ご訪問ありがとうございます
先日、15年ほど前
海外に長年暮らしていた頃
5歳の子どもとオットを残して
わたしだけ日本へ
3ヶ月間働きに行った時の話を
ブログにあげました
子どもの世話をパパに任せることに
なぜ罪悪感がなかったのか?
そのことについて考えてみました
自由でいたい
概念に縛られたくない
というのはデフォルトとして常にあるものの
もう疑問にも思わず
こうあるのが当たり前
っていうことって
たくさんありますよね
子どもの世話は母親がする
父親は子どもの世話が出来ない
これもかつて当たり前と思っていたことの
ひとつです
わたしは昭和世代なので
男女対等が叫ばれるようになったのは
働くようになってしばらくしてからのこと
勤め始めた90年代後半は
まだまだ、女性は一般職で
寿退社がスタンダードでした
これってもう死語⁈
そんなわたしの学生時代は当然まだまだ
専業主婦のお母さんが多かったし
わたしの母もそうでした
母が家にいるのが当たり前でした
そんな時代、90年代はじめ頃
中学の修学旅行がありました
引率先生のひとりはまだ20代半ば
出産後、育休から復帰したばかりでした
修学旅行なので当然宿泊しています
同級生のひとりがその先生に
赤ちゃんはパパとお留守番?
えーーーー!
ママが居なくて可哀想!
といいました
わたしも同じように思いました
周りにいた同級生もみんな頷きます
この時代
子どもはママとセット
というのが当たり前だったので
何の疑問も持ちませんでした
それに対してその先生は
あら、なんで可哀想なの?
2人の子供なのだから
2人で育てるのが当たり前よ
ちっとも可哀想じゃないのよ
今頃パパと楽しくやってるわよ
サラッとニコニコ答えたのです
めちゃくちゃ衝撃でした
たしかに
全然子ども可哀想じゃない
うちの父みたいに
子どもの世話は母に丸投げ〜
っていう人とさえ結婚しなければ
仕事も子育ても一緒にできるんだ
目の前がブワーっと
明るくなりました
頭に落雷のような衝撃
中高6年間この先生にはとてもお世話になり
とーっても憧れて影響を多々に受けました
普段から先生のいろんな意見を
話してくれたのですが
いつも非常にリベラルで
女だからって我慢しなくていいのよ
というのがベースにある
柔らかなフェミニスト
強い女でゴリゴリ自己主張いうよりは
柔らかな雰囲気で可愛らしくて
品があるのにリベラルな先生に
強烈に憧れました
当時まだまだこういった発想は斬新でした
でも、そういった話を母にすると
母は否定することはなく
いいわね、カッコいいわね〜
というとても好意的な反応
そもそも母はわたしに
女の子らしく
お姉ちゃんなんだから
そういったことを一切言わない人でした
自分が言われて嫌だったから言わない
そう言っていました
父からは女の子らしくと多少言われた気がしますが
日常ほぼいないのでスルーです笑
母が子供の頃、そう言われて
反省して気をつけた
ということではなく
すごく嫌だっただから
我が子には言わないと決めた
というのが母らしい
さすが母わたしも言われたら
同じくすごく嫌だろうなー
そう考えると
フェミニズムやリベラルな
わたしの思考というのは
母の中にもあったということ
母がそういったことを声高に
主張していたことはないけれど
思想的にはあったのでしょう
女だから
母だから
妻だから
女らしく
母らしく
妻らしく
というのをわたしの脳内地図に
書き込まなかったからです
わたしがオットと子どもの父子生活に対して
何の罪悪感も自分責めもなかったのは
元々の概念として
母子ニコイチ思想がなかった
というのが答えなようです
それに加えて思春期の頃に
フェミニズムやリベラルな
思想への憧れや意志が
ガッツリ自分の中に入った
そのあと更に
出産し子育てした欧州で
実際にリベラルな世界を
目の当たりにして
それがスタンダードな世界に
身を置くことで
フェミニズムやリベラルが
単に憧れだけでなく
自分の中に確立した
ということなのでした
書いてみたら
段階的に自分の中でどのように
確立していったのかが
クリアになりました
憧れの先生は夫婦別姓派でもありました
この点でも大きく影響を受けている話は
次回に綴ります_φ(・_・