先日の記事の件でフォロワーの方から情報を頂いた。

 

満願寺のお蕎麦屋さんで使われていたお蕎麦の産地、富山県八尾町。

これね、「やつお」町と読むらしい。関西在住の人は10人中10人が「やお」と読むに違いない。大阪に八尾(やお)市というのがあり完全にそっちに引っ張られる。

八尾市は近鉄大阪線と大和路線こと関西本線が走る街であり空港もある。

八尾空港というんだがちっこい空港。東京でいうところの調布飛行場みたいなもん。ただし調布のように定期便の就航はない。

 

で、その八尾町だがおわら風の盆が行われている地らしい。僕は名前だけしか知らないんだがあの踊るやつである。見たことがないのでわからんのだが郡上踊りみたいな感じ?全然違ってたらごめんなさい。

 

引退間近のキハ85系の特急ひだが全便停車する駅もあるらしい。高山本線だ。

しかし僕はひだに乗っても高山で降りてしまうのでひだでは通っていない。残念。

 

僕自身、高山線を全線乗り通したのは1回だけ。JR全線乗り潰しの一環で通ったはずなんだが全く記憶がない。ただし、いつ乗ったのかははっきり覚えている。1999年の12月のことである。

なんで覚えているかというと・・・前に一度ブログでも書いたと思うんだがその時事件が起こったからである。

 

あの時僕は大学4年生。年末年始に名古屋から鹿児島の佐多岬を目指して18きっぷの旅に出たのである。

その初日、名古屋を出発して未乗線だった高山線と富山港線を乗り潰そうと日本海を目指した。

無事高山線を乗り潰し、富山港線にも乗った。そして終点の岩瀬浜に到着した時のことである。

改札を出ようとケツのポケットから財布を出そうとした。すると「あれ???ない!!!」

ポケットというポケットを弄り散らし、ザックも隅から隅まで見たけどない!!!もうパニックである。

財布の中には10日分の旅費と青春18きっぷが2冊、あと運転免許とかキャッシュカードとかクレジットカードとか絶対になくしちゃいけないものがたくさん入っていた。それを一瞬で失ってしまい日本海を目の前に呆然と立ち尽くしてしまった。

 

そこからは富山駅まで戻り、駅員氏に財布を無くした旨を伝えるも落とし物の届け出は無し。そりゃそうだ。せわしない年末年始にあんな何万も入った財布が転がっているのである。拾った人は「おお神よ!こんな私にありがとう!!!世の中すべてにありがとう!犬にも猫にもありがとう!!!」って感じだったろう。「一足早い年末ジャンボやで」とか思ったかもしれない。

 

友達はおろか知り合いすらいない北陸の地、富山の駅でハニワ顔で立ち尽くす・・・。

あまりにかわいそうな僕は改札氏から無賃で出場することを許された。しかしそんな北国でほっぽり出されても僕はただ途方に暮れるだけ。

 

しかしふと「警察行ってみよ」と思った。そうだ、市民の味方警察官ならかわいそすぎる僕に電車賃を貸してくれるはず!

誰がどう考えても今の僕はかわしそすぎるはずだ。あはれなり。いとあはれなりである。←使い方間違ってます

そう考えると元気が出てきた。そして意気揚々と交番を訪ねる。「たのもぉ~!!!金貸してくれい!!!」

しかし・・・「それはできん!!!」

 

予想外の回答に「マジで!?俺こんなにかわいそうなのにマジで!?あはれなり!いとあはれなりなのにマジで!?」

テレビのドラマかなんかで交番で金を借りる場面を見たような気もするんだが、あれは警察官個人の善意らしく、いつでもどこでもどなたでもというわけではないらしい。

一応遺失物の届け出をする。「どっからきたの?」「何やってんの?」みたいな雑談をする中でなんとのその本官氏が我が母校(大学)の先輩であることが判明!「どぉぉぉぉぉ~!だったら金貸してくださいよせんぱぁぁぁぁ~い!!!」と会心の懇願をするも「学部が違うからダメ」という鬼畜の所業としか思えん返事が返ってきた。もうね「富山の人って冷たいわ!立山の雪解け水くらい冷たいわ!!!」って思った。

 

結局本官氏から「便宜乗車」なる方法を教えてもらい富山の駅の改札氏と掛け合った。

便宜乗車とは、とある事情で一文無しになってしまったかわいそうな人を電車に乗せてあげる救済制度で、自分以外の誰かが到着駅で切符代を支払うことで電車に乗れてしまうシステムである。

 

僕は当時大阪の吹田に住んでいた弟に「オレだよ、オレ。電車の中で財布を落として困ってるんだ。すまんが駅で切符代を払い込んでくれい」とまるでオレオレ詐欺のような電話をかけ、運賃・料金を払い込んでもらった。

今思えばその時間ならまだサンダーバードも走っていただろうに、当時から貧乏性だった僕は特急は高いからとわざわざ料金の安い急行に乗ることにした。急行きたぐにである。急行きたぐには新潟と大阪とを結ぶ夜行急行だ。(今はもすでに廃止)

富山への到着時刻は夜中の2時だか3時。ただでさえ年末のくそ寒い富山。しかも当時の富山駅は工事中(多分新幹線)で待合所にも北風がぴゅーぴゅー吹き込む極寒の地であった。

金がないので食い物はおろか飲み水もない状態で何時間も待たねばならない。

多分その時の僕は背中から「僕は不幸なんですよう。世界で一番かわいそうな人なんですよぅ。」という哀愁を隠し切れんくらい飛び散らかしてたんだと思う。一人のホームレスの人が話しかけてくれて、かわいそうな僕にみかんをたくさんくれた。それを貪り食うように口の中に放り込み、ホームレス氏の身の上話に「うん、うん。そうですねぇ。大変ですねぇ。」と相槌を打つ。

金のなかった(今でもないけど)学生時代、僕はいろんなところでいわゆる「駅寝」をした。その中でホームレス氏と一緒に夜を明かすことも多く、ぱっと思い出せるだけで鹿児島中央、熊本、苫小牧なんかでホームレスの方々といろんな話をした。どっちかというとホームレスの方々が身の上話をするよりも僕のことを聞いてくることの方が多かったかな。で、ひとしきり話して眠くなると「んじゃ、そろそろ寝ますわ」と言って寝てた。

 

富山のホームレス氏に頂いたみかんで空腹とのどの渇きをいやし、丁重にお礼を言って富山駅の改札をくぐる。改札では「私はお金を落として大阪府○○の誰誰にお金を払ってもらったので電車に乗せてもらいます。すみません。」みたいなことが書かれた(ような気がする)1枚のペラい書面を見せ入場。ど深夜にやってきた急行きたぐにに乗り込み空いていた座席にケツをねじ込み泥のように眠る。

 

翌朝、大阪駅まで行ってしまうと余分にお金を払わねばならないので律儀に京都で降り、普通電車に乗り換え無事に吹田の駅にとうちゃこ。刑務所から出てきた人を迎えに来たような感じで弟に引き取られる。「なんか食うか?」と取り調べの刑事と犯人みたいな会話をしながら弟の家まで歩いた。

 

なんかね、富山とか高山本線とか聞くと四半世紀ほども前のことを鮮明に思い出す。

悲劇の舞台となった富山港線は、現在JRの管理から離れて富山ライトレールを経て富山地方鉄道の路線となった。

 

そうか、八尾町は高山本線の沿線の町か。

近々満願寺に八尾のおそばを食べに行きましょうかね。