しあわせの種まき 花音 -38ページ目

しあわせの種まき 花音

☆魂のふるさとへ還る
幸せってなんだろう?自分を知るこころの旅へ☆

こんばんは。今日は下弦の月 二十三夜です。

 

長野の場合 月の出は22時50分とのこと。

あと1時間くらいだ。

 

いろんな場所で 二十三夜塔とか十九夜塔とか見かけて

前から気になっていたが、意味は知らなかった私。

 

先日志賀先生の講演会ではじめて意味を知ったのだわ。

それで、そのあと自分でも気になって調べてみた。

 

二十三夜講 この行事は中世以来非常に盛んで、その講は全国的に行われていた。

 

村の女性が集まり飲食をともにし、語らい、月の出るのを待ったという。そして月が昇ると念仏を唱え拝んで解散となったそうだ。

勢至菩薩を拝んで観音経をあげたりしたそうだ。

 

ちなみに十九夜講 は 如意輪観音を拝んだそうだ。 女性が安産祈願をし、お産が軽くすむように、子供が無事生まれますよう、月が昇るのを待って香を焚き花を供えて念仏して祈願したそうだ。

 

「月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜など特定の月齢に「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。」とWikiにも書いてある。

 

ああ~、全然知らなかった私。。。

 

これからはもっと月を意識して暮らしていくぞ。。と思うのだった。

 

勢至菩薩 さま

月の女神さま、知恵の女神さまだそうだ。

 

そういえば、高野山に行ったとき、お土産物屋さんにいろんな仏像の絵があって、その中から一枚買ったんですが、それが勢至菩薩さまだったんだ。。

ご一緒の方々に勢至菩薩のイメージにぴったりと言われたんだった。その時は なんか地味な菩薩様だなあと思ったものだったが、、、今みるとなんとも素敵な菩薩さまだなあと思えるわ。ふふふ。

 

今日もありがとうございます。

 

こんばんは。

 

先日 望月で仲秋の満月ということで、志賀勝先生がいらっしゃって月にまつわる望月の史跡の見学と講演会が行われ、そのあと月が昇るのを待つ 月待ちに参加させていただいた。

 

翌日 佐久の小田井にある皎月原に先生たちがいらっしゃり、

ご縁の方のお誘いでご一緒させていただいた。

この場所は佐久の月の信仰についてわかるとても重要な場所なんだそうです。

 

皎月の伝説とは

用明天皇元年(586)、皎月という官女がおとがめをうけて、佐久郡の平尾へ流されてきた。

いつも白馬を愛していた官女は、

ある時小田井の原へ馬をひきだして乗りまわしていた。

ところが天の竜馬だった白馬は空へかけ上り、

東西南北をかけまわった後、平尾山の頂上に立ちとどまった。

そこで官女は「われは唯人ではない。白山大権現だ」といって

光を放って岩の中へ入ってしまった。

その後、官女を白山大権現というようになった。
その後も権現様は時々小田井の原へきて、馬の輪乗りをした。

そのあとには草が生えなかったので、

そこを皎月の輪とよぶようになったというのである。

 

こちらが皎月原の 4月桜が咲いてる時の写真です。

 

とっても綺麗です。

 

ここからが今回の画像です。奥に古墳がありました。知らなんだ。

 

皎月古墳とありました。

 

 

周囲に沢山の岩がありました。気になります。

 

実は、私は皎月原は行くと頭が痛くなったりとあまり気持ちのいい場所ではなくて、どういう場所なんだろうと気になっていました。

ご縁の方がいうには、いろんな人をこの場所に連れて行ったけど、、誰も関心を示さなかったというんです。

でも私が興味を示し関心を持ってくれて、そのおかげで志賀先生とつながって皎月の伝説を先生にご紹介できたとメッセージをいただいたんですが、

私はこの近くで長年お仕事をさせていただいていたので、

そのご縁があったために、無関心ではいられませんでした。

 

今回 古墳があることを知って、ああ、この場所は埋葬地だったんだとわかりました。

私の勘では どうも訳ありの方の埋葬地。身分の高い方で都から流されてきた方とか、非業の死を遂げた方たちの埋葬地。ある種の生贄のような形で亡くなった人たちの埋葬地なんじゃないのかなと思いました。それで エネルギーが重いんだろうなあと。

 

この皎月原は毎年 中秋の名月の時に祭事を行っていて、神に供えた知恵団子を投げ、皆がひろって知恵がつくようにと拾って食べるといったことが行われているんですが、今年は今日10月7日に行わたそうです。

 

昔は皎月の御霊を鎮めるために その場所でみなで月をながめ飲食をしたのだろうなあと思いました。 もっとも皎月は白山大権現の化身というわけですから、女神さまですね。白山の姫はあの世とこの世をくくる月の女神。

月は満ちていくけど、欠けていく、だけどまた満ちてゆく。

常に変化し続け、そしてよみがえり、死と再生のちからの象徴。

 

このことを書いたのは こういう場所はみんなに知ってもらいたいなあと思ったからです。

そういう女神さまがいたんだって知ってもらいたいなあって。

 

どんな場所にも光と闇があり、闇の強い場所ってあるけど、、

闇をじっと見据えて 直視してゆくと、その先にはまばゆい光が実は隠されているんだと思う。

だから私も自分の闇を恐れないで見つめていようと思う。

 

多分 皎月姫たちは知ってもらえると 光が強まって、まばゆい光に変換していかれると思うのですよ。きっと

 

どうぞ愛と光につつまれますように。

 

 

 

こんばんは。今日は中秋の名月ですね。

 

前から気になっていた 豊昇地区へご縁の方の先達で伺うことが

出来ました。

 

興味をもったきっかけは、小田井の長倉神社へ行ったときのことでした。

長倉神社は久能の宮平地区から移ってきたと伝えられているとあり、

その場所がどこにあるんだろうと気になり調べはじめました。

 

長倉神社は 正式には長倉神社・諏訪神社合殿といい、

長倉神社のご祭神は 天児屋根神、諏訪神社は建御名方神が

奉祀されて二神が合祀されています。

 

天児屋根神がご祭神というところからも推察される通り春日神社が宮平にあったということなのですが、この場所は縄文時代の遺跡が沢山出土していて、縄文に人々が住んだ場所だったそうだ。

 

念願の久能の宮平に 到着。

この場所 ぜったい 地元の人じゃたどり着けない場所でした。

 

私 実は、二度 トライしたけど、、、行きつけなかったんです。

 

宮平遺跡の看板が立っていました。

 

 

長倉神社・春日神社の由緒も書いてあったぞ。

 

看板の横に石の祠と像がありました。春日神社と左の石碑に書いてありました。

 

とてものどかな場所です。

 

山あいばかにの場所を少し入るだけで、平らな場所が広がっていて、

縄文にワープした感じがしました。

 

 

 

縄文の息吹を感じます。

 

このあたりは 女街道 とも呼ばれていて、

中山道や東山道の裏街道であったそうだ。

歩き巫女や落人たちなど わけありの人々が行き交っていた道だったんだそうです。

あとこの近くの梨沢というところは、隠れ里だったそうです。落人たちが逃れてきて住んだ場所だったそうです。

 

碓氷の峠とか 中山道はアップダウンがものすごくあるイメージがあったんですが、こちらの街道は平らなままで そのまま上州へ行くルートがあったんだそうです。

 

そんな旅人の安全を願って 長倉神社が建てられたのではないかということでした。

 

そして、文亀2年(1502)上小田井に移され創建されたといわれ、

天正16年(1588)に現在の小田井の地に遷した。とあります。

 

中山道の小田井宿の整備などに伴って 小田井宿の近くへ移っていった経緯があったんでしょうね。小田井宿は姫の宿とも言われていたようで、さきほどの女街道とも重なりますね~。

旅人と安全を祈るのが 長倉神社の本願というわけなんでしょうね。

 

裏街道とか裏道 とか そういう哀愁に悲哀に私 惹かれます。

実はその中にスリリングな魂の躍動もあったんだろうなあと今日は思いました。

 

また、そういう場所へいくことで自分の中の闇とか裏とかに光をあてているような気持ちになります。それは魂の供養に繋がっているように感じます。

 

仲秋の名月 月に照らされて 

すべての人にすべての道に優しい光が注がれますように。

 

今日もありがとうございます。