今日は、ナリクロ目線のブログだよ。
(ナリクロとは、ナリ真理学講座受講生の愛称)
ナリ真理学講座の新年会シリーズ
最後の締めは、
(まだシリーズ終わっていなかったw)
私は、負けないみもちゃんが\好きだ/
私の自慢は。
みもちゃんの4日後に生まれていること。笑
1988年3月まで同じ。同じ魚座。いいだろう?
私は、好きな人を観察する癖があるのだがw
新年会ではみもちゃんの裏の顔を目撃👁️した。
なつみは見たわよ[壁]ω・`)チラリ…..
みもちゃんの裏の顔。
どうぞ変態メガネを通した、
ナリ心理学アドバイザーみもちゃんのお話
エンタメとしてお楽しみください。
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みもちゃんは、ナリの小部屋が円滑に進むように、すずみりさんとサポートしてくれていた。
(ナリの小部屋とは、、、
ナリ真理学講座受講生とナリくんが直接話せるように、設けてくれた時間)
(運営さんほんとすげーな、ありがとう)
私は57番。生ナリを見る機会を、小部屋からすぐ近くのテーブルで、ナリクロ友と会話をしながら、いまかいまかと待っていた。
すると!!!!!!
小部屋の前が騒がしくなった。
2.3歩近づいて見てみると、
苦しそうにしている女性、
その後ろから抱きしめるように胃を圧迫している人がいた。
数秒後、その女性は、喉につまった何かを吐いて床にへたへたと座り込む。
「はじめて死ぬかと思った〜」
私は目の前で起きている出来事に
脳内の整理が追いつかず、呆然としていた。
お店の人がくる。
「あとはこちらで片付けますので」
非常に冷静な方で、なぜか私も安堵する。
その場の空気も安堵感につつまれ、静かになった。
その直後だ。
みもちゃんが、床にへたれこんでいる女性の脇に座り込む。そして、さっとおしぼりで女性の口を拭った。みもちゃんは無言だった。みもちゃんの顔は心配そうな顔だった。
私は震えた。
無言で、床にへたれこんだ人の口を拭う。
いやらしさが一つもない。迷いもない。
清潔なストレートな優しさを目の当たりにして震えた。
みもちゃんの優しさは、
子供が転んでしまった時に、
まず、心配そうに覗き込み、
そのあと笑って抱き上げる“母親”を連想させた。
当時の私はまだ「好きな人の時間を奪ってはいけない」前提を強く握りしめていた。
オフ会で会ったことのある
味噌、チームアイナには声をかけられた。
初めてお会いするアドバイザーさんには
遠くから見ているのが精一杯で、
声をかけられなかった。
ナリくんと記念撮影できる列にも並べなかった。
私が話しかける時間、私が話しかけなければ、アドバイザーさんやナリくんは休める。休んで欲しい。
(当時は本気でそう思ってた)
(自己犠牲の母の生き写し)
自己犠牲=他人に優しくするフリで「我慢」という名の自分への暴力をすること。
他人を使って、自分が主体的に動かなくていい理由をつくる。突き詰めると、勇気がないだけ。
自分の人生を、自分で決めて、自分で責任を取る勇気がない。
勇気がないことを他人を使って、正当化している。
自己正当化が癖になっている私が、
みもちゃんの優しさを目の当たりにした直後、気がついたらみもちゃんに話しかけていた。
私は一生懸命話した。
さっきの、みもちゃんの優しさに感動したこと。
講座開始当初、ナチュラルボーンのみもちゃんに見上げるジャッジがすごかったこと。
みもちゃんに憧れつつ、怖いと感じていたこと。
そんな私が、今日みもちゃんに話しかけたこと。
今、会話をしているみもちゃんからブログの雰囲気も感じられて、楽しいこと。
いつもより声を張って、
一生懸命、一生懸命、伝えた。
私は声が小さくてくぐもっているから、聞こえるか不安もあったから。
みもちゃんは、綺麗な目で、真っ直ぐこちらをみて、鼻にかかった甘い声で「嬉しい〜〜」と喜んでくれた。
喜んでいるみもちゃんを見たら
「あぁ、勇気を出して、みもちゃんに話しかけてよかった」と思った。
その時も、帰ってからも、今もそう思っている。
勇気を出してよかった。
みもちゃんの優しさは、人を巻き込む不思議な魔力がある。気がついたら動いてしまっているのだ。
人の思考を停止させて、動かしてしまう
不思議な不思議な愛の力。
ヤンキーキャラのみもちゃんの裏の顔。
繊細で細やかな優しさがあった。
でも優しいだけじゃない。
ブログを読むと、棘もある面白さ。
まるで薔薇だ。
情熱の真っ赤な薔薇。
赤い薔薇の花言葉は「愛情」と「美」
本数でも花言葉が変わるらしい。薔薇は奥深い。