先週の月曜日の話。

 

愚息は朝からどっかに行き、嫁も推し活仲間とどっかに行った。

家には僕とチビが取り残された。

 

そして「どこかに連れていけ」とチビが言う。

「どこってどこ???」と聞いても「どこか」


ぐだぐだカップルの「どこ行く?」「どこでもいい~。」みたいなしょうもない会話である。

 

で、「んじゃ舞鶴いくか?」

 

チビ、中学に入るとミリタリー系のオタクへと変貌しましてね。

特にネイビーの方。


その昔、愚息がチビだったころに舞鶴のふるるファームってとこに行きましてね。

その帰りに港の方を通ったら自衛隊さんがなんかやってましてね。

で、ふらっと立ち寄ったらイージス艦のあたごに乗せてもらいまして。

あ~あんなことがあったなぁなんて思い出して、んじゃ舞鶴行っとくかと相成った次第である。

 

で、中国道→舞鶴若狭道を走ること約1時間半。

舞鶴にと~ちゃこ。
駐車場のすぐ裏手には海。
吊り橋ですな。
引揚記念公園。
おっ、岸壁の母。
家政婦になる前の市原悦子が演じていた。
あ、映画にもなったのね。
ここ舞鶴はね、戦後の引き上げ港として多くの引き上げ船が入港した。
何万人の人たちがここ舞鶴で祖国の一歩を踏んだのである。
おっ、
昔はこんな感じだったのね。
展望台。
あ~さっきの絵のところだな。
桟橋は二つあったのね。
おぉ~絵と同じ。
引揚援護局の跡地はチップ工場になっている模様。
桟橋をズーム。
今回の記事、画像はすべてスマホのカメラ。
画質悪し・・・。
ここに引揚船が入港していたんだなぁ。
そうか。
ここに66万人の人々が帰ってきたのか。
あそこに見えるのが北側の桟橋だろうか???
しかしこの湾内にニョキニョキ生えてる杭は何なんだろう???
碑の写真はないけど、援護局とはこういう仕事をしていたらしい。
 
 
引揚記念公園をあとにし
引揚記念館へと向かった。  続く