下のチビのこと。

もう小6なのでチビではないんだがここではチビと呼ぶ。

中学になったらまた違う呼び方で呼ぶことにしよう。

 

これまで一切書かなかったけどチビは中学受験をした。

そして昨日で中学受験が終わった。

小3の2月からの長い長い道のり。

そこを振り返ろうと思う。(多分長くなります。)

 

受験を決めたのは3年前。

まだ僕が単身赴任で東京にいた頃だ。

 

チビは愚息の中受の厳しい姿を見ていたので「僕は中学受験は絶対にしない」と言ってきた。

愚息の中受中心の生活の中、なかなか遊びにも連れて行ってもらえず「早く受験が終わって欲しい」と言っていた。

 

それが突然の「中学受験する!」発言。

「兄ちゃんと同じ学校に行く」という180°の方向転換に「あ~嫁になんか言われたんだな」って思った。

 

愚息とチビとでは性格も成績も全く違う。

当時の愚息の嫌だと言いながらも最終的にはノルマをやり遂げる強さがチビにはなかった。

嫁のスパルタ式のピアノにしても愚息は泣きながらでもやり抜いていたけどチビは・・・。

 

最終的には「このままじゃ人間が歪む!!!」と僕が嫁に言いピアノはやめた。

逆上がりの練習にしても愚息はできるようになったけど、嫌なものでも頑張ってやり抜く気持ちの弱いチビは結局やらなかったしできなかった。

 

それをやらすのが親の務めなのかもしれんが、僕は月1の帰省では圧倒的に時間がなかったし、嫁は「そこまでしてやらす必要なし」の考えなので、ワンオペ育児と中受をふくむ子供らの習い事などで時間的な余裕もなく、そこに充てる時間を作ることはしなかった。

 

 

僕はチビの中受には反対だった。

 

うちは貧しいので、どこでもいいから受かった学校に行かせる財政的な余裕はない。

裕福なご家庭のように公立回避的な戦法がとれないので、スタート時点で行かせられる学校が限定される。

どの子も熱望校に合格できなければ大いにショックを受けるだろうが、それでも最終どこかの学校には収まるだろう。

でもうちは志望校がダメなら公立。たとえ前受け校で合格が出ても無理なものは無理。ゴールは中学入学ではなく大学を卒業させること。中学高校で資金切れ、弾切れというわけにはいかないのである。

 

そもそも愚息とチビの学業面の成績も圧倒的な差があった。

別に愚息を特別扱いしてチビをほったらかしにしたということは断じてない。

個性なんだろうなぁ。

全国統一小学生テストにしても愚息は兵庫県で一桁順位をとるようなこともあったが、チビはいたって平凡。

今でこそノー勉の極みを実践している愚息だが当時はまだ切れ味があった。

愚息の通う学校もいわゆる関西の最難関の学校ではないが、決して受ければ誰でも受かる学校ではない。

 

チビの性格、学業の成績・理解度では到底無理だと思った。

だから嫁にも「誰でも彼でもいけるわけじゃないだろ。そんな簡単な話じゃない。そこらへんちゃんと判断しろよ。」

「その子その子の性格に合わせた進路でいいでしょ?公立が内申点がどうこうでチビの性格に合ってないとしても、内申点どうこういうのはそういうレベルの学校を狙う子の話でしょ?無理やりそういう学校に入っても本人がきついだけだし、内申点がとれないならとれない子が行く学校で頑張ったらいいじゃない。子供が減ってるんだからどこにも行けないということはないでしょ?」と言っていた。

 

僕自身チビを勉強でどうこうということは考えてなかった。

正直普通でいいと思っていた。

あまり下では困るけど普通。普通に公立中学に行って、普通レベルの公立高校に行って、多分国公立は厳しいだろうから高校では頑張って関関同立に入ってくれれば御の字。そう思っていた。

 

だからそういう子を焚きつけて残酷な中受の世界に突入させることには大反対だった。

お金もかかることだし、そんな負け戦にわざわざ首を突っ込んで12歳の挫折を味わわせることはないと思ったのだ。

 

中受をするということはそれすなわち塾へ通うということ。

だからどうしても中学受験をするというなら愚息が通っていた塾の入塾試験でVというクラスに入ること。

愚息だってそこからのスタートで色々紆余曲折があって最終着地が今の学校。

下のクラスから入ってぐいぐいそこへ上がっていけるほど甘い世界じゃないのは嫁だってわかっているはずだ。

 

そういう条件でスタートすることにした。   続く