も、将来のことも。

できれば、そっと閉じたい。

いや、実際そっと閉じてるんですけど。

でも、その「そっと閉じた夜」の中には、同じように止まっている人の悩みが入っていることがあります。

お金が不安。

でも、何から始めればいいか分からない。

副業記事を読む。

でも、読むほど自分には無理な気がする。

ブログを書こうとする。

でも、何を書けばいいか分からない。

これ、たぶん一人だけじゃない。

だから、今日の不安を無理に前向きに変えなくていいです。

稼げる話にしなくていい。

立派な教訓にしなくていい。

「不安だから書けない」と思っていたものの中に、

もしかしたら、誰かに届く入口があるかもしれない。
 
それは、何もしていない夜じゃなくて、

本当はもう、言葉になる前の素材を拾っている夜なのかもしれません。

 

 

 

どもにちは、ぷぬこです。

昨日、ブログの下書きに一行だけ書きました。

「義母にそう言われて、ちょっとしんどかった」

で、すぐ消しました。

チーン。

いや、別に義母の悪口を書きたいわけじゃないんです。

家族をバッシングしたいわけでもない。

でも、何もなかったことにもできない。

この間に挟まって、しばらくスマホの前で止まっていました。

悪気ないのは分かってる。

たぶん、向こうもそんな深い意味で言ったわけじゃない。

でも、なんか残る。

夕方、子どもの支度をしているときも。

ご飯を出しているときも。

お風呂のあと、髪を乾かしているときも。

頭のすみっこに、ずっといる。

で、夜になってスマホを開く。

「これ、書いていいのかな」

と思う。

でも次の瞬間、もう一人の自分が言う。

「いや、ただの愚痴じゃない?」

はい、停止。

脳内がビジー。

書きたい気持ちはある。

でも、書いたら悪口になりそうで怖い。

家族のことって、近いからこそ書きにくいんですよね。

悪気ないのは分かってる。でも、なんか残る

家族の言葉って、むずかしいです。

まったく知らない人に言われたことなら、

「なんだあの人」

で終われることもある。

でも、家族だとそうはいかない。

毎日顔を合わせる。

生活がつながっている。

子どものこともある。

家の中の空気もある。

同居していたら、なおさら距離を取りにくい。

だから、単純に

「嫌なら離れればいい」

「気にしなければいい」

では片づかない。

もちろん、距離感は大事です。

境界線も大事です。

でも、現実の生活では、

「分かりました。では明日から距離を取ります」

みたいに簡単にはいかないじゃないですか。

同じ家にいる。

同じ空気の中にいる。

相手の気配もある。

言い返すほどではない。

でも、胸の奥にちょっと残る。

この「ちょっと残る」が、地味にしんどい。

大事件ではないから、誰かに言うほどでもない。

怒鳴られたわけでもないから、自分が大げさな気もする。

でも、夜になっても残っている。

この時点で、もう自分の中では何かが起きているんですよね。

家族のことは、書く前に消しやすい

私が思うに、家族のモヤモヤって、書く前に消しやすいです。

たとえば、下書きにこう書いたとします。

「義母の一言が、今日はなんかしんどかった」

ここまでは書ける。

でも、次に手が止まる。

「これ、義母の悪口にならない?」

「読んだ人に、嫌な嫁だと思われない?」

「家族のことを外に出すのって、どうなの?」

「そもそも、私が気にしすぎなだけでは?」

こうやって、書く前に消す。

公開する前に消す。

タイトルにする前に消す。

なかったことにする。

でも、消したからといって、モヤモヤが消えるわけではないんですよね。

むしろ、残る。

書かなかったモヤモヤが、頭の中でぐるぐるする。

「私は何に引っかかったんだろう」

「なんであの言葉が残ったんだろう」

「悪気ないのに、なんでこんなに疲れるんだろう」

そんな感じで、脳内ひとり反省会が始まる。

閉会時間、未定。

まじで長い。

で、スマホの前で止まる。

小さい人間だから残るわけじゃない

ここで、今日いちばん言いたいことなんですけど。

悪気ない家族の一言が夜まで残るのは、あなたが小さい人間だからではないと思います。

もちろん、自分の受け取り方が関係していることもある。

疲れていたから、強く受け取ってしまった。

余裕がなかったから、いつもより刺さった。

そういうこともあると思います。

でも、それは

「あなたが小さい」

という話とは違う。

ただ、その日は疲れていた。

いろいろ抱えていた。

すでに心の中がいっぱいだった。

そこに、家族の何気ない一言が入ってきた。

だから残った。

それだけのこともあります。

義母や家族を悪者にしたいわけじゃない。

でも、自分の中に起きた反応まで、なかったことにしなくていい。

この両方を持っていていいと思うんです。

家族を大事にしたい。

でも、モヤモヤすることもある。

悪気ないのは分かってる。

でも、なんか残る。

この曖昧なところに、ちゃんと言葉を置いていい。

私はそう思っています。

そのまま書くと愚痴になりやすい

ただし。

そのモヤモヤをそのまま書くと、愚痴になりやすいです。

たとえば、

「義母にこんなこと言われて嫌だった」

「なんでそんな言い方するの」

「私だって頑張ってるのに」

ここで止まると、出来事と感情だけになります。

もちろん、気持ちは分かる。

吐き出さないと苦しい日もある。

愚痴を言う場所が必要なときもある。

人間だもの。

ぷぬこだもの。

でも、ブログで誰かに届ける記事にするなら、もう一歩だけ見に行きたい。

それが、

「同じように家族の言葉を引きずっている人は、何に悩んでいるんだろう?」

というところです。

ここまで見ると、少し変わります。

「義母が嫌だった話」ではなく、

「家族の何気ない一言を夜まで引きずってしまう人の話」

になる。

ここが、愚痴と記事の違いだと思っています。

愚痴は、自分の出口。
記事は、読者の入口。

どちらが良い悪いではなく、役割が違う。

だから、モヤモヤを消す必要はない。

でも、そのまま投げなくてもいい。

いったん分けて見る。

ここです。

3点変換で、家族の一言をいったん分ける

前回書いた3点変換は、日常のモヤモヤをこの3つに分ける考え方でした。
 

3点変換

1. 出来事
2. 感情
3. 読者の悩み

今回は、家族の一言で見てみます。

たとえば、義母に何気なくこう言われたとします。

「そんなやり方で大丈夫なの?」

悪気はない。

たぶん、心配してくれただけ。

でも、こっちは疲れている。

子どものことも、家のことも、頭の中でいっぱいいっぱい。

その状態で言われると、なぜか刺さる。

これをそのまま書くと、

「義母にそう言われて嫌だった」

で止まりやすい。

そこで、いったん分けます。

出来事

義母に「そんなやり方で大丈夫なの?」と言われた。

感情

悪気がないのは分かる。

でも、否定されたような気がしてしんどかった。

私のやり方を信じてもらえていない感じがした。

読者の悩み

家族の何気ない一言を、夜まで引きずってしまう。

悪気がないと分かっているからこそ、モヤモヤした自分を責めてしまう。

家族を悪者にしたいわけではないのに、心に残った言葉をどう扱えばいいか分からない。

こうやって分けると、少し見え方が変わります。

義母を責める話ではなくなる。

「家族の言葉を引きずってしまう人の悩み」

として見られるようになる。

これが、記事の入口です。

書くためではなく、消す前に置く

ここで大事なのは、

「よし、すぐ記事にしよう」

ではありません。

むしろ、今日は記事にしなくていいです。

家族のことは、いきなり公開しようとすると重い。

悪口に見えないように整えなきゃ。

誰かを傷つけないように書かなきゃ。

ちゃんと価値ある記事にしなきゃ。

そう思った瞬間、リセット癖がニョキッと出る。

そして、また消す。

チーン。

だから、まずは記事にしない。

公開もしない。

タイトルにもまだしない。

消す前に、一回だけ置く。

スマホのメモでもいい。

A4の紙でもいい。

ノートの端でもいい。

この3つだけ書いてみる。

出来事

感情

読者の悩み

きれいに書かなくていいです。

文章にしなくていい。

誰にも見せなくていい。

ただ、頭の中でぐちゃっとしているものを、外に置く。

これだけです。

たとえば、こんな感じ。

出来事

義母に「そんなやり方で大丈夫なの?」と言われた。

感情

悪気がないのは分かるけど、否定されたような気がしてしんどかった。

読者の悩み

家族の何気ない一言を、夜まで引きずってしまう。

悪気がないと分かっているからこそ、モヤモヤした自分を責めてしまう。

これだけでいい。

この段階では、まだ記事じゃありません。

でも、ただの愚痴になる前に、少し距離を取れています。

自分の中で起きたことを、少しだけ外から見られるようになります。

なかったことにしなくていい

家族のことを書くのが怖いなら、すぐ公開しなくていいです。

むしろ、すぐ公開しない方がいいこともあります。

でも、なかったことにもしなくていい。

ここです。

悪気ない一言だった。

でも、残った。

それを、

「私が気にしすぎなだけ」

「こんなの書くほどじゃない」

「愚痴になるから消そう」

で終わらせなくてもいい。

そのモヤモヤは、同じように家族の言葉を引きずっている誰かに届く入口になるかもしれない。

義母や家族を悪者にしないまま、

自分の感情もなかったことにしない。

そのために、いったん分ける。

出来事。

感情。

読者の悩み。

この3つに分けるだけで、

「ああ、私は義母を責めたいんじゃなくて、こういう悩みを言葉にしたかったんだ」

と見えてくることがあります。

今日のモヤモヤを、消す前にメモしてみる

今日は、記事にしなくていいです。

家族のことをきれいに書こうとしなくていい。

義母との関係を、良い話にまとめなくていい。

無理に前向きに変換しなくていい。

まずは、消す前に置く。

これだけでいいです。

今日、もし家族の何気ない一言が残っているなら、

スマホのメモにこう書いてみる。

出来事

感情

読者の悩み

書けるところだけでいい。

読者の悩みまで出てこなかったら、

「同じような人は、何に困っているんだろう?」

とだけ書いておいてもいい。

それだけでも、モヤモヤはただの愚痴になる前に、一度止まります。

そして、もしかしたら明日の自分が見返したとき、

「あ、これは記事の入口になるかもしれない」

と思えるかもしれない。

悪気ない一言なのに、夜まで残る。

それは、あなたが小さい人間だからではない。

ただ、そこにまだ言葉になっていない感情があるだけかもしれない。

だから今日は、書かなくていい。

でも、消す前に一回だけ置いてみる。

それだけで十分です。

次回は、家計の不安や副業迷子のモヤモヤも、同じように記事の入口に変える例を書いてみます。

「こんなの愚痴になるだけ」と思ったものの中に、

実は、誰かに届く入口があるかもしれない。

そんな話でした。

じゃね〜 |)彡サッ

 

 

 

どもにちは、ぷぬこです。

 

今日、義母の一言でちょっとモヤッとしました。

 

いや、別に大事件ではないんです。

 

怒鳴られたわけでもない。

ものすごく嫌なことを言われたわけでもない。

 

ただ、なんか残った。

 

夕方、子どもの支度をしているときも。

ご飯を出しているときも。

お風呂のあと、髪を乾かしているときも。

 

頭のすみっこに、ずっといる。

 

で、夜になって思うわけです。

 

「あれ、これって記事にできるのかな?」

 

でも次の瞬間、もう一人の自分が言う。

 

「いや、ただの愚痴じゃない?」

 

チーン。

 

ここで、手が止まる。

 

書くことがないわけじゃない。

 

むしろ、ある。

 

モヤモヤはある。

引っかかりもある。

言葉にしたい気持ちもある。

 

でも、そのまま出すと愚痴になりそうで怖い。

 

これ、ブログを書こうとしている主婦には、けっこうあるんじゃないかと思います。

 

ネタがないんじゃなくて、分け方が分からないだけ

 

「ブログに何を書けばいいか分からない」

 

そう思うとき、つい自分にこう言いたくなります。

 

ネタがない。

経験がない。

人に教えられることがない。

私の日常なんて、誰が読むの。

 

でも、よく見ると、何もないわけじゃないんですよね。

 

朝から子どものことでバタバタした。

家族の一言に少し引っかかった。

家計のことを考えて、胸がギュッとなった。

副業の記事を読んで、焦った。

でも、何から始めればいいか分からなくなった。

 

これ、全部モヤモヤです。

 

つまり、素材はある。
ただ、その素材が頭の中でぐちゃっとしている。

 

脳内がビジー。

 

あれも気になる。

これも気になる。

でも、どれを記事にすればいいのか分からない。

 

だから止まる。

 

私は前、ネタがないと思っていました。

 

でも実際は、なかったんじゃなくて、記事になる前に自分で消していたんだと思います。

 

「これは愚痴だな」

「これは暗いな」

「これは誰の役にも立たないな」

 

そうやって、書く前になかったことにしていた。

 

でも、日常のモヤモヤって、そのまま出すと愚痴になりやすいだけで、素材としてはかなり強いんです。

 

なぜなら、同じところで止まっている人がいるから。

 

義母の一言が夜まで残ってしまう人。

家計の数字を見るのが怖い人。

子どものことで予定が崩れて、自分のことが後回しになる人。

副業を始めたいのに、何を書けばいいか分からない人。

 

そういう人は、たぶんいます。

 

だから必要なのは、モヤモヤをなくすことではなくて、モヤモヤをいったん分けて見ること。

 

ネタがないんじゃない。
モヤモヤを記事に変える前で、止まっているだけ。

 

ここで出てくるのが、私の中では「3点変換」です。

 

「日常を書こう」と言われても止まる理由

 

ブログの書き方を調べると、よく出てきます。

 
  • 日常を書けばいい
  • 小さな気づきを書けばいい
  • 3行でもいい
  • メモを残せばいい
 

たしかに、そうなんです。

 

正しい。

 

でも、止まっている側からすると、こうも思うんですよね。

 

「その日常の、どこを書けばいいんですか?」

 

と。

 

義母の一言でモヤッとした。

 

でも、そのまま書いたら悪口になりそう。

 

家計が不安。

 

でも、そのまま書いたら、ただの不安吐き出し日記になりそう。

 

子どものことで疲れた。

 

でも、そのまま書いたら、読んだ人が重くなりそう。

 

副業の記事を読んで焦った。

 

でも、そのまま書いたら、

 

「また私、焦ってるだけじゃん」

 

で終わりそう。

 

だから止まる。

 

何も感じていないから書けないんじゃない。

 

むしろ、感じすぎている。

 

ただ、それをどう出せばいいのか分からない。

 

ここで必要なのは、もっとネタを探すことではなくて、今あるモヤモヤをいったん分けて見ることなんじゃないかと思うんです。

 

愚痴で終わらせないための3点変換

 

3点変換といっても、難しい話ではありません。

 

日常のモヤモヤを、いったんこの3つに分けます。

 

3点変換

1. 出来事

2. 感情

3. 読者の悩み

 

この3つです。

 

今回のキモは、ここです。

 

愚痴は、出来事と感情で止まる。
記事は、そこに読者の悩みが入る。

 

たとえば、義母の一言でモヤッとしたとします。

 

そのまま書くと、

 

「義母にこんなこと言われてムカついた」

 

で終わりやすい。

 

これはこれで、気持ちは分かる。

 

分かるけど、記事として出すには少し危ない。

 

悪口っぽくなるし、読んだ人も「大変ですね」で終わる。

 

そこで、いったん分けます。

 

出来事

 

義母に何かを言われた。

 

感情

 

また否定された気がして、しんどかった。

私のやり方を信じてもらえていない感じがした。

 

読者の悩み

 

家族の何気ない一言を、夜まで引きずってしまう。

悪気がないと分かっていても、心が削られる。

でも、それを外に出すと愚痴になりそうで言えない。

 

こうやって分けると、少し見え方が変わります。

 

「義母が嫌だ」という話ではなく、

「家族の一言を夜まで引きずってしまう人の悩み」になる。

 

ここまで来ると、記事の入口が見えてきます。

 

たとえば、こんな感じです。

 

義母の一言が、夜になっても頭から離れない

悪気のない一言で、なぜこんなに疲れるんだろう

家族の言葉を引きずる夜に、私がメモしたこと

 

こうすると、読者が自分ごとにしやすくなる。

 

これが、愚痴と記事の違いだと思っています。

 

愚痴を書かないんじゃなくて、愚痴の手前で分ける

 

ここ、勘違いしたくないところです。

 

愚痴を書くな、という話ではありません。

 

モヤモヤするのは、普通です。

 

義母同居。

育児。

家計不安。

副業迷子。

 

このあたりが全部重なっていたら、そりゃモヤモヤします。

 

ニコニコだけで乗り切れるわけがない。

 

無理。

まじで無理。

 

ただ、そのモヤモヤをそのまま投稿すると、自分も後からしんどくなることがあります。

 

「あれ、私ちょっと言いすぎた?」

「これ、誰かを責めてるだけになってない?」

「結局、何を伝えたかったんだっけ?」

 

ってなる。

 

だから、書く前に一回だけ分ける。

 
  • 出来事
  • 感情
  • 読者の悩み
 

この3つに分けるだけで、モヤモヤは少し落ち着きます。

 

記事にするかどうかは、あとでいい。

 

まずは、分ける。

 

この時点で、もう一歩進んでいます。

 

今日は、記事にしなくていい

 

ここまで読んで、

 

「よし、じゃあ記事を書こう」

 

と思わなくて大丈夫です。

 

むしろ、今日は記事にしなくていいです。

 

いきなり完成形にしようとすると、また止まります。

 

リセット癖がニョキッと出ます。

 

「ちゃんと書かなきゃ」

「読まれる形にしなきゃ」

「価値ある記事にしなきゃ」

 

となって、またスマホの前でフリーズする。

 

それだと、しんどい。

 

だから今日は、メモでいいです。

 

スマホのメモに、これだけ置いてみてください。

 

出来事:

感情:

読者の悩み:

 

たとえば、

 

出来事:
義母にひと言言われて、ずっと引きずった

 

感情:
否定された気がしてしんどかった

 

読者の悩み:
悪気のない家族の一言を、夜まで引きずってしまう

 

これだけ。

 

記事にしなくていい。

タイトルにしなくていい。

きれいにまとめなくていい。

 

まずは、モヤモヤをそのまま抱えたまま寝る前に、3つに分けて置いておく。

 

それだけで、明日の自分が少し助かります。

 

モヤモヤは、記事になる前の種かもしれない

 

ネタがないと思っていた夜。

 

本当は、何もなかったわけじゃない。

 

義母の一言も、

子どもの支度も、

家計の不安も、

副業記事を読んだ後の焦りも、

 

全部、モヤモヤとして残っていた。

 

ただ、それを記事にする前に消していただけ。

 

「こんなの書くほどじゃない」

「愚痴になるからやめよう」

「誰の役にも立たない」

 

そうやって消してきただけ。

 

でも、そのモヤモヤを少し分けて見ると、同じところで止まっている誰かの悩みが見えてくることがあります。

 

それは、ただの愚痴じゃなくて、記事になる前の種かもしれない。

 

だから、今日はまず、書かなくていいです。

今日のモヤモヤをひとつだけ、
出来事、感情、読者の悩みに分けてメモしてみる。

 

それだけで十分です。

 

次回は、この3点変換を使って、日常のモヤモヤをブログの記事の入口にする例を、もう少し具体的に書いてみます。

 

「ネタがない」と思った夜に、実はもう、ネタの種は手元にあった。

 

そんな話でした。

 

 

どもにちは、ぷぬこです。

この記事は、noteにも投稿している内容です。

発達凸凹育児・義母同居・家計不安の中で、
「在宅で何か始めたい」
「でも、何を書けばいいか分からない」
と止まってしまうママ向けに書いています。


また、止まった。

noteを開いた。
SNSも開いた。
副業の記事も読んだ。

「主婦でもできる」
「経験を発信しよう」
「AIを使えば時短になる」

なるほど。
分かる。

で?

次、私は何をすればいいんだっけ?

ここで手が止まる。

副業迷子、爆誕です。

 

夜11時。

 

子どもを寝かしつけて、やっと静かになったころ。

洗濯物はまだ畳めてない。
シンクにはコップが残ってる。
明日の学校の準備も、ちょっとだけ気になる。

義母のいるリビングをなんとなく避けて、
ソファの端に座ってスマホを開く。

家計アプリを見て、
そっと閉じる。

チーン。

「何か始めなきゃ」
「このままじゃまずい」
「でも、何から?」

そう思ってnoteを開く。

でも、いざ書こうとすると、
何を書けばいいのか分からない。

これ、私だけじゃないと思うんですけど。

 

ネタがない、と思ってしまう夜

 

在宅で何か始めたい。

でも、特別なスキルがあるわけじゃない。
すごい実績があるわけでもない。
人に教えられることなんて、ある気がしない。

そうなると、発信する前から止まるんですよね。

「私なんかが書いても意味ある?」
「ただの愚痴にならない?」
「こんな生活の話、お金につながるわけないよね?」

で、スマホを閉じる。

寝る。

寝るんかいっ。

いや、でも寝るしかない夜もある。
脳みそ、もう閉店してるから。

 

ただ、ここでひとつだけ見方を変えたいんです。

 

ネタがないんじゃない。

たぶん、ネタはある。

子どもの癇癪。
義母の何気ない一言。
夕方のバタバタ。
家計の不安。
スマホを開いたまま止まった5分間。

材料は、ある。

あるんだけど、料理の仕方が分からん。

冷蔵庫に材料はパンパンにあるのに、
献立が決まらなくて立ち尽くしてる感じ。

「で、これで何作るん?」

みたいな。

発信も、たぶんそれに近いです。

 


 

モヤモヤはネタになる。でも、そのままでは届きにくい

前回までの記事で、
日常のモヤモヤも発信ネタになる、という話を書きました。

これは本当にそう。

義母の一言にモヤッとしたこと。
子どもの寝かしつけ後に何もできなかったこと。
家計を見て焦ったこと。
副業の記事を読みすぎて、逆に分からなくなったこと。

こういう日常の中に、
ちゃんと素材はあります。

 

でも。

 

ここ、ちょっと現実的な話をします。

モヤモヤはネタになります。

でも、モヤモヤを書いただけでは、
お金にはなりません。

ここを曖昧にすると、

「書いてるのに読まれない」
「読まれても売れない」
「結局、何のために書いてるんだっけ?」

になりやすい。

過去の私も、ここで迷子になりました。

 

日常を書けばいいんだ。
経験を書けばいいんだ。
私のリアルを書けばいいんだ。

 

そう思って書く。

でも、読者からすると、
ただの「今日あったこと」で終わってしまうことがある。

もちろん、日記が悪いわけじゃないです。

吐き出さないと無理な日もある。
書かないと自分が保てない日もある。
それはそれで大事。

 

でも、発信を
「小さく売れる流れ」につなげたいなら、
モヤモヤをそのまま置くだけでは足りないんですよね。

 

必要なのは、
自分のモヤモヤを、読者の悩みに変換すること。

ここです。

 


 

「私の話」と「読者の話」は、ちょっと違う

たとえば、義母に言われた一言でモヤッとしたとします。

そのまま書くと、

今日、義母にこんなことを言われて嫌だった

になります。

これは、私の話です。

もちろん、共感してくれる人もいると思います。

でも、それだけだと、
読者はこうなることがあります。

「大変そうだな」
「うちもあるな」
「で、私はどう見ればいいんだろう?」

ここで止まる。

 

一方で、同じ出来事でも、
少し変換するとこうなります。

 

家の中に気を遣う相手がいると、
自分の本音を後回しにしてしまう

こうなると、読者は自分の話として受け取りやすくなる。

「あ、それ私だ」
「だから疲れてたのか」
「私が動けない理由って、気力不足だけじゃなかったのかも」

となる。

この違い、地味だけど大きいです。

 

要はね、
モヤモヤを消す必要はないんです。

 

むしろ、そこが素材。

ただ、その素材を
読者が受け取れる言葉に変える必要がある。

ここを飛ばすと、
発信は「私の話」で止まりやすい。

ここを通せると、
同じ出来事が「読者の話」に変わっていく。

 


 

副業が続かないのは、やる気不足だけじゃない

副業が続かないと、
すぐ自分を責めたくなります。

「また続かなかった」
「私って根性ない」
「みんなはちゃんとやってるのに」

でも、発達凸凹育児をしながら、
義母同居の空気も気にして、
家計の不安も抱えている状態で、
毎日きれいに前向きに頑張るって、普通にむずいです。

無理オブ無理の日、ある。

夜11時に、
「さあ、今日も価値提供しよう!」
とか言われても、

いや、今こっちは洗濯物と家計と明日の準備で脳内大渋滞なんですが?

ってなるじゃないですか。

 

だから、続かない原因を
全部やる気のせいにしなくていい。

 

もちろん、行動は必要です。

でも、行動の前に、
「何をどう書けば読者に届くのか」が分からなければ、手は止まります。

日常はある。
感情もある。
経験もある。

でも、それを価値に変える道筋がない。

だから止まる。

ネタ不足というより、
変換不足。

ここなんだと思います。

 


 

日常を価値に変えるには、型がいる

たとえば、家計アプリを見て落ち込んだ話。

そのままだと、

今月もお金がきつい

で終わる。

でも、読者の悩みに変えると、

家計が不安なのに、何から始めればいいか分からず止まってしまう

になるかもしれない。

 

子どもの寝かしつけ後にスマホを開いて止まった話。

 

そのままだと、

今日も何もできなかった

で終わる。

でも、読者の悩みに変えると、

時間がないママほど、最初の一歩が重くなる

になるかもしれない。

 

義母の一言にモヤッとした話。

 

そのままだと、

義母に言われて嫌だった

で終わる。

でも、読者の悩みに変えると、

家の中で気を遣いすぎて、自分のやりたいことを後回しにしてしまう

になるかもしれない。

 

これ、全部同じ日常です。

 

でも、見え方が変わる。

ただの出来事から、
読者の悩みになる。

この変換ができると、
日常はただの消耗で終わらなくなります。

もちろん、すぐに何かが売れるとか、
そんな簡単な話ではないです。

そこは盛らない。

でも、少なくとも、
「何を書けばいいか分からない」は少し減ります。

自分の生活の中から、
読者に届く入口を見つけやすくなる。

 


 

書けばいい、だけでは足りなかった

市場ではよく言われます。

「noteを書こう」
「経験を発信しよう」
「AIを使おう」
「主婦でも副業できる」

うん。

それ自体は、間違ってないと思います。

でも、その前に必要なことがある。

それが、

自分のモヤモヤを、読者の悩みに変換すること。

ここがないまま書き続けると、
だんだん苦しくなるんですよね。

書いてるのに、届いてる感じがしない。
読まれても、次につながらない。
そもそも、何のために書いてるのか分からなくなる。

で、また止まる。

副業迷子、再来。

おかえり。
いや、帰ってこんでいい。

だからこそ、
ただ「書こう」ではなく、
「どう変換するか」を持っておきたいんです。

 


 

ネタがないんじゃない

ネタがないんじゃない。

毎日の中に、素材はもうある。

発達凸凹育児の中で感じたこと。
義母同居の中で飲み込んだ言葉。
家計の不安で胃が重くなる夜。
在宅で何か始めたいのに、スマホの前で止まる時間。

そこには、ちゃんと素材があります。

ただ、それをそのまま出すと、
日記か愚痴で止まりやすい。

必要なのは、
モヤモヤを消すことじゃない。

読者の悩みに変換する型。

愚痴をきれいに隠すための型じゃなくて、
同じように止まっている誰かに届く言葉へ変えるための型。

私は、ここが分からなかったから、
ずっと「何を書けばいいんだろう」と止まっていました。

でも今は少し思います。

書くことがないんじゃなかった。

変換の仕方を知らなかっただけなんだな、と。

 


 

次回は「3点変換」について書きます

次回は、日常のモヤモヤを読者の悩みに変える
「3点変換」について書きます。

具体的なテンプレートや実例は次回に回します。

今日はまず、ここだけ持って帰ってください。

ネタがないんじゃない。

日常のモヤモヤを、
読者の悩みに変換する型がないだけ。

今日のモヤモヤも、
誰かに届く言葉になる前の素材かもしれません。

もしまた書けない夜が来たら、
「私は何も持ってない」じゃなくて、

これは、誰のどんな悩みに変えられるんだろう?

って、少しだけ見てみてください。

この問いを思い出せるだけで、
次にnoteを開いたとき、
ただの愚痴で止まらずに済むかもしれません。

また迷ったときに戻れるように、
保存しておくと使いやすいと思います。

次回、ここをもう少し具体的に書きます。

じゃね〜 |)彡サッ

 

夜、スマホを開いたまま止まる日がある

どもにちは、ぷぬこです。

夜、子どものことが終わって。

洗い物もして。

洗濯物もなんとなく片づけて。

明日の準備も、最低限だけやって。

やっと座れた。

で、スマホを開く。

アメブロも開く。

「今日こそ、何か書こうかな」

そう思っていたはずなのに。

画面を見たまま、止まる。

指が動かない。

頭の中では、昼間に言われた一言が、まだ再生されている。

義母に言われた一言。

旦那に言われた一言。

家族の、何気ない一言。

たぶん、相手はそこまで深く考えて言ったわけじゃない。

それは分かってる。

分かってるんだけど。

なんか、引っかかる。

ずっと、引っかかる。

夜になっても消えない。

子どもが寝たあとも。

部屋が静かになったあとも。

スマホの画面だけが明るくて、

自分の中だけ、まだザラザラしている。

これ、私だけじゃないと思うんですけど。

「なんであんな言い方されたんだろう」

「私の受け取り方が悪かったのかな」

「でも、あれ普通に傷つくよね」

「いや、でも悪気はないんだろうな」

「じゃあ、私が気にしすぎなのか?」

みたいな。

脳内ひとり反省会、開幕。

しかも長い。

閉会時間、未定。

まじでしんどいんですよね。


モヤモヤしてる自分を、
さらに責めてしまう

こういうとき、

モヤモヤしていること自体にも疲れるんですよ。

本当は、もう考えたくない。

でも、勝手に思い出す。

本当は、気にしない人になりたい。

でも、気にしてしまう。

本当は、さらっと流したい。

でも、流せない。

で、最後には、

「こんなことでモヤモヤしてる私が小さいのかな」

って、自分に返ってくる。

これがまた、きつい。

義母に何か言われたことよりも、

そのあと自分の中で始まる反省会の方が、じわじわ削ってくる。

昼間の一言が、夜まで残って。

夜のモヤモヤが、自己嫌悪に変わって。

自己嫌悪のままスマホを開いて。

でも、書けない。

そりゃ止まるよね、って思うんです。

夜11時に、家のことも子どものことも終わらせたあとで、

「はい、じゃあ前向きに発信しましょう」

は、まあまあ無茶です。

無茶でっせ。

こっちは、すでに賽の河原で石積みしてきたあとなんよ。

積んだそばから崩れる家事。

やっと寝たと思ったら起きる子ども。

気を抜いた瞬間に飛んでくる家族の一言。

家計のことも、頭の隅にある。

「このままでいいのかな」もある。

でも、今すぐ何かを変える体力はない。

そんな状態でスマホを開いて、

「で?次どうすればいいんだっけ?」

ってなる。

そりゃ、フリーズする。


「距離感を整えよう」だけでは、
まだ遠い

義母との関係でモヤモヤしたとき、

よく言われるのは、

「距離感を整えましょう」

「境界線を引きましょう」

「気にしすぎないようにしましょう」

みたいな話だと思います。

もちろん、それも大事。

まじで大事。

でも、ぶっちゃけ。

同居していたり、

家族の空気を読まないといけなかったり、

子どものことで手一杯だったりすると、

そんなに簡単に距離なんて取れないじゃないですか。

物理的に近い。

生活が絡んでる。

子どももいる。

お金の不安もある。

家の中の空気もある。

「距離を取りましょう」

って言われても、

いや、同じ家にいますが?

ってなることもある。

もちろん、心の距離を取るという意味なのは分かる。

分かるんだけど。

その前に、まず必要なのは、

自分の中で何が起きているのかを、ちゃんと言葉にすることだと思うんです。

いきなり解決しなくていい。

いきなり許さなくていい。

いきなり前向きに変換しなくていい。

まずは、

「あの一言で、私は何に引っかかったんだろう」

って見る。

ここなんですよね。


モヤモヤは、
ただの愚痴で終わらせなくていい

ここで、今日いちばん言いたいことなんですけど。

義母や家族へのモヤモヤって、

そのまま吐き出すと、ただの愚痴になります。

「あんなこと言われた」

「ほんと無理」

「なんで私ばっかり」

これはこれで、吐き出す場所が必要なときもある。

人間だもの。

ぷぬこだもの。

でも、発信にするときは、

そのまま出すと、ちょっと危うい。

義母の悪口だけで終わってしまう。

読んだ人も、

「分かるけど、で、どうしたらいいんだろう」

となる。

そして書いた自分も、

あとから少ししんどくなる。

じゃあ、モヤモヤは書かない方がいいのか。

私は、そうは思っていません。

むしろ逆で。

モヤモヤは、発信ネタの入口になります。

ただし、そのまま出すんじゃなくて、

奥にある感情を見にいく。

ここが大事。

「義母がムカつく」

で止めるんじゃなくて、

「私は、何を分かってほしかったんだろう」

「どの言葉に、なぜ引っかかったんだろう」

「これ、同じように飲み込んでいる人がいるんじゃないかな」

って見る。

すると、ただの愚痴が、

読者の感情を代弁する文章に変わっていく。

ここが、愚痴と発信ネタの違いだと思っています。


愚痴は、自分の出口。
発信ネタは、読者への入口。

愚痴が悪いわけじゃないです。

愚痴は、たぶん必要。

ずっと飲み込んでいたら、普通にしんどい。

じわじわ死んでる感じになる。

でも、発信として出すなら、

自分の出口だけで終わらせない方がいい。

愚痴は、自分の中に溜まったものを出す行為。

発信ネタは、読者が自分の感情に気づく入口。

この違いがあると思うんです。

たとえば、

「義母にこんなこと言われて腹が立った」

だけだと、自分の話で終わりやすい。

でも、

「何気ない一言なのに、夜になっても頭から離れないことってありませんか?」

から始めると、

読者の中にも入口ができます。

「あ、私のことかも」

「私もそれ、飲み込んでた」

「言い返せなかったけど、ずっと残ってた」

って。

要はね。

自分の出来事を、

自分だけの出来事で終わらせない。

そこから、

同じように飲み込んでいる人の感情を拾いにいく。

これが、日常を発信ネタに変えるということだと思うんです。


生活の違和感は、
ちゃんと記事の入口になる

発信ネタって聞くと、

何か役に立つことを書かなきゃ。

ノウハウを書かなきゃ。

ちゃんとした学びを書かなきゃ。

って思いやすい。

でも、夜11時にスマホの前で止まっている人に、

いきなり立派なノウハウを書けと言われても、

まあ、無理です。

少なくとも私は無理です。

無理オブ無理。

でも、

今日あった違和感なら、残せることがある。

昼間の一言。

家族の空気。

言い返せなかった自分。

夜になっても残るザラつき。

「なんでこんなに引っかかってるんだろう」

という問い。

このあたりは、発信の入口になります。

なぜなら、読者も同じような違和感を抱えているから。

しかも、その違和感に名前をつけられていないことが多い。

「私が気にしすぎなのかな」

「こんなの書いても、ただの愚痴だよな」

「誰かに言うほどでもないしな」

そうやって、飲み込んでいる。

だからこそ、そこに言葉を置くと、

届く人がいる。

発信って、すごいことを書くことだけじゃない。

自分が見ている世界を、

自分の言葉でナビゲートすることでもある。

「このモヤモヤ、ここにあるよね」

「これ、ただのワガママじゃないよね」

「同じように感じてる人、たぶんいるよね」

そうやって、読者が自分の感情を見つけるための目印を置く。

これも、ちゃんと発信なんですよね。


ただし、
感情をそのまま投げない

ここで大事なのが、

モヤモヤをそのまま投げないこと。

ここを間違えると、

本当にただの義母批判になってしまう。

それはそれで一瞬スッキリするかもしれないけど、

読者に残るものが少なくなる。

そして、書いた自分もあとから苦しくなりやすい。

だから、私はこう考えています。

モヤモヤは、素材。

そのまま出すものではなく、

一度、自分の中で見つめるもの。

「何が嫌だったのか」

「どんな感情が動いたのか」

「同じような人は、どこで苦しくなるのか」

このあたりを見る。

ここに、発信に変えるための“変換”が必要になります。

ただ、今日は具体的なテンプレートまでは書きません。

ここを書きすぎると、たぶん長くなる。

そして私も、説明しすぎて急に先生っぽくなる。

それはちょっと違う。

今日はまず、

モヤモヤは、ただの愚痴で終わらせなくていい。

読者の感情に変換すれば、発信ネタになる。

ここだけ持って帰ってもらえたらいいかなと思っています。


迷いが少し減るだけでも、
次に戻りやすくなる

発信って、

何かを教えることだと思うと、

急にハードルが上がるんですよね。

ちゃんとした知識が必要。

正しいことを書かなきゃ。

役に立たなきゃ。

そう思うと、またスマホの前で止まる。

でも、今日の段階では、

そこまで大きく考えなくていいと思っています。

読者に渡すものは、

立派な答えだけじゃない。

「私だけじゃなかった」

「これはただの愚痴じゃなくて、言葉にしていい感情だった」

「まずは、このモヤモヤを見ればいいんだ」

そう思えるだけでも、

読者の迷いは少し減る。

義母との関係を今すぐ変える記事じゃなくてもいい。

家族との問題を一発で解決する記事じゃなくてもいい。

今日の記事の役割は、

「モヤモヤして終わり」

「自己嫌悪して終わり」

「また何も書けなかったで終わり」

その流れを、少しだけ変えること。

モヤモヤした夜に、

「あ、これって記事の入口になるかもしれない」

と思えるだけで、

その夜の意味が、少し変わる。

何もできなかった夜じゃなくなる。


次回は、モヤモヤを
記事の入口に変える話をします

義母に言われた一言。

家族の何気ない言葉。

夜になっても消えないザラつき。

ひとり反省会。

スマホを開いたまま止まる時間。

それらは、全部ただのムダではないです。

もちろん、しんどい。

できれば味わいたくない。

でも、そこに自分の本音がある。

そして、その本音は、

同じように飲み込んでいる誰かの感情を代弁する入口になる。

だから、モヤモヤした自分を責めなくていい。

ただし、モヤモヤをそのまま投げるだけだと、ちょっともったいない。

発信に変えるには、

自分の出来事を、

読者の感情に変換する必要があります。

次回は、ここをもう少し具体的に書きます。

モヤモヤをただの愚痴で終わらせず、

記事の入口に変える「3点変換」について。

今日はまず、

「あのモヤモヤ、書いていいんだ」

「でも、そのまま愚痴で出すんじゃなくて、読者の感情に変えるんだ」

ここまでで大丈夫です。

また夜、スマホの前で止まったときに、

この話を思い出してもらえたらうれしいです。

じゃね〜 |)彡サッ