胆沢城跡 奥州市埋蔵文化財調査センター | ぽんぽこぽん の B級 放浪記(神社 街歩き グルメ) by ponpokopong

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胆沢城跡へ向かう前、地元のスーパーへ立ち寄りました。
 
四国でこんなもん絶対見ない(笑)
 

 

 

驚いたのは他にも

 

味噌を単位で売ってる

 

樽をどのくらいの期間で消費するのかなあ?

保存場所はどこ(冷蔵庫?)

スペースあるんだろうか?

 

あと写真はないけど漬物が安いね(笑)

 

旅先のスーパーでの観察は楽しいな

 

 

胆沢城跡へやってきました。

 

隣接して、奥州市埋蔵文化財調査センターがあります。

 

 

802年に坂上田村麻呂が胆沢城(城柵)を築き、およそ150年鎮守府としてあったそうです。

 

 

城柵は大和朝廷が本州の東北部、蝦夷の居住地域に支配を及ぼすための拠点であるため、西日本では馴染みが薄く、私は城柵には初めての訪問

 

 

 

城の規模は一辺約670メートルの方形と広大です。

 

 

 

当初ここを訪れる予定がなかったため、残念ながら端から端まで見る時間がありませんでした💦

 

ほんと広いです。

 

 

 

image築地

 

築地と呼ばれる塀

 

幅2.4メートル、高さ3.9メートル、けっこう大きい

 

 

 

総延長2.7キロメートルの築地が胆沢城を囲んでいました。

 

 

 

 

 

 

阿弖流爲(アテルイ)

 

 

アテルイは、北上川流域一帯を支配していた蝦夷の族長

789年大和朝廷軍、征東将軍 紀古佐美軍に対象するなど奮戦しましたが、802年、征夷大将軍坂上田村麻呂に降伏し、その後、河内国で処刑されました。

 

 

 

アテルイの死後、朝廷は東北に関東からの移民を送り込むとともに、蝦夷を内国に移住させる政策を取ります。

 

陸奥、出羽などから移住した蝦夷は最南端は種子島まで広い範囲に移住しています。

 

 

 

恥ずかしながら今まで全く知らなかったことが多数あり、すごく勉強をさせてもらいました。💦